第5話「軽口でござる」
東から西へと流れるマヤト川沿いを遡る様に行き、竜の瀬を抜けてしばらくすると両側に迫っていた丘が南北へと離れていく。
北側の丘はさらに北へ、南側の丘は南へと伸びつつそれぞれ標高を上げる。
竜の瀬辺りでは丘に見えたそれらは、すっかり山と呼んで差し支えない高さでぐるりとこの――リッパの地を囲んでおった。
「見事に盆地じゃの。のう、長月」
「正に。しかし緑豊かな山でござるな」
うむ、確かに。
鬼ヶ島の荒涼とした岩肌の多い山々ではない。青々と茂った山じゃ。崖崩れなんかもきっと起こるまいて。
緑豊かな山々は水を貯え運ぶ。
恐らくは周囲の山々から数多くの細かい支流が
「これはなかなかの大役を仰せつかったんではあるまいか?」
「それがしが
はははっ、と笑う長月ではあるが、妾は尚も言ってやった。
「分からんぞ長月? リッパの連中は腕っぷし自慢らしいからな」
「それこそそれがしらの方が腕に覚えあり、でござるよ」
「違いない。
自分で言っておいて照れてしまってカッコ悪かったなと思ったものだったが――――
この軽口が……まさかあんな事に……いや、さすがに軽口のせいではないと思うが。
さすがの妾もそこまでは、ちょっとな。
「ようおいで下さいました、ナガツキ様にヤヨイ様」
簡易だが関所の様な建物の前、恭しく頭を下げる小柄な中年男性が口上を述べた。
男が顔を上げると頬が赤い。
殴られたとかでなく、なんというか……
「これはイヴェル殿。わざわざ貴方がお迎えとは。見たところすでに随分と
ほぅ? あの長月が
珍しいこともあるもんじゃな。
御者台からヒラリと降りた長月が、妾へそっと手を伸ばす。それを掴み、エイヤと飛び降り長月の腕に
あぁ、もうコレ何回やってもたまらん。何度でもしてくれ。
「ははは。歳のせいですかな、顔が赤くなり易くなって来ましたわ」
ん? どうやらほんとに呑んでるらしいが、特に悪びれる事なく笑い飛ばしておる。どういう事じゃ? 此奴が領主
「弥生さま。こちらがここリッパの領主代理、イヴェル殿でござる」
「イヴェル殿、お初にお目に掛かる。この長月の妻、弥生にございます」
チュニックの裾を摘み、一見すると優雅にお辞儀をした妾であったが内心は別じゃ。
妻。長月の。
分かっちゃいたが、これ自分で口にするのめちゃくちゃ照れるな。イヴェル殿同様に頬が赤らみそうじゃわ。
「ナガツキ殿! これは美しい奥方ですな! なんと羨ましい!」
「そうでござろう!? それがしも我が姫を置いて他に美しいものなどないと常々――むぎゅ」
「やめい長月。妾を悶絶死させるつもりか」
すっかりイヴェル殿よりもっと真っ赤な妾の顔。長月めの口を塞いで言うてやったら断言で返しおった。
「しかし真実でござる」
無駄にわちゃわちゃしたものの、ようやくイヴェル殿の赤ら顔について長月めが説明してくれたのじゃ。
「イヴェル殿は酒呑み大将と呼ばれておるでござる」
「なにぶん腕っぷしはからっきしでございますれば、
くいっとコップを呷る仕草のイヴェル殿。聞けば腕力ではちっとも敵わぬ代わりに、酒豪っぷりで
先ほどのは嫌味じゃなかったのじゃな。
いかんせん呑みすぎて肝の臓が少々ガタついてしもうた故、長月に白羽の矢と相なったらしいわ。
なんじゃそれ。そんなのもありか。
ならば妾も方向転換――
「弥生さまはなりませぬぞ。酒好きとは言え強くはござらんでしょうに」
「よ――弱くはないわい! キツくて辛い酒が苦手なだけじゃ! キツくても甘い梅酒ならばいくらでも呑めるぞ妾は!」
「ウメシュというのは分かりませんが、甘い酒なら
「ほう? ミードとな? それは
甘い酒の話題に食いついた妾であったが、妾とイヴェル殿との間に大きく開いた掌を差し出す長月がそれを遮った。
「酒の話は後。従者の方がお待ちでござれば」
うむ。もっともじゃ。
イヴェル殿の共の者が所在なさげにしておるものな。
関所を抜け、妾らの馬車を先導する様にイヴェル殿の共の者が馬で先行する。
それに続く妾らの馬車に並ぶイヴェル殿も馬を操りながらあれこれと説明してくれた。
イムの地には珍しくリッパは割りと雨が多いそうな。ほんの十日ほど前から雨季に入ったらしく、今日は雨季の中休みらしい。
街道の脇に広がる麦畑は大方すでに刈り取られ、ちらほら残る刈り残しらしきものは雨に強い品種だそうな。
「種蒔きの時期をずらしたり様々な品種を植えるのはリスクマネージメントの基本でござるな」
……な、なんと? 長月? おかしなものでも食うたのか?
「何をおかしな顔をされているでござる。鬼ヶ島でもそうしておったでござろう?」
そ……そうしてござったか?
いや、妾の記憶にはあまりその辺りの事は残っておらぬが…………
あ、
ハナからその辺りの事は知らぬのじゃ。
どうやら妾、領地経営に参加しておらんかったみたいじゃ。
領主
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