第2話「領主でござる」


「長月。調子に乗るでない。ヌシはわらわの臣下であろうが」

「勿論でござる。それがしはさまの臣下。それは何がどうあっても覆りませんし覆しませぬ」


 目を覚まして幾ばくかのち、そんなやり取りを経つつも妾は長月の求婚に頷いた。

 大袈裟な式なぞというものはないが、ジャンビエ殿らを立ち会いにして、妾たちは晴れて夫婦になったのじゃ。


 にへらにへらと緩んでしまう頬を引き締めながらも、きちんと言わねばならん事を口にした。


「長月。妾はヌシの嫁になる事に対して一切のいなやはない。末長く……幸せにしてくりゃれ」

「や――弥生さま――っ!」


 寝台に横たわる妾をがばちょと胸に抱えた長月は、あろう事か、皆の前で妾の口を吸うた。

 問答無用すぎてさすがの妾も引いてしもうたが、あれはなんとも…………誠に甘美じゃった。


 いやだってしょうがないじゃろう。

 どうやら長月も妾を好いてくれていた様だが、妾は十二年前からぞっこん長月なのだから。



 十二年前のあの日、漂流間もない弱る長月をひと目見た。

 その瞬間から、妾の心は長月のものだ。

 一切ほかの者へと向いたこともない。


 島に打ち上げられてほんの数日で快復した十歳の長月の体を調べた医師が言うには――尋常でない回復力と生え際にある小さな二つのツノ――、異国の鬼であろうとの事だった。


 どうやらこの地の言葉が分かるらしい長月、この辺りの生まれなのかも知れぬな。


 中央にツノがひとつの妾らとは出自の異なる、島でただ一人の異国の鬼。

 当初は言葉も通じなかったが、ひと月も経ずに意思の疎通が取れるほどになった聡い長月を、父はいたく気に入り一族の者と同じ『月の名』を与えたのだったな。



 そんな長月とは違い――妾は 三月みつきもかかってここ、の言葉をようやっと覚えたのじゃ。

 しかもだ、妾にイム語を教えてくれたのが、長月の義理の弟御と妹御。チビ二人に言葉を教えてもらう辛さよ……


 というのは嘘じゃ。

 二人ともかつての長月に似てとびきり。ニヤニヤデレデレしっぱなしで教えて貰うたわい。



「ヤヨイ。ずいぶんと言葉が上手になったね」

「いやなにこれしき。長月の奴めには負けておれませんからな」


 妾が愛してやまぬ亭主――長月はいまここには居らぬ。

 妾らのな、その、し、新居の準備を済ませに遠出しておるのだ。はよう帰ってこんかな。妾はそろそろ長月不足じゃ。


「して義父上ちちうえ。長月めはもうかれこれ十日ほども帰って来ぬが、妾らの新居とはそれほど遠いのか――ですか?」


 初めてこの姿を目にした時は長月そっくりだと思うたものじゃが、よく見ればそこまで似てはおらんかった。

 長月の方が断然男前じゃし、どちらかと言えば奥方どのが長月によう似ておるわ。


「そりゃ遠いさ。の中でも最も遠いところだからね」


 長月の養父となったこの男――ジャンビエ・ロトンヌ殿はなにを隠そう領主さまだったのだ。

 それほど大きな領地ではないと聞いておったが、思っていたよりも大きな領地なのやも知れんな。


「しかし長月に奥方さ――いや、義母はは上さまが同道されているのはなにゆえ――?」

「あ、言ってなかった? 妻の里なんだよ。君たちに領地って」


 ……頼みたい領地?

 領主どのであるジャンビエ殿が、頼みたい?


「私達にはもう一人子供が居たんだけど、海の事故で帰ってこなくなってしまってね。その子に任せようと思っていた領地なんだ」


 ふむ。

 少し込み入ってきたように思わぬでもないが……まぁ、領主の代官としてその地を治めてくりゃれと。そう言いたい訳か。


 これで妾も鬼ヶ島の姫。領地経営はお手のものじゃ。ジャンビエちちうえ殿も慧眼よの。


 領主の代官の妻として、立派に長月めを支えて見せようではないか。


あいかった! 義父上さまのご期待に添えてみせよう!」

「やぁ良かった! ヤヨイがそう言ってくれたらナガツキくんも頑張ってくれるね!」



 ――この時点ではな、妾もそうは言ったがそこまで込み入っておらんと思うておったのじゃ。


「ジャンビエ殿! どういう事でござるか!」


 ところがどっこい、あれから数日後、ロトンヌの屋敷に戻った長月が義父どのに詰め寄ったのじゃ。


 ……妾的にはの、まずは妾に駆け寄り二言三言ふたことみこと、なんならがばちょと抱き締めてくれたりなんぞしても良いではないかと思わずにはおられんのだがな……


「え? フェブリエに聞かなかったのかい?」

義母かあさまには伺いました。それがしが言うておるのは、何故そんな重要なことを黙っておられたのか、という事でござる!」


 重要なこと、とな?

 もしや領地経営の事など教えられずに赴いておったのか?


「亡くされたご長男殿。その彼がそれがしに瓜二つとはどういう事でござるか!?」


 …………ん?

 まだイム語に完全に慣れてはおらんのだ。長月よ、もう一度ゆっくり言うておくれ。


「そっくりなご長男殿の替え玉として差し向けようと、それがしを養子にされたのでござるか!?」


 なんと……。

 しかしそうか、確かにそうだとする方がしっくりくるか。

 漂流からたまたま辿り着いた縁もゆかりも無い妾らを手厚く遇したのも、長月めを養子にしたいと申し出たのも、そういう理由があったのならば分かりやすい、か。


「ナガツキくん。思い上がりも甚だしい」


 む?


「君の姿に驚いたのは間違いないし、息子が帰って来たとも確かに思った。けれど、君は彼ではない。彼にはなれない」


 ん?

 海に流されたご長男どの。

 海を流れて鬼ヶ島に辿り着いた長月。


 実は生きていたそのだと、そういう事ではないのか?


「ヤヨイ。首を捻ってる様だが、うちのセプタンブラが海に流されたのは五年前だよ。聞いた話じゃナガツキくんは十二年前。それに何より、私たち夫婦には分かる。別人だよ」


「弥生さま。朧げながらもそれがしは別に記憶喪失という訳でもない。それがしがセプタンブラ殿であるなどは断じてござらん」


 ふむ。二人とも筋が通っておる。理路整然じゃ。妾だけが夢見がちであったか。


「では何故に長月めを養子に?」

「そりゃ決まってる。その領地――リッパを治めるのに適任だからさ」


 ん? 適任とな?

 長月と二人、顔を見合わせ首を捻る。


「君たち二人、なんだろう?」


 義父上ちちうえ殿はご自分の額、生え際あたりを指さしてそう言ったのじゃ。


 オグルとは、イムの言葉で鬼のこと。

 あっさりバレておったのか。参ったな。

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