第9話「土砂崩れでござる」


「馬の準備を致します!」

「いらん! 走った方が速い! ヌシが使え!」


「ならばせめて灯りを!」

「それもいらぬ! それがしらは夜目が効く!」


 レガンにそう言い残し、長月ひとりを共にして夜雨の中を駆け出した。

 今宵訪れる筈だった、わらわが思い描いていたバラ色の夜のことは努めて忘れる。どう考えてもそれどころではない。


「長月! 妾らが全力で駆けていかほどじゃ!」

「四半刻もあれば!」


 よし。ならばこの速度を維持できようぞ。


 駆けながらもあれこれと想像を膨らませる。違う、バラ色の方ではない。

 昨日つぶさに見た竜の瀬あたりの地形についてじゃ。


 東から西へ流れるマヤト川の川幅はあの辺りではおよそ十三m七間

 北側になだらかに登ってゆくこんもりとした丘。南側に妾らが馬車で通った道。さらに南は崖状に背の高い岩山。


 微かにとは言え領主屋敷まで音が届く程の土砂崩れだ。相当な量の土砂が落ちたと考えられる。


 さらに丘の直下に川。最悪の場合は川の水が堰き止められる。そうなった場合は堰き止められたマヤト川の水がリッパ側に溜まって溢れる。

 それが長時間に渡ればいつかは決壊し、下流の町へも濁流が勢いよく流れ込むじゃろう。


 この間の軽口の通りになってしまうわ。


「長月! ヌシの意見が聞きたい!」


「南側の街道を走って土砂向こうへ行き、それがしら二人でぶん殴って落ちた土砂を吹き飛ばすのが吉でござるかと!」

「よし、妾と同じ考えじゃ。それでゆくぞ!」


 竜の瀬へと近づくにつれ、騒ぎ出す領民どもがチラホラと右往左往しておった。

 避難するものと現場へ向かうものとが混在しておるようだが、川へ近づかぬ様に避難せよと言い含めてさらに駆ける。


 マヤト川はこのリッパの地を流れる無数の小川が集まってできる川。小川であっても逆流し溢れては危険じゃからな。



 およそ四半刻、駆けに駆けて竜の瀬じゃ。

 思うておった以上の惨状であったわ。


 まず、ある筈の街道がない。


 妾も目をうたごうたが、土砂が街道までなだれ込んだと言うよりは、街道がかの様にぐちゃぐちゃじゃ。


 すでに関所辺りは膝下ほどまで水に飲まれ、堰き止められて溢れた水が堤の下まで流れ始めておる。


「これは……どうすれば良いでござろうか――」


「四の五の言うても始まらん。どうにかして川の水を少しでも向こうに逃す。ヌシは土砂の上から穿うがて。妾は向こう側から穿つ」


 長月にそれだけ言い置いて、うずたかく積まれた土砂を跳んで駆け上る。


 かなり長い範囲で崩れたらしい。しばらく駆けても向こう側が遠い。

 ようやっと崩れた土砂の向こう、干上がった川底へと飛び降りた。


 高い。

 高さ六m三間ほどもある見上げる様な土砂の山へ、妾は己れの拳を打ちつける。


 そう硬いものではないが、なにせ量が多い。

 拳ひと振りでそれなりの量の土砂が飛び散るが、それでも向こうまで穿つには難儀しそうじゃ。


 時折り石塊いしくれや木の幹が混じりよるせいか、拳の膚が裂けて血と泥が混ざったものが頬に飛ぶ。


 それでも拳を振るのはめん。


 前方、上の方から長月が土砂を穿つばぁんばぁんという音が響いてくる。長月めには負けておられんからな。


 妾は三度四度と土砂へ向かって拳で穿ち、そして前方上方へ向けてさらに拳を振るう。若干の登り勾配をつけて縦横たてよこ三m一間半ほどの丸い道を作っていく。


 長月めは上から掘る様にならす様に、妾の道よりやや広い範囲を穿ちながらこちらへ向こうておる筈。

 二時間一刻ほどもそれを続けて肩より上に腕が上がらなくなった頃、土砂の向こうに長月の拳の音が聞こえ始めた。

 もう少しだと自らを奮い立たせて拳を振るう。



「弥生さま! 下がってくだされ! おそらくもうひと突きで繋がるでござる!」


 あ――。

 長月の声が聞こえはしたが、ちょっと遅かった。もう突いてしもうたわ。


 ごばん、と開いた向こうから一気に流れ込んだ水の流れに妾は流されてしもうたんじゃ。



 ――――……………………


「……ふぅ。死ぬかと思うたわ」

「それはそれがしの言葉でござる! 無茶が過ぎますぞ姫さま!」


 濁流に呑まれた妾は上も下も分からぬままで流されたが、なんとか長月が引き上げてくれたらしい。

 頼もしい旦那さまのお陰でなんとか命拾いしたわ。


「お、おい長月! マヤト川はどうなった!?」

「分からんでござるが、いま向かっておるゆえじきに分かるでござろう」


 妾を背に負い長月が土砂の脇を登っている最中だった。

 見れば妾らが穿った穴を、とりあえずは正しく水が流れ続けておるようじゃ。


 さらに崩れた丘を視界に入れる。


 あ……そう言えば……、昨日ここを通った際、何か気になったんじゃった。

 もしや一昨日までの雨で地盤が緩み、その予兆を妾は感じ取っておったのでは……。


「くそっ! 妾があの時に気付いておれば!」

「それがしも僅かに違和を覚えておったでござるが、鬼が二人もいて分からぬほどの微妙な違和だったのでござろう」


 いや、正直言って妾は気付けてもおかしゅうなかった。手綱を握っていた長月と違い、周囲をつぶさに見ながら進んでおったのじゃ。

 ひとえに妾が浮かれておったせい。悔やんでも悔やみきれん。


「例え気付けたとしてもあの量の土砂崩れ。鬼とはいえそれがしらに出来ることがあったとも思えん。気に病む必要はないでござるよ」


 …………ん? まぁ、そう言われればそうか。

 夜半の事だし被害に遭うた者もおるまい。不幸中の幸いとしておくか。

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