第三章 心霊スポット編
「はあ、はあ……。ここは、どこだ——」
息を荒げ、苦しそうに、彼は、つぶやく。
彼は、激しい運動をしたわけではないのに、息切れをしていた。
「なんとか逃げ切れたな……って。ん? 俺は、何に逃げてるんだ?」
記憶喪失なのか。俺は……。何も思い出せない——。
記憶が断片的で、状況を全く理解する事ができなかった。
一つ一つの出来事の、点と点を繋ぐ作業をしている。
「そうだ⁉ 俺は、Qと一緒に心霊スポットで動画を撮ってたんだ。トンネルに入って……。それから……。頭が痛い……」
彼は、頭を抑えて、
数分後、ゆっくり顔を上げた。
「扉……?」
彼の、目の前には、三つの扉が、横並びにならんでいる。
左から順に「青・黄・赤」だった。
「どこでもドアみたいだな……」
彼は、苦笑しながら、ドアを観察していた。
扉は、朽ちていて、薄気味悪いオーラを放っている。年代物のようだ。
扉の色と形に見覚えはない。これは、何か意味があるのだろうか?
その扉の奥には、無数の扉のある廊下のような部屋が広がっている。
扉には、数字・アルファベットが書かれていた。意味がわからない。
果てしなく続いていて、まるで人生を表しているようだった。「終わりは、決まっているのに、先が見えない——」無音で、真っ白な空間。時間が止まっている感覚だった。どう考えても、おかしい……。現実ではない……。
「いつから、俺はこの空間に迷い込んだんだ……。原因は、なんだ?」
疑問しか湧いてこない。その時、右ポケットの中に何かがあるのに気づいた。
慌てて、俺は、右ポケットに手を突っ込み、取り出した。鍵だ……。
ロールプレイングゲームや映画に登場しそうな、形をしていて、現実世界では、滅多にお目にかかれない。
「ん? 鍵? これを使って、扉を開けろってことなのか?」
次の瞬間——。
「孝之! 待て、罠だぞ」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえてきた。
Qの声だ。彼は生きていたんだ。
生きていた……? どういう意味だ?
2017年7月15日——。
ついにこの日を迎えた。
関東最恐心霊スポット「
時刻は午後十時。心霊スポットに到着した。予定通りだ。
撮影機材の準備をして、YouTubeの収録を始めた。
「こんばんは、宮部です。本日はですね。関東最恐心霊スポットと呼ばれている。水滝トンネルと言う場所に来ています……」
俺は、このスポットに来るまでに、色々とリサーチをしていた——。
東京駅から車で、二時間ほど。
途中、駐車場に車を停めて、三十分ほど歩く必要がある。車で行けない場所だ——。
トンネル入り口には、公衆電話があって、女性の霊が現れると言われている。
公衆電話の近くには「首なし地蔵」がいる。
文字通り、首がない地蔵で、触ると祟りが起こるという。
先の見えない、トンネルの出口からは、赤い橋が見える。
橋を渡ると、もう一つトンネルがあって、その先は、数百メートル進んだところで、行き止まりになっている。先に進めない……。
このトンネルのことを「水滝トンネル」と呼んでいるらしい。
正確には、最初のトンネルが「水滝第一トンネル」行き止まりのトンネルは「水滝第二トンネル」と呼ばれていて、全長三百メートルほどの大きさだ。
赤い橋は、全長百メートルほどで、横幅は、大人二人が横並びで、歩けるほどだ。
近くには、川が流れていて、周辺の山々は四季折々の表情を見せている。
このスポットが有名になったのは、一つ理由がある。
YouTuberの心霊スポット動画のせいだ。
男性六人組グループYouTuber「フィッシャーマン」
主にエンターテイメント系の動画を投稿している、チャンネル登録者が七百万人以上の人気YouTuberで、三年前にこの場所を訪れていた。
動画を見たところ、四百万回以上再生されていて、水滝第二トンネルまで行ったが途中、メンバーの体調がおかしくなって、トンネルの先に進む事ができず、途中で撤退。グループのリーダーが「絶対に行かない方がいい」と話していた。
2015年7月13日——。
それから、時は流れ、女性YouTuberが一人で、この場所を訪れた……。
名前は「
一人で撮影をしていたらしく、水滝第二トンネルで行方不明になった。
警察の捜索で、トンネル前に、撮影で使っていたものと思われる、カメラが見つかった。SDカードの中には、水滝第二トンネルの映像が残っていて、本庄は自撮りをしながらトンネルの中を歩いていた。トンネルを数十メートル進むと、本庄は険しい表情になり、恐怖を感じていた。「あなたは誰?」と言い、映像は真っ暗になった。
この映像が、全国ニュースで流れたことにより、本庄は一時期、時の人となった。
とても恐怖を感じる映像で、おそらく、一番怖い心霊スポット動画だ——。というか誰が映像を編集したのか?
YouTubeでは水滝第一トンネルから画面が真っ暗になるまでの映像が、綺麗にカット編集されていて、テロップはなかったが一本の動画として、本庄悦子のチャンネルに投稿されていた。
本人は行方不明、おそらく警察関係者が編集したのか? そんなことをわざわざするものなのか? これは掲示板で話題になり、結局、現在まで謎のままだ。
それから、この場所は、トンネル前に「立ち入り禁止」と書かれた、縦長の看板が設置されて、誰も立ち寄らなくなった。
しかし、俺たちは、水滝トンネルで撮影することにした。
かえって好都合かもしれないと思ったからだ。完全に頭のネジが緩んでいる。
トンネルの前に、看板が設置してるだけ。その近くにある、公衆電話と首なし地蔵は、撮影できる……。そこだけ撮影するだけでも価値があると感じた。
一番有名な場所というのもあって、かなり再生されるだろう。
誰も近寄らないということは、撮影には好都合だ。
そして、時刻は午後十時——。
カメラの録画ボタンがきちんと押されているのを確認して、演技をした。
Qはメインカメラマン。俺の全身をとっている。
俺はサブカメラとして「コンデジ」を右手に持っている。
このコンデジとは、コンパクトデジタルカメラの略で、レンズを付け替えられるミラーレス一眼カメラとは異なり、本体からレンズを取り外せないレンズ一体型カメラのことだ。
QがVlog用に購入したものを借りた。
一度、録画を停止してQと打ち合わせをした。いつの間にか、タメ口で話すようになっていた。Qが敬語で話すのは距離感があるから嫌だと言っていたからだ。
「よし、じゃあ、次はトンネル前の公衆電話の撮影に入ろう。俺が公衆電話の中に入るから、Qは俺の全身を長回しでとってほしい。その後、そのままトンネル前まで歩くから、そこも撮影してほしい」
周りを見渡してみた。
トンネル前には「立ち入り禁止」と書かれた、縦長の看板が設置されて、すぐ近くに公衆電話がある。
中の明かりはチカチカ点滅を繰り返していて、すごく不気味な雰囲気だ。
そうだ、首なし地蔵も確認しとかないといけないな。ここからだと暗くてよく見えない。確か公衆電話の近くにあったはずだ。
右手にはコンデジ。右ポケットの中には、懐中電灯が入っている。
「わかった。任せときな」
そして、再び演技を始めた。
「すごい不気味な雰囲気ですね……。ああ、ありました、ここが公衆電話ですね……。ちょっと中に入ってみて、本当に女の霊が現れるか検証してみたいと思います。写真も撮ってみますね」
公衆電話の中に入った。
写真・動画を撮影したり受話器を操作してみたが特に何も変化はなかった。
「何も起こらなかったな……」
録画ボタンを止めずに、公衆電話から出て、首なし地蔵を見た。
首なし地蔵は、公衆電話を出て数メートル先にいる。
「あれ、首がついている。何でだ? 誰かが、首を直したのか?」
疑問しか湧いてこない。恐怖を感じた。その時だった。
次の瞬間——。
公衆電話がなった!
「うわぁあああああああああ!」
心の底から、驚いた。なんで、こんな時間帯になるんだ⁉
ただ、俺は日本一の動画クリエイターを目指すもの。
録画を止めず、そのまま撮影をした。
Qの声が入ってしまったが、この際、どっちでもいい。
「今からでてみる、外から撮影しといて」
公衆電話の中に入り、ソッと受話器をあげた——。
「もしもし……」
恐怖を全身で感じながら、小声で言った。
しかし、受話器からは、何も音が聞こえない。
数分そのまま、公衆電話の中にいると、空気が変わるのを肌で感じた。
受話器を下げて、後ろを見るとQがいない。
「あれ、どこに行ったんだ?」
すると、また公衆電話がなった。
受話器をあげると、女性の声が聞こえた。
「ゲームオーバー。そして、ようこそ。宮部孝之くん——」
意味が全く理解できなかった。
「はあ、あんた誰だよ。どういう真似だ」
「あなたは、もうこの世界から逃げることができない……」
そういうと電話が切れた。一体どういうこと……だ⁉
すると、トンネルの中から人が走ってくるのが見えた。暗くてよく見えない。
あれ、なんで、看板がなくなっているんだ。そして、あの人は誰なんだ?
「孝之くん、逃げて。このトンネルに入ってはダメ‼」
公衆電話をたたき始めた。これが噂の霊なのか?
「わかった。わかった。とにかく出て、話を聞くから叩くのをやめてくれ‼」
俺は、意外にも冷静だった。
「なんで、俺の名前を知ってるの?」
「説明してる時間はないの。とにかく、あなたはトンネルの中に入らないで……。私の名前は、悦子、本庄悦子だから……。それから……」
「私は、新宿駅のJR中央線快速に乗って、東京駅まで行って、レンタカーを借りて……。水滝トンネルへ向かったの。電車の時刻は『18:45』だから、絶対に忘れないで」
「ちょっと待て、行方不明になった? 本庄悦子さん? なんでここにいるんですか? 全く理解でき……」
話の途中で、時空が変わるのを肌で感じた。そして、後ろを振り返る。
すると、Qが走っていた。その時、女性の悲鳴が聞こえた。
本庄がいた方をみると、彼女がいない……。「消えた……⁉」
Qは汗をかいている。意味がわからない。
「孝之、お待たせして、すまなかった。予備のバッテリー持ってきた。これで大丈夫だ。すぐに撮影を再開しよう……」
「Q、一体どこ行ってたんだよ‼ 予備のバッテリーを持ってきた⁉ こっから車まで徒歩で三十分もかかるんだぞ。無理に決まってるじゃないか。何を言ってんだよ。わけわかんねぇよ……」
「いや、本当だって、孝之こそ何言ってんだよ。バッテリー切れを伝えたら『俺は先にトンネルの中で撮影しておく、撮影終わったら、第一トンネル前で待っている』って言ってたじゃないか。俺は、止めたんだけど、孝之がどうしてもっていうから。走って、取りに帰ったんだよ。てか、こっから車まで徒歩
寒気がした。話が噛み合っていない。
「いや、さっきQがいない間、本庄悦子を見たんだよ。あの行方不明になった。なんか、トンネルの中から走ってきて、公衆電話を叩いて……。ああ、そうだ‼ 映像見た方が話がはやい。顔は撮れなかったけど、音声は、ちゃんと撮れてるはずだ」
俺はコンデジの録画を止めて、Qと一緒に撮影した映像を見た。
「そうだ、この辺からだな、受話器から声が聞こえて、彼女が走ってくるんだ」
映像は、ちゃんと撮れていたが、公衆電話の女の声と本庄の姿が映っていない。俺の声と環境音だけ撮れていた。
「嘘だろ……。確かに彼女はいたのに……」
「なあ、孝之。それって、本物の霊なんじゃないか。孝之にだけは見えて、他人からは見えないってパターン……。とにかくトンネルの中の撮影を始めよう」
Qはトンネルの方へ歩き出した。
「待ってくれ、トンネルには行かないほうがいい。そういえば、公衆電話の撮影の時、トンネルの前に看板ってあったよな?」俺は疑問をQに問いかけた。
「看板? あのトンネルの前に? 何言ってんだよ。看板なんてなかったじゃないか……って、孝之どこ行くんだよ⁉」
慌てて、首なし地蔵のところに向かった。地蔵の頭はなくなっている。
「一体、どういうことだ……?」
Qは、俺の肩を叩いた。
「冷静になれよ。じゃあ、孝之の後方から撮影するから……」
その時、茂みの中から男女の声が聞こえた⁉
「おい、Q‼ あそこに誰かいないか。声が聞こえる……」
「ああ、確かに聞こえるな……」
Qは、ニヤリと笑った。
「孝之、心霊スポットって、とにかく誰も好き好んでいかない場所だろう……。だから、その……。男女で行って……。まあ、そういう雰囲気になる時もあるんだよ。見なかったことにして、先に進もう。ほんと、変態な奴ばかりだよな……」
「そういうものなのか。わかった……」
俺は、恐怖が少し和らぐのを感じた。
そして、水滝第一トンネルの中に入っていった——。
トンネルの中は、真っ暗で何も見えなかった。
ノイズがひどい映像になっているかもしれない。
映像の心配と、自分の心配をしていた。
渓谷を流れる水の音が、かすかに聞こえる。
右ポケットにあった懐中電灯を取り出して、歩いていた。
「千と千尋の神隠しみたいに、行きと帰りでトンネルが変わってたりしないよな……」
心で思いながら、どんどん先へ進んでいく。
百メートルほど進んだ時、異変に気づいた。
後ろで撮影していたQの足音が聞こえない……。
次に、水の音が聞こえなくなった。そして無音になった……。
宇宙空間にいるような感覚だ。後ろを振り返るとQがいない。
「あれ? Qどこにいったんだ?」
その時、二回瞬きをした。次の瞬間、目の前に、無数にある扉の空間が現れた——。
「ここは、なんだ……⁉」状況を理解することができない。
数十メートル先に、白髪の男性がいた。
椅子に座り、デスクに腕を付いて、俺の方を見ていた。
まるで、新世紀エヴァンゲリオンに登場するキャラクター、碇ゲンドウのような雰囲気だ。威圧感があって……。
彼は何者なんだ——?
「ようこそ、宮部孝之くん。現実逃避の世界へ……」
「宮部くん、いや、孝之くんと呼ぶことにしようか……。君は、何度もこの世界に来ているのに、状況を全く理解できていないような表情をしているね。困ったものだ……」
白髪の男は「やれやれ」と言った表情をしている。
「君が、望んでこの世界に来たというのに、どうして君は、そう無理なことをするんだ? なぜ、そんなに頑張っているんだ? 時の流れに身を任せて、運命を受け入れればいいじゃないか。夢なんて諦めろ。努力したって無駄なんだよ」
「はあ⁉ 一体、全体どういうことなんだよ。何度もこの世界に来ている? 望んでこの世界に来た? 意味がわかんらねぇよ。俺は、Qと一緒に心霊スポット動画を撮っていただけなんだ。トンネルに入って、気づいたらこの空間にいた。ただ、それだけなんだ。Qはどこに行ったんだ⁉」
白髪の男性は、苦笑した。
「なるほど、一回目の現実逃避ということか……。何も覚えていないって感じだな。安心しろ、Qは別の世界線に飛ばされただけだ。生きているよ。死んではいない……」
疑問しか湧いてこない。一体この世界は、なんなんだ。
「世界線? どういう意味だ? ところで、お前は何者なんだ? 名前はなんという?」
「私が説明しなくても、すぐにわかるさ……。俺の名前か? そうだな、
「そうか、わかった。ジョン、長い付き合いになりそうだな」
俺は、微笑しながら、この世界から抜け出すことを決意した——。
この世界線は、真っ白な空間だった。
ジョンの座っている、デスクの奥には、無数の扉のある廊下のような部屋が広がっている。
扉には、トランプが貼られている。見ても、理解できなかった。
鍵はかかっていないみたいで、自由に移動できるみたいだ。
「試しに、扉を開けて、世界線を移動してみるか? まあ、結果は変わらないと思うが……。君次第だ……。健闘を祈っているよ」ジョンの言葉は、意味深だった。
ジョンの近くにある、扉の前に移動した。
「よくわからないが、やってみる。ここから、必ず抜け出してみせる‼」
俺は扉を開けてみた。扉の奥は、真っ白で何があるのか、全くわからない。
恐る恐る中に入って、扉を閉めた。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
赤色の絵札。「
2023年8月18日——。
午前十一時。スマートフォンで設定した目覚まし時計の音で起床した。
「一体ここはどこだ?」
全身に気だるさがあり、
リビングに行き、カーテンを開けると窓越しから太陽の光が部屋へと降り注ぎ、暗かった部屋を一気に明るくさせた。
スマホの画面を確認する。
「2023年8月18日——。未来に来たのか……」
どうやら未来の世界に飛ばされたらしい。
部屋を見ると、どこか見覚えがある。そうだ、中目黒にあるQのマンションだ。
「Q⁉ どこにいるんだ⁉ いたら返事をしてくれ!」
部屋をくまなく探したが、誰もいなかった。俺だけが、この部屋にいるみたいだ。
「悦子さんは……。本庄悦子さんは、今どこにいるんだ?」
スマホのブラウザから、彼女の名前を入力して、検索した。
すると、彼女の名前が、ヒットした。
「目黒プロモーション所属の女性YouTuber 本庄悦子が、渋谷109来店イベント開催! ツーショット撮影会をする……⁉」
どうやら、渋谷109のアパレルショップとコラボ商品を販売したみたいで、本日午後一時からイベントを開催するそうだ。
すぐに身支度を済ませて、急いで、渋谷へ向かった——。
午後一時、渋谷109に到着した。ここに来るまでに、電車の中で、色々と調べていた。iPhoneは最新機種が14まで発売されているみたいだ。手に持っているスマホは、iPhone7だった。いまだに使えるのがすごいなと感じた。街を見ると、特に大きな変化はなかったが、スマホを見る人、ワイヤレスで音楽を聴いている人が多かった。あとマスクをしてる人が多い……。なぜだ? キャッシュレス決済もここまで普及したのか……。
そうこうしている間に、撮影会の会場に到着した。
すでに始まっていて、ファンが並んでいるのを割り込んで、彼女がいるところへ向かった。
「本庄さん⁉ 本庄悦子さん‼ 俺です。宮部孝之です‼ あなたを助けに来た。一体全体、どうなっているんですか⁉」
近くにいた警備員に両腕を捕まえられながら、思いきり声を張り上げた。
そして、彼女は、不思議そうな表情で俺に問いかけた。
「あの……。どこかでお会いしましたっけ?」
背筋が凍った。俺のことを覚えていない……。なんでだ?
あの時、水滝トンネルで出会ったじゃないか。
「え……。俺のこと覚えていないんですか?」
「はい……」
「嘘でしょ……。俺は、何者なんだよ……」
そして、警備員に連れていかれた——。
次の瞬間、二回瞬きをすると——。あの扉の空間に戻された。ジョンが笑っていた。
「早いな、もう戻ってきたのか……。君には、失望したよ」
状況が理解できないまま、再び、同じ扉を開けて、扉の中に飛び込んだ。
午前十一時。スマートフォンで設定した目覚まし時計の音で起床した。
「一体ここはどこだ?」
全身に気だるさがあり、
リビングに行き、カーテンを開けると窓越しから太陽の光が部屋へと降り注ぎ、暗かった部屋を一気に明るくさせた。
スマホの画面を確認する。
「2023年8月18日——。未来に来たのか……」
どうやら未来の世界に飛ばされたらしい。
部屋を見ると、どこか見覚えがある。そうだ、中目黒にあるQのマンションだ。
「Q⁉ どこにいるんだ⁉ いたら返事をしてくれ!」
ちょっと待てよ、なんだこれは、さっきと同じことを繰り返してるじゃないか……。
スマホで「本庄悦子」と検索する。
「目黒プロモーション所属の女性YouTuber 本庄悦子が、渋谷109来店イベント開催! ツーショット撮影会をする……⁉」
どうやら、渋谷109のアパレルショップとコラボ商品を販売したみたいで、本日午後一時からイベントを開催するそうだ。
ダメだ、イベントに行ってはいけない。彼女は、俺のことを覚えていない——。
スマホで「本庄悦子」について調べていた。
すると、彼女の生い立ちについて書かれているインタビュー記事を見つけた。
「今の私がいるのは、宮部孝之のVlogのおかげ……?」
どういうことだ、俺は、今ここにいるじゃないか。なんで覚えていないんだ?
「私は、当時、彼氏からDVを受けていた。現実逃避を繰り返す日々を過ごしていた。その時、彼のVlogをたまたま、YouTubeを見て知った。彼の動画が心の支えだった。それがきっかけで、私はYouTubeを始めた。今では、人気YouTuberと言われているけど、彼がいなかったら、今の私は存在していない。彼がいたから、現実逃避を繰り返す、日々から抜け出すことができたんだ。今度は私が宮部孝之のような、人の心に残るクリエイティブ作品を作り続けたい……」
そして、記事の最後にこう書かれていた。
「今も、行方不明……。一度でいいから、彼に会って話を聞いてみたかったな。コラボ動画も撮りたかった……」
寒気がした。行方不明……?
手が震えている。「宮部孝之」と検索した。
ニュース記事を読んで、スマホを落とした。
「宮部孝之、心霊スポットで行方不明になる——」
水滝トンネルと俺の写真が掲載されていた。
膝から崩れ落ちた。現実を受け入れられなくなった……。
すると、いつの間にか、扉の世界に戻って、ジョンが目の前にいる。
「お帰りなさい、孝之くん。どうやら、未来へ行ってたみたいだね。悦子が人気YouTuberになって、君とQが心霊スポットで行方不明になってる世界線へ……」
「ジョン、これは一体どういうことなんだ⁇ なんで俺は行方不明になっていて、悦子さんは人気YouTuberになっているんだ⁉」
ジョンは笑った。
「孝之くん、残念だけど、それには答えられないな。自分で行動して、乗り越えていかないと。最初からわかっていたら、面白くないだろ? それより、また挑戦すればいいじゃないか。悦子さんを助けたいんだろ? それとも、諦めて楽になるか? 君次第だよ。私には、君を止める権限なんてない。見守ることしかできないね」
怒りの感情が湧いてきた。彼は、いったい何者なんだ? そして俺は、何者なんだ? 原因が全くわからない。理解ができない。現実逃避をしたくなる——。
この世界は、呪われているのか? 俺は、死んでいるのか? 現状を把握できないままだった……。
少し考え事をした後、先ほどの世界線にいき、色々と試してみた。
本庄悦子の撮影会を妨害したらどうなるのか。一日中、何もしなかったら、どうなるのか。死ぬと、どうなるのか……。いや、死ぬのは、怖いので、これだけは試せなかった。
まとめると、次のようになる。
・現実逃避をすると扉の世界に戻される
・何もしないと、日付が変わったタイミングで、扉の世界に戻される
・扉の世界に戻されても、世界線での出来事は覚えている(記憶は引き継がれる)
・再度、世界線に行くと、世界線にいる人たちの記憶はリセットされる
つまり、俺だけが世界線での出来事を覚えていて、世界線を自由に行き来できるみたいだ。タイムリープを繰り返すアニメの主人公になった気がした——。
扉の世界で考え事をしていた……。
ジョンは、椅子に座っていて、ずっと笑っている。
「孝之くん、色々と試してるみたいだね。君は、やっぱり行動力がすごいな。感心するよ。でも、結局、同じことの繰り返しじゃないか。諦めた方がいいんじゃないか?」
「ジョン、俺は、今、考え事をしているんだ。邪魔をしないでくれ」
ジョンを見ていると、怒りの感情が湧いてくる。
「そうかい。そうかい……。悪かったな。まあ、せいぜい頑張るんだな」
どうすれば、この世界から抜け出すことができるのだろうか……。
考えても、考えても、答えは出なかった……。
結局、行動することでしか、答えを見つけることができないみたいだ。
思考を変えて、この世界に来る前のことを考えていた。
「待てよ、水滝トンネルで、悦子さんと出会った時、何かを言っていた……。もしかして、それが彼女を助けるヒントなんじゃないか?」
「説明してる時間はないの。とにかく、あなたはトンネルの中に入らないで……。私の名前は、悦子、本庄悦子だから……。それから……」
「私は、新宿駅のJR中央線快速に乗って、東京駅まで行って、レンタカーを借りて……。水滝トンネルへ向かったの。電車の時刻は『18:45』だから、絶対に忘れないで」
「電車の時刻は『18:45』水滝トンネルに、本庄さんがいかなければ……。電車に乗るところを阻止すれば、未来は変わるんじゃないのか……? そうすれば、彼女は行方不明にならず、俺は、心霊スポットに行かない。行方不明にもならない——」
疑問点は、たくさん浮かんできたが、とにかく彼女を助けるために行動することを決意した。
「おい、ジョン‼ この世界線というのは、時間を細かく指定することってできるのか?」
強い口調で、ジョンに問いかけた。
「うーん。どうだろうな。ある程度はできるんじゃないか? 今のところは……。さっきも言ったが、俺は、基本的に君を見守ることしかできないんだよ。何度も言わせるなよ……」
「そうか、わかった」
どうやら、とにかくやるしかないみたいだ。
俺は、念じながら扉を開けて、中に入って、扉を閉めた。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。「
2015年7月13日——。
「トイレ?」
ここは、おそらく駅のトイレだ。新宿駅か? スマホを見て確認する。
「2015年7月13日——。時刻は午後六時十五分」
三十分後に彼女が、電車に乗るはずだ。俺は、急いで_JR_中央線に向かった——。
「
あたりを見渡しながら、彼女が駅のホームに来るのを待っていた。
もし、彼女を見つけることができなかったら、また同じことを繰り返せばいい。
とにかく俺は、やるしかないんだ。なんで、彼女のことをこんなに気にしているのだろうか……。この気持ちは、一体なんなんだ。
その時だった。数十メートル先に、本庄悦子がいるのを確認した。
そして、彼女と接触した。おそらく、俺のことは覚えていないだろう……。
「あの、すみません」
彼女は、驚きながらも、きちんと受け答えをしてくれた。
そして、今まで起きたことを全て話した。
「……なので、電車に乗らないでください。俺は、何があってもあなたを止めないといけないんです」
本庄さんは、不思議そうな、理解できていない表情をしている。
「えっと……。つまり、電車に乗って水滝トンネルに向かうと、私は行方不明になって、あなた……。宮部さんも行方不明になると言うことですね……。はあ⁉ 全く意味がわかりません。どうして、あなたに撮影を止められないといけないんですか⁉ てか、ストーカーですよね。警察に通報しますよ」
彼女は、そういうと、撮影用のカメラで俺を撮り始めた。
「いや、ちょっと待ってください。俺は、ストーカーじゃないし、あなたを助けたいだけなんです」
ますます、不審者になっていく。そして、そうこうしている内にホームに電車が近づいてきた。まずい‼ このままだと電車に乗ってしまう——。
次の瞬間——。女が飛び込んできた。
本庄さんは、駅のホームから突き落とされた。
その直後、猛スピードで電車が突っ込んだ。
鋼鉄の軋む音がホームに響き渡り、電車に跳ねられた……。
一瞬の出来事だった。俺は、ただ呆然と引かれる瞬間を見ていた。
「ゲームオーバー。本庄さん」
聞き覚えのある声が聞こえた。
後ろを振り返る。女が一人、笑って立っていた。
「みやくん、あなたが悪いんだよ」
意味がわからない。みやくんは、俺のことなのか?
「誰だよ。お前、なんてことを……。人殺し……。本庄さんを救えなかった……」
言葉にならない声で言い、ただ、俺は女の方を見ていた。
「そっか、そっか、私のこと覚えていないのね……。悲しいな。あんなに愛してくれていたのに……。いつの間にか、他人より遠い存在に変わってしまったみたいね」
何者なんだ、この女は?
「じゃあ、記憶喪失のあなたに教えてあげるわよ‼ 私の名前は『
彼女? もしかして、この女は俺と同じく、現実逃避の世界にやってきたのか? 未来で俺と付き合うのか?
「彼女⁉ 意味がわからないな。どうして、俺がお前と付き合うことになるんだよ」
女は、妙に納得した表情に変わった。
「ふーん。もしかして、現実逃避をしているの? 当たりかな。なんだか、私と付き合う前の、みやくんに見える。なら、また一つ教えてあげるわよ。あなたは、未来で私と付き合って、別れることになるの。そして、本庄悦子と付き合うことになる。あの女だけは、許さない。私の彼氏を奪ったのよ……。あなたも絶対に許さないわ。これは復讐よ。あなただけいい思いをして、私は捨てられるの。ほんとに悲しくて、悲しくて……。耐えきれなかった。だから、私は現実逃避をした……」
女は、涙を流しながら、話していた。
「そうか、わかった。未来の俺が、ひどい別れ方をしたってことだな……。すまないな」
申し訳なさような表情で答えて、少し考えてから、問いかけた。
「いつ別れたんだ? 詳しく聞かせてくれないか……」
女は、ニヤリと笑った。
「そうね……。横浜デートの時、午後八時頃だったかな……。みなとみらいの観覧車に乗ろうとしてたんだけど、急に、みやくんから別れたいって言われて、すごく悲しかったな……。結局、観覧車に乗らないで、そのまま別れて、音信不通。次の日、家に行ったけど、みやくん出てくれなくて……」
「なるほど……。もっと具体的に教えてくれないか、何年何月何日にどこで会って、どんなふうに別れ……」
女は笑いながら、言葉を遮ってきた。
「ふふふ、話はここまで。別れを阻止しようとでも思っちゃってる? みやくんらしいね……。行動力がすごい。ほんとに羨ましいな……。その夢に向かって頑張っている姿を見て、私はあなたのことを好きになったんだよ」
そして、女は後ろを向いて、改札口に向かって歩き出した。
「ちょっと、待てよ‼ まだ聞きたいことが山ほどあ……」
話の途中で、現実を受け入れられなくなったみたいだ。
扉の世界に戻ってしまった。目の前には、ジョンがいる。
「千秋に出会ったみたいだな。はあ……。孝之くん。モテる男は辛いね……。元カノが登場するとは夢にも思っていなかっただろう。いや、未来の恋人とでも言ったほうがいいかな?」ジョンは笑っていた。
「ふざけるなよ……。なんで、こんな辛い目に遭わないといけないんだ。本庄さんが目の前で、電車に轢かれて死んだんだぞ‼ 冷静でいられるわけないじゃないか。人が死ぬのを見てしまった……」
フラッシュバックしてしまい。気持ちが悪くなって、吐き気がした。
「それは、君が望んだことだろ。千秋と別れなかったら、こんな結末にはならなかったんじゃないのか? 君にも責任があるんじゃないのか?」
怒りがピークを迎えて、ジョンに殴りかかった。するとジョンは消えて、俺の後ろに立っていた。
「孝之くん、何をしてるんだ。君は、私に指一本触れることはできないんだよ」
もう、なんなんだよ……。この世界は……。
「そうか、触れることができないのか……。わかった。千秋との別れを止めに行く。この流れだとそれしかないってことだろ?」
「だんだん、理解してきたようだね。孝之くん。そうだ、運命からは逃れることはできないんだよ。次の扉を開けて世界線を移動してみたらどうだ?」
俺は、諦めたような気持ちで、近くの扉を開けて、中に入って、扉を閉めた。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。「
20XX年——。
「また、トイレか……」
ここは、おそらく、横浜・みなとみらいで、園内のトイレだろう。
スマホがなくなっている⁉ ポケットの中にあったはずだが……。
洗面所には、帽子、マスク、メガネが置いてあった。
誰のだ? なんで、都合よく置いてあるんだ……。
疑問に思いながらも、帽子を被り、メガネをかけて、トイレを出た。
「時刻は、午後七時五十五分」
横浜の街を一望できる観覧車には、時刻が表示されていた。
五分後に、小野寺千秋が来るはずだ。
周りを確認しながら、観覧車へと向かった——。
観覧車の近くに到着すると、隠れながら、あたりを見渡し、小野寺が来るのを待っていた。おそらく。未来の俺……。宮部孝之も隣にいるはずだ。
すると、数十メートル先で、小野寺と俺が話しながら歩いているのを確認した。
慌てて近くのお店に入って、二人を観察した。
会話の内容は、聞くことができなかった。みた感じ、何やら、揉め事をしているような雰囲気で数分経過した後、未来の俺は小野寺の手を振り払って、園内を出て行った。小野寺は泣いている……。
小野寺が、ゆっくり歩き始めたのを確認すると、俺は、お店を出て、接触を図った。
どう言えばいいか、わからない。とにかくやってみるしかない。
「小野寺、さっきは悪かった。別れを言い出して、すまない。もう二度とあんなことは言わない……」
すると彼女は、泣き止んで、不思議そうな目で俺をみている。おそらく、世界線が変わって、記憶がリセットされている。
「あれ? みやくん、何で? 帽子とメガネをしてるの? 小野寺って……」
俺は慌てて、言い直した。恋人同士だった。下の名前で読んだほうがいい。
「ああ、えっと……。千秋……? 千秋だよな⁉ そうだった、動揺してすまなかった」
「なんか、みやくん。別人みたい……。付き合う前の、みやくんをみてる気がする……」
小野寺は、疑い始めた。
「ああ! そうさ! 俺は別人になったんだよ。観覧車に乗りたいって言ってただろ? さあ、さあ、乗ろうのろう……」
俺は、強引に彼女の手を握り、観覧車の方へ誘導した。観覧車に乗ると、彼女の機嫌が良くなった。やれやれだ……。
「わー‼ 綺麗‼ すごーい‼」
小野寺は、子供のように、はしゃいでいた。彼女にこんな一面があったとは……。違う世界線では、本庄さんをホームから突き落としたと言うのに……。同一人物とは思えなかった。人って、ここまで変わってしまうものなのか。すごく複雑な気持ちになった。でも、これで、世界線が変わるかもしれない。
「喜んでもらえて、よかった……。ごめんな、千秋……」
彼女は、夜景を見ながら微笑んでいた。
「もう、謝らなくていいよ。みやくん。気にしてないから。それより、うつむいてないで、一緒に夜景を見ようよ……」
みなとみらいの街は、光り輝いていて、幻想的だった。
数分後、観覧車が頂上まで行った時、唇に柔らかい感触があった。
小野寺と、観覧車の中でキスをした……。
二人きりの空間で、目を閉じて、キスの音だけが響いていた——。
目を開けると、扉の空間に戻された。あれ? どうしてだ? 未来は変わるはずじゃないのか? 目の前に、ジョンが座っていた。
「おかえり、孝之くん。いやー。ロマンチックだったね。見ていてドキドキしたよ。なんで、また、この世界に戻ってきたのかって表情をしているね……」
ジョンの言う通りだ。俺は、呆然としていた。
まるで、涼宮ハルヒの憂鬱。エンドレスエイト状態だな……。
2006年にアニメ放送され、社会現象と言われるまでの人気を博した「涼宮ハルヒの憂鬱」「エンドレスエイト」とは、その名のとおり、八月が永遠に終わらず繰り返される話のことだ。リアルタイムで見ていて、憂鬱になった……。
そういえば、俺は、いつの日か、デジャブを感じるようになった。
「デジャブ」とは、実際は、一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象の事だ。
俺は、この世界線を一度経験したような。経験してないような……。何とも言えない気持ちになっていた。無限ループから抜け出したいはずなのに、このループがずっと続いてほしい、辛い現実に戻りたくない。そんな気持ちを抱えていた……。
「ジョン、なんでなんだ? 戻ると言うことは、世界線に変化が起こらなかったってことなのか? どうしてなんだよ‼ いいから、早く教えろよ‼」
無限ループを繰り返して、だんだん精神が、おかしくなっていくのを実感した。口調も攻撃的になってしまい、心が少しずつ壊れていく……。
「何度も言わせるなよ。孝之くん……。俺は、君を見守ることしかできないと、何度も言ったはずだ。自分で見つけるしか方法がないんだよ。誰かに教えてもらって、その通り実行して何になるんだ? それが、君の人生なのか? 人生と言うのは、君自身が作っていくものなんじゃないのかな?」
「わかった……。もうお前の言葉には、耳を傾けないし、問いかけもしない……」
扉を開けて、中に入って、勢いよく閉めた。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。「
20XX年——。
「ここは、一体どこなんだ?」
昭和に建築された築五十年ほどに見える、古い木造アパートが目の前にあって、周りは、住宅街だった。日本なのか? ここに来た覚えはない。
すると、アパートに向かって一人の女性が歩いているのが見えた。
「本庄さん? なんで、ここにいるんだ?」
黒髪ロングだったが、間違いない。彼女は、俺が知っている「本庄悦子」だ。
「また、違う世界線に来たってことなのか?」
彼女が、アパートに入るのを遠くで観察していた。
おそらく、宮部孝之という存在を覚えてはいないだろう……。話の話題を考えながら、アパートのチャイムを鳴らして、彼女が出てくるのを待っていた。
「はい、どちら様ですか?」
本庄が扉を開けて、驚きの表情に変わった。
「え‼ 宮部孝之さんですか⁉ 本物ですか?」
驚いた。なんで、俺の名前と顔を覚えているんだ?
「覚えているんですか……? そうです、宮部孝之です」
「ん? 覚えているって、一体どういうことですか。初めましてですけど……。以前、どこかでお会いしたことありましたっけ?」
一体、どういう事なんだ?
「え……。覚えていない? じゃあ、どうして俺の名前と顔を知っているんですか?」
「知っているも、何も、宮部さんって有名人じゃないですか⁉ YouTube拝見してますよ。すごいですよね。かっこいい映像ばかり投稿されていて……」
この世界線では、俺は生きていて、動画クリエイターとして活躍してるってことなのか?
「いきなり来て、びっくりしてるんですけど、でもなんだか、初めましてじゃないような……。ああ、ごめんなさい。なんでもないです。これって、何かテレビとかの撮影ですか?」
本庄は、テレビの撮影か何かと勘違いをしているような気がした。
「ここで話すのも、なんですし、中で話しませんか? お茶用意しますね」
一体、どういうことなんだ? 状況が理解できないまま、本庄さんのアパートに潜入することに成功した。
「お邪魔します……」
1LDKほどの広さだろうか、年季が入った生活空間だった。お茶を飲みながら、今まで起きたことを彼女に伝えた。世界線が変わったとしても、結局、同じことの繰り返しだ。理解されないだろう……。
「はあ……。私がホームから突き落とされて? 電車に轢かれて……。何を言ってるんですか?」
当たり前の反応だった。しかし、思わぬ反応が返ってきた。
「でも、どうして、私が昔YouTubeをやっていた事を知っているんですか? 今はアカウントを削除しています……。確かに私は、その日に電車に乗って、東京駅でレンタカーを借りて、心霊スポット、水滝トンネルへ行きました……。ああ、思い出したくないな……」
本庄さんは、心霊スポットへ行った⁉ ここまでは、話がつながっている。
「心霊スポットに行かれたんですか? 何かあったんですか?」
率直に聞いてみた。彼女は、うつむいている。
「もしかして、私を苦しめたいんですか……。
さっきまでの明るい表情とは一転して、険しい表情に変化した。
「調べれば、わかる? 一体どういう事なんですか……?」
俺も、険しい表情になっていた。
「出てってください‼ あなたの顔なんか二度と見たくないわ‼」
本庄は、怒りの表情になって、俺を強引に、外へ連れ出し、扉を勢いよく閉めた。
「どういうことなんだ……」
ポケットからスマホを取り出して「本庄悦子 心霊スポット」と検索した。
なんで、ポケットの中にスマホが入っているんだ? そんなことは、どうでもいい。今は、調べることに神経を集中させていた。すると、記事を見つけた……。
「女性YouTuber 本庄悦子。心霊スポットでレイプされる?」
記事の内容は、衝撃的だった。あの日、本庄さんは、水滝トンネルへ向かった。そして、撮影中、水滝第二トンネルで、見知らぬ男にレイプされた。犯人は、いまだに捕まっていない……。今は、だいぶ落ち着いているみたいだが、レイプの影響で、心に傷を負って、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだみたいだ……。
それから、彼女は、男性と深い関係になることができず、孤独になった。
「そういえば、
その可能性が高い。あの言葉の後、映像は真っ暗になって、行方不明になった。でも、この世界線だと、彼女は、行方不明になっていない? もう、意味がわからなくなってきた。とにかく、そのレイプを止めれば、心に傷を負わず、YouTubeを続けていて、人気YouTuberになるはずだ。
そして、現実逃避をして、扉の世界に戻された……。
「ジョンがいない……?」
いつも、椅子に座って、笑っているジョンがいなかった。なぜだ?
「よくわからないが、とにかく俺は、やるよ。本庄さんがレイプされるのを止めてみせる……。もうそれしか、道がないんだろ……。なあ、ジョン……。答えてくれよ……」
もう、自分が何がしたいのかわからなくなっていた。心もおかしくなっているのかもしれない。現実は、意味のわからないことばかりだ。突然、不幸が訪れて、当たり前だったことが、当たり前ではなくなる。何か辛かったりしんどい時に、人の優しさだったり、ありがたみがわかるようになるんだ——。
扉を開けて、中に入って、閉めた。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。「
2015年7月13日——。
「トイレ?」
ここは、おそらく駅のトイレだ。新宿駅か? スマホを見て確認する。
「2015年7月13日——。時刻は午後六時十五分」
三十分後に本庄さんが、電車に乗るはずだ。俺は、急いでJR中央線に向かった——。
いや、ちょっと待てよ。本庄さんが、ホームに転落する世界線じゃないか……?
この世界線では、俺が、本庄さんを助けようとして、千秋に殺される……。
恐怖を感じた。もうあんな辛い思いはしたくない。
JR中央線のホームから、本庄さんを遠くから見ていた。すると彼女は、何事もなく電車に乗って、東京駅に向かった。
「千秋が現れない? 世界線が変わったのか?」
よくわからないが、とにかく千秋は出現しない。このままだと、本庄さんは水滝トンネルへ向かって、行方不明になる⁉
現実逃避をして、扉の世界に戻り、再び扉を開け、中に入った。
扉は消えて、トランプが一枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。「
2015年7月13日——。
「公衆電話? 水滝第一トンネル……」
トンネルの前に「立ち入り禁止」と書かれている看板はなかった。
スマホを見て時刻を確認する。バッテリーは「1%」しかない。
右ポケットの中には、懐中電灯が入っている。
「2015年7月13日——。時刻は午後十時」
本庄さんが、この場所に来るはずだ。スマホの電源が切れた。
首なし地蔵を見ると、
先の見えない、トンネルの出口からは、赤い橋が見えた。
「これが、赤い橋か……。すごく不気味だ……」
橋を渡ると、もう一つトンネルがある。
このトンネルで、本庄さんは行方不明になった。
数百メートル進んだところで、行き止まりになっている。
「噂通りだな……。トンネルの近くで、本庄さんを待つか……」
トンネルの近くにある、茂みに隠れて、待機することにした。
スマホの電源が切れて、時間がわからない……。
一時間ほどだろうか? ずっと待っていて、考え事をしていた。
そういえば、扉の世界から、世界線を移動する時、扉にトランプが貼ってあった……。
「ジャック、クイーン、キング」三種類の絵札だ。
このトランプは、何か意味があるのだろうか? もしかして、世界線を意味しているのではないか?
・ジャック 世界線だと、本庄さんはPTSDに苦しむ
・クイーン 世界線だと、本庄さんは人気YouTuber
・キング 世界線だと、本庄さんは行方不明
仮説を立ててみた。
しかし、この世界線で本庄さんを救おうとすると、いくつか障害が起きる。
ジャックだと、俺は千秋と別れず、有名な動画クリエイターになるが、本庄さんは、水滝トンネルへ向かってしまう。レイプされてPTSDになるだろう。
電車を止めようとしても、ストーカー扱いだ。おそらく、電車に乗るのを止めることはできない。
クイーンだと、本庄さんは、人気YouTuberになるが、俺は、水滝トンネルで行方不明。つまり、無限ループを抜け出すことなんてできない。
キングだと、本庄さんは、行方不明。いや、待てよ。同じキングでも世界線が変化しているのか? 千秋が現れて、本庄さんがホームに突き落とされた時、
トランプのカードには、スペード、クラブ、ダイヤ、ハートの4種類のマークがある。各マークは春夏秋冬、13枚は四季が13週ずつあることを意味している。
おそらく、スペードは「死」クラブは「行方不明」を意味しているはずだ。
結局、どっちにしても、本庄さんを助けることはできない。
「この世界線で、犯人を掴めて、助けるしか選択肢がないのか……」
頭が痛くなってきた、わからないことだらけだが、とにかくやるしかない。
すると、女性の声が聞こえた。本庄さんだ⁉
本庄さんは、カメラを片手に撮影をしている。
トンネルの前に到着すると、カメラのバッテリーを交換して、数分喋り、トンネルの中に入っていった。おそらく、トンネルを数十メートル進むと、犯人が現れるはずだ……。
そして、本庄さんの声が聞こえた。「あなたは誰?」
「本庄さん‼ やっぱり犯人が現れたか⁉」
急いで、彼女を助けに向かった。
しかし、彼女の前には、誰もいない。
「きゃー‼ あなたは誰? 幽霊? なになに何?」
本庄さんは、パニックを起こしている。
「俺です‼ 宮部です。本庄さん、あなたを助けにきた」
彼女の手を握って、トンネルから連れ出そうとした。
「宮部? 助けにきた? 意味がわからない。 いやだ、離して‼ 誰か助けて〜‼」
大きな声を出して助けを求める。一体、どういうことだ……?
大きな声を出されると、マズイと思い、彼女の口を手で塞いだ。側から見たら、女をレイプしているように見える……。
待てよ、もしかして、レイプをした犯人って、もしかして俺のことなのか……?
「本庄さん、一緒に現実逃避をして、あの扉の世界に行こう。必ずあなたを救ってみせる」
勝手に言葉が出てきた。現実逃避をするってことは、この世界線から消えて、本庄は行方不明になる。
「2016年10月7日——。金曜日、午後八時頃。俺は、恵比寿にあるスイッチバーというところに行きます。多分、記憶がないと思うけど、会ってください。十時になるとパーマ男Qに出会います。彼はもしかしたら、俺のことを覚えているのかもしれない……。それから——」
「え……。それってどういう意味なの? 意味がわ……」
話の途中で、俺と、本庄さんは消えた。
本庄さんが持っていた撮影用のカメラが落ちた。
そして、そのカメラを、何者かが、手にしていた——。
2017年7月15日——。
「ここは、なんだ……⁉」状況を理解することができない。
近代的なホテルのような空間で、無数の扉のある廊下のような部屋が広がっている。
そうだ‼ 俺は、孝之と一緒に心霊スポット動画を撮影していたんだ。
トンネルに入って、気づいたらこの空間に飛ばされた。
「なんだ、新入りか?」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、ロン毛の男が立っていた。
「初めて、この世界に来たって顔だな……。まあ、混乱するのもわかるが、すぐになれるさ。あんた、名前は?」
「俺の名前は……」
「Qだ……。Qと呼んでくれ」
ロン毛の男は、笑っている。
「Q? それが、お前の名前か? まあ、名前なんてどうでもいいんだけどな……。俺の名前は、
握手を求められた。
「ああ、こちらこそ、よろしくな。一体、どうなっているんだ?」
俺は、意外にも冷静だった。
「この空間のことか? そうだな……。「死後の世界」って言った方が話がわかりやすいかもな……。俺は、ここに来て、日が浅いんだ。色々と試している最中って感じかな」
「そうか……。わかった。わかる範囲で教えてほしい」
そして、世界線、扉を使って移動すること、死ねないことについて話を聞いた。
「現実逃避をすると無限ループが繰り返される……? 死ねない? 呪われてるってことか?」
「うーん。呪われているというより、夢の中にいるような……。そんな感じかな。とにかく原因を見つけないと、ここから脱出できないってわけだ。宮部孝之? だっけ、そいつも別の世界線に飛ばされていると思うぜ。違う場所で同じようなことを繰り返してるんじゃないか?」
「そうか、わかった……。ちなみにユーキって何歳なんだ?」
「宮部ってやつと同い年だよ」
大人びて見える。話を聞くと、彼は、映像関係の仕事をしてるみたいだ。
「孝之と同い年⁉ そうか、俺の方が年上だけど……。まあ、この世界だと年上も、年下も関係ないな。それより、仲間にならないか? 一緒にこの世界を脱出しよう。協力してくれ」
「協力? ああ、いいぜ。意味ないと思うけどな」
孝之、必ず助けてみせる……。
ユーキと協力して、この世界から抜け出すことを決意した——。
2015年7月13日——。
「⁉」状況を理解することができない。
洋風のクラシックなホテルのような空間で、無数の扉のある廊下のような部屋が広がっている。
そうだ‼ 私は、水滝トンネルで動画を撮影していたんだ。
トンネルに入って、宮部って男に襲われて、気づいたらこの空間に飛ばされた……。
「あの、誰かいませんか? いたら返事をしてください……」
呼びかけても返事は聞こえなかった。私しかいない感じだ。
「はあ……。なんでこんな目に遭うの……。辛いよ……」ため息をついた。
私の人生って、いっつもこうだ。肝心なところで、つまづいてしまう。今回の企画は、かなり気合を入れていた。徹底的に準備をして、みんなが求めている演技をした。水滝第二トンネルの中を撮影した、YouTuberは、存在しない。だから、私は、チャレンジして、
「そういえば、何か言ってたよね……」
早口で言っていた内容を思い出した。
「2016年10月7日——。金曜日、午後八時頃。俺は、恵比寿にあるスイッチバーというところに行きます。多分、記憶がないと思うけど、会ってください。十時になるとパーマ男Qに出会います。彼はもしかしたら、俺のことを覚えているのかもしれない……。それから——」
「助けに行けばいいんじゃないか? 本庄悦子さん……。ようこそ、現実逃避の世界へ……」
背後から、男の声が聞こえた。後ろを振り返ると、白髪の男性が立っていた。
「きゃあ‼ あなたは誰?」
男は笑っていた。
「大丈夫だよ、襲ったりはしない。ただの案内役さ」
男は、近くにあったソファに座りながら、世界線、扉を使って移動すること、死ねないことについて話をした。
「現実逃避をすると無限ループが繰り返される……? 死ねない? 私って呪われてるの?」
恐怖を感じた、ここは地獄? それとも天国?
「無理もないな……。ここに来た人は、みんな同じ反応をするよ。そうだな……。宮部くんも同じ反応だった」
「宮部くん? ちょっと、あなた、宮部って男を知っているの⁉ 私を襲った……」
「襲った? ああ、そんなことを彼はしたのか……。そうだとも、宮部くんの事は、よく知っているよ——」
宮部が、違う世界線で無限ループを繰り返していること、私を助けるために、もがいていることを白髪の男は教えてくれた。
「そうだったの——。私を助けるために……。なんで、あなたは、教えてくれるの? 名前はなんて言うの?」
「俺の名前か? そうだな、
「そう……。わかったわ。ジョン、長い付き合いになりそうね」
私は、微笑しながら、この世界から抜け出すことを決意した——。
真っ暗な世界が広がっている。俺は、一人、ひとりぼっちだ……。
無力で、卑怯者で、自分勝手。この世界に馴染めなかった。
現実を受け入れなくなった……。俺は、彼女を救えなかった、失敗した……。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
俺は失敗した失敗した失敗した失敗した……。
「誰か助けて……。俺の人生は無意味だったのか……」
「いいかげん、諦めた方がいいんじゃないかな? 宮部孝之くん」
白髪の男が、笑いながら、目の前に現れた。
「君は、現実逃避をする運命なんだ。もう、終わりにしよう」
俺の心は、とっくの昔に燃え尽きていた。惰性でやってただけなんだ……。
私は、目の前の扉を開けた。宮部さん、あなたを助けたい——。
扉の中に入って、ゆっくり閉めた。
扉は消えて、トランプが二枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。
「
トランプは、クロスして、貫通していた。世界線が交わっていた。
「私の部屋だ……」
あの日、水滝トンネルに行った時と変わっていない。
リビングに行き、カーテンを開けると窓越しから太陽の光が部屋へと降り注ぎ、暗かった部屋を一気に明るくさせた。清々しい朝だった。
ポケットの中に入っていた。スマホの画面を見て時刻を確認する。
「2016年10月6日——」
どうやら未来の世界に飛ばされたみたい。あ《﹅》
明日、宮部さんは、恵比寿にあるスイッチバーというところに行く。
私は、小ぶりのバックを取り出して、化粧をして、準備を始めた——。
2016年10月7日——。
お昼頃、美容室に行き、エクステでショートからロングにイメチェンした。
実は、元々ロングヘアが好きだった。
でも、活発な女の子「本庄悦子」を演じるために、YouTubeを始めてからは、ずっとショートヘアだった。視聴者さんの期待に答えて、イメージを崩したくなかった。
いつの間にか、好きで始めたことなのに、期待に答え続けないといけない。プレッシャーを感じていた。
昨日、スマホで「本庄悦子」のことを調べてみた。
水滝トンネルで行方不明。本庄悦子のYouTubeチャンネルに
誰かが勝手に投稿したんだ——。
私は、行方不明。死んだも同然だ。もう周りの期待に答えなくていい。本当の意味で好きなことができるんだ。とりあえず、エクステでロングにして、生まれ変わった自分を見ていた。作り笑いではなく、本物の笑顔だった。
午後七時頃。私は、恵比寿にあるスイッチバーに到着した。
早めに到着して、宮部さんを待つことにした。
「一時間後に、宮部さんが来る——」
おそらく、彼は、私のことを覚えていないだろう。
でも、宮部さんに、もう一度会いたかった。
気持ちを抑えることができなかった。
スイッチャーに声をかけて「宮部さんが来たら、私を紹介して」と伝えた。
カウンター席でお酒を飲んでいると、午後八時頃、彼が現れた。
彼は、スイッチャーと会話をした後、私の隣の席に座った。
「初めまして、宮部と申します。スイッチャーの人に紹介してもらって……」
やっぱり、私のことを覚えていないみたいだ。
少し残念な気持ちと、嬉しい気持ちが複雑に絡み合っていた——。
最近、上京して映像を頑張っていること。同窓会で再会したアイちゃんって女の子と男女の関係になったけど、それから進展がなかったこと。悩みなど……。お酒を飲んでいたこともあってか、彼の本心を聞くことができた。純粋で優しくて、人の痛みがわかる素敵な男性だった。私を襲ったのにも、理由が必ずあるのだろう。そんなことをするような人には到底思わなかった。
「失礼ですけど、彼氏さんとかって……」
宮部さんは、私のことについて聞いてきた。
「え? 彼氏? いませんけど……」
「ああ、そうでしたか……。いや、こんなに綺麗な人がどうして、一人でBARにいるのかと、気になったもので……」
「実は、最近、彼氏と別れて、寂しくて……。出会いを求めて、このBARに来てるんですよ。宮部さんも出会い目的で、来てるんでしょ? 同じですよ」
嘘をついてしまった。
彼氏と別れていない、出会い目的ではない。宮部さんを助けるためだ。
そもそも、私には、彼氏がいない。本気で男の人を好きになったことがなかった。学生時代、男の人と付き合って、SEXも経験した。処女ではない。深い関係になるのが、怖かったのかもしれない。臆病者だから——。SNSは、私の
彼と、会話を楽しんで、連絡先を交換した。
LINEの名前には「タカユキ」と書かれていた。
「じゃあ、私はこれで、あなたに出会えてよかった……って、何でもないです」
涙を流していた。助けたいはずなのに、お店を出てしまった。
宮部さんのことを、好きになってしまった——。
今まで、色んな嘘をついてきたけど、この気持ちは隠すことができなかった。
もっと別の形で出会いたかった。顔が赤くなっていた。
恋をして、胸が苦しくなっていた。
お店を出て、数メートル歩くと、男性二人組とすれ違った。
「パーマ男……。もしかしてQさん?」
慌てて、時刻を確認した。
「午後十時……」
そうだ、Qさんと宮部さんが初めて、出会う日だった。
「ちょっと、待って‼ Qさん」
そう言おうとして、振り返った時、後ろから、誰かが襲ってきた。
「ゲームオーバー。本庄悦子さん」
「え?」
状況を理解することができなかった。
背中に何やら、刺さった感触があった。血が流れている。
女が一人、立っている。笑っていた。
「残念だったね。悦子さん。あなたには、もっと苦しんでもらわないといけない。だって、私のミヤくんを奪ったんだから」
ミヤくん? 宮部さんのこと? 私が奪った?
私は、言葉を発することなく、その場から消えて、扉の世界に戻された。
「あの女は、誰? 何が目的?」
ジョンが笑っていた。
「おかえりなさい。本庄悦子さん。孝之くんを助けることができなかったね。残念だ。もう一度、やってみるかい? まあ、結果は同じと思うけど……」
失敗した、失敗した、失敗した……。
宮部さんを助けることができなかった。自分を
私は、一体何をしてるんだ……。自分のことが嫌いになった。
そして、大粒の涙を流していた——。
俺たちは、目の前の扉を開けた。孝之、必ず助けてみせる——。
扉の中に入って、ゆっくり閉めた。
扉は消えて、トランプが二枚、ゆらゆらと、地面に落ちた。
黒色の絵札。
「
トランプは、クロスして、貫通していた。世界線が交わっていた。
ポケットの中に入っていた。スマホの画面を見て時刻を確認する。
「2016年10月6日——」
どうやら過去の世界に飛ばされたみたいだ。
「さあ、行こうか」
「そうだな……。人助けも悪くないな」
後ろを振り返る。飲食店の入口の扉だった。
スイッチバーは、数百メートル先にある。
おそらく、孝之は店内にいるはずだ。俺のことは覚えていないだろう。
お店に向かって歩いていると、黒髪ロングの女性とすれ違った。
彼女は、泣いていた。
「うん? どうした?」
「いや、なんでもない」
どこかで、出会ったことがあるような……。気のせいか。
お店の前に到着した。少し深呼吸をして、決意に満ちた声で言った。
「よし、行こう。ここには、何度か来たことがあるんだ。お店に入ったら、チケットを購入して、お酒を飲もう。そして、ビリヤードとダーツをしよう……」
ユーキは微笑していた。
「わかった。もし俺がいなくなったとしても、気にせず、続けてくれ。戻ってこなかったとしても顔色変えずに、孝之と一緒にいてくれ」
入口の扉を開けて、店内へと入って行った——。
2017年7月15日——。
公衆電話がなった!
「うわぁあああああああああ!」
孝之は、驚いた。録画は止めていなかった。
覚えている。この後、孝之は公衆電話の中に入るはずだ。
それから……。あれ? このあとはどうなるんだ?
水滝第一トンネルに入って、現実逃避の世界に来たんだ。
無限ループを繰り返しているはずだ。
なのに、記憶が断片的だ。一体どう言うことだ?
「今からでてみる、外から撮影しといて」
孝之は、公衆電話の中に入ろうと移動した。
その時、カメラのバッテリーが切れてしまった。
慌てて、バックの中をみる。しかし、予備のバッテリーが見当たらない。
「なぜだ? 予備のバッテリーがなくなっている……」
バックの中にバッテリーが入っていたはずだ。
「もしかして、盗まれた?」
次の瞬間、突然、目の前が真っ暗になった。そして、駐車場に戻っていた……。
一瞬だった。状況を理解できない。
「ユーキ? 女?」
目の前には、手足をロープで縛られて、ガムテープで口を塞がれているユーキがいた。後ろから首にナイフを当てられている。女は笑っていた。
「Qさんね。初めまして……って、あなたは、覚えてないだけで、私は、何度もあなたに会ってるんだけどね」
何度も会っている? 一体どう言うことだ?
「お前は何者だ? ユーキを離せ‼」
「離せ? ふーん。なら取引しない? 私の名前は、千秋よ」
千秋? 孝之の元カノ? 何故か知らないが、見覚えがあるような、ないような。 不思議な気持ちになった。
「取引?」
「そうよ。今から言う、私の要求に応じて……。そうすれば、ユーキを助けてあげる。カメラのバッテリーもお返しするわ。安心して、フル充電済みだから。けど、要求に応じない場合、ユーキを殺す。理解した? 天才Q? あなたは邪魔なのよ。ホント、マジでうざい」
不機嫌そうな表情だった。
「わかった。要求はなんだ?」
「意外に素直なのね。感心したわ。そうね……。みやくんを水滝第一トンネルまで誘導して。撮影は続行。ここで、私と出会ったことは秘密にしてほしい」
「誘導する? 撮影は続行? ちょっと、待ってくれ‼」
孝之をトンネルに誘導すると、どうなるんだ?
また、最初からやり直しになるんじゃないのか?
あの日、バッテリーがなくなって、交換したことは覚えている。
すぐに撮影を続けて、トンネルの中に入ったんだ。
そして、現実逃避の世界に迷い込んだ。
バッテリーが切れた時、目の前が真っ暗になっただけで、扉の世界に戻らなかった。
何故だ? もしかして、無限ループから抜け出したのか?
これが現実? リアル? 夢? どっちなんだ?
現実だとすると、ユーキが死ぬと、扉の世界には戻らない?
「人殺しが正当化されることなんてない」
俺は、つぶやいた。千秋は、悪魔だ。人間ではない。
「この世界。つまり現実逃避の世界では、ループを繰り返している。けど、痛みは共有される。あんたは、人を殺しすぎている。おかしくなったのか? もう人間じゃないよ」
待てよ。思い出した。あの時、孝之は、俺がいない時? 本庄悦子を見たと言っていた。まさか……。本庄悦子が、孝之を助けに来たのか?
「まさか、本庄が孝之を助けに行くのか? 世界線がクロスしてる?」
「ピンポーン。その通り。天才Q」
千秋は笑っていた。そして、自分の脇腹にナイフを思いっきり刺した。
「そうよ。本庄悦子が、みやくんを助けようとする。だから、私は彼女を止める」
千秋は消えた。
「まずい、本庄が危ない。ユーキ大丈夫か?」
ガムテープを剥がして、ロープを
「Q‼ 俺のことはいいから、お前は、孝之を助けに行け‼」
バッテリーを握りしめ、急いで孝之を助けに向かった。
「孝之くん、逃げて。このトンネルに入ってはダメ‼」
私は、諦めなかった。諦めることができなかった。
公衆電話をたたいていた。彼を止めないといけない。
「わかった。わかった。とにかく出て、話を聞くから叩くのをやめてくれ‼」
意外にも冷静だった。
「なんで、俺の名前を知ってるの?」
「説明してる時間はないの。とにかく、あなたはトンネルの中に入らないで……。私の名前は、悦子、本庄悦子だから……。それから……」
「私は、新宿駅のJR中央線快速に乗って、東京駅まで行って、レンタカーを借りて……。水滝トンネルへ向かったの。電車の時刻は『18:45』だから、絶対に忘れないで」
「ちょっと待て、行方不明になった? 本庄悦子さん? なんでここにいるんですか? 全く理解でき……」
話の途中で、時空が変わるのを肌で感じた。彼は、後ろを振り返る。
Qが走っていた。その時、私の背後から気配を感じた。後ろを振り返る。
満面の笑みで、女が立っていた。
「ゲームオーバー。本庄悦子さん」
包丁を持っていた。ああ、いつも、この女に邪魔をされる。
女の敵は女なんだ。現実逃避の世界に戻された。もう、涙は流さない。
本庄が刺された。消えた。
おそらく、彼女も現実逃避の世界を、さ迷っているのだろう。
「孝之、お待たせして、すまなかった。予備のバッテリー持ってきた。これで大丈夫だ。すぐに撮影を再開しよう……」
嘘をついた。孝之と再会して、水滝第一トンネルの中に入っていった——。
これが、千秋のシナリオだろう。そうはさせない。戦うんだ。
時には、逃げてもいい。ただ、待ってても意味がない。やるしかないんだ。
Qが走っている。俺は、後ろを振り返る。そこには、本庄と千秋がいた。
「させるか‼ お前の思い通りにはさせない。これで、ゲームイズオーバーだ‼」
包丁を取り上げようとして、もみ合いになった。
そして、包丁を奪って、千秋を刺した。
「痛い……。ああああああああ……」
声にならない声で、悶絶していた。
涙を流していた。俺も涙を流していた。
この世界は残酷だ。そして美しいはずなんだ。
「嫌だ、死にたくない‼ 私まだ生きていたい‼ みやくん。大好きだったのに。なんで、こんなことになっちゃったんだろうね……」
もがき苦しんでいた。千秋に、トドメを刺した。楽にしてあげたかった。
何も感じなかった。現実逃避をして、心が壊れてしまったのだろうか——。
俺たちの戦いの日々が、終わりを告げた。
現実逃避の世界に戻された。ジョンが笑っていた。
「いや、お見事。孝之くん。大したやつだよ。早く現実の世界に戻るといい。一つだけ伝えておくことがある。現実の世界に戻ると、この世界で起きたことが、全て記憶から消える。Q、本庄悦子、霧島優希も同じく。それでも戻る覚悟はあるかい?」
ジョンの後方に扉が一つだけ設置されていた。まるで、どこでもドアだ。
「記憶が消える? 霧島? 誰だそいつ? よくわからないけど、俺以外にも、この世界をさ迷っている人がいるみたいだな。分かった。俺は、戻ってやらないといけないことが山ほどあるんだ。とっとと帰るよ。もう戻りたくないね。こんな世界に」
扉を開けて、中に入って、閉めた。扉は消えて、ジョンも消えていた——。
「Q‼ 大丈夫か?」
水滝第一トンネルの中で、目覚めた。頭がクラクラしていた。
なかなか夢と現実の区別をつけることができない。
「孝之? ああ、大丈夫だ。なんで、俺たち眠ってたんだ?」
「よくわからないけど、夢を見ていた気がする。思い出せない……」
そして、俺たちは撮影を再開した。
特に何も起こらず、撮れ高の良いものは撮れなかった。
次の日——。
目が覚めると、自宅にいた。頭が痛い。時刻は正午。
昨日、撮影を終えて、Qの車に乗ったところまでは覚えている。
おそらく、車内で、そのまま眠ってしまったのだろう。
そこから先の記憶は曖昧だ。夕方からQのマンションへ向かった——。
Qのマンションに到着すると、すぐに編集作業を始めた。
人影や不気味な音がないか、探しながら編集していたが、特に気になる箇所はなかった。
「孝之、昨日は、何も霊的現象を撮ることができなかったな。ああ、そうだ。本庄のシーンはカットしろよ」
「本庄のシーン?」
理解できなかった。何か問題でもあったのか?
「とぼけるなよ。本庄が行方不明って言ってただろ? 本庄がトンネルの中から走ってきたとか言ってて……。ほら、この映像のことだよ」
Qは。動画を、俺に見せた。
「いや、さっきQがいない間、本庄悦子を見たんだよ。あの行方不明になった。なんか、トンネルの中から走ってきて、公衆電話を叩いて……」
動画を見ると、確かに俺は、本庄悦子が行方不明と言っていた。
「本庄って、行方不明じゃないのか?」
てか、なんでQとの会話が動画で残っているんだ?
俺は、スマホで「本庄悦子」と検索した。
彼女は、心霊スポットに行ったが、何も起こらず、今もYouTubeに動画投稿を続けていた。あれ? なんで行方不明と思っていたんだ? 一体どういうことだ?
「俺、本当に孝之が呪われたかと思って、心配したんだぞ。あれって演技なのか? 打ち合わせしといてくれよ。アドリブで言うのはやめてくれよ」
Qは、やれやれとした表情で笑っていた。
三時間ほどで、カット編集が終わり、Qに一度、動画を見てもらった。
「うーん。まあ、いいんじゃないか。ちゃんと撮れてるし、臨場感あっていいと思う。あとは、テロップ入れて、BGMとか入れれば完成ってところか……」
「そうだな……。俺も良いなと思ってる。なあ、Q。心霊スポット動画は、この一本だけにして、仲間を集めて、一緒にホラー映画を作らないか?」
「唐突だな。ホラー映画?」
「ああ、そうだ。ホラー映画のタイトルは……。『二十一世紀の若者たち』男女で繰り広げられる。恋愛模様を描いたショートホラーにしよう」
「なんだ。なんだ……。面白そうだな。やってみるか。さすが、孝之だ」
Qは笑いながら、提案を受け入れてくれた。
早速、本庄のインスタグラムをフォローして、DMを送ってみた。
数分後、返信がきた。おそらく、お断りだろう。
無名の俺たちと一緒に動画を撮ってくれるほど、暇ではないはずだ。
しかし、意外な答えが返ってきた。
「ホラー映画? 面白そうですね。ぜひ、詳しくお話し聞きたいです‼」
それから、数回メッセージをやり取りして、一ヶ月後、直接会って話をした。
元々映画が大好きだったこともあり、割とあっさり協力してくれた。
何故か知らないけど、お互い初対面ではないような、不思議な気持ちになった。
一ヶ月ほどで脚本が完成した。
Qの脚本は、天才的だった。
彼も映画好きで、とにかく話の展開が面白かった。
Qのインスタグラムで繋がった。霧島優希と言う映像クリエイターが参加したいと声をあげて、承諾。友人役で、本庄のマネージャー、
主演 宮部、霧島、本庄、塚本
撮影 宮部、霧島、Q
自分のアイディアが形になっていく工程がたまらなく楽しくて充実した毎日だった。
撮影は順調に進んでいった。
二十一世紀の若者たちは、前半はラブコメの要素が強いが、中盤、シリアスになっていき、ラストは衝撃的な内容だった。恋愛要素とホラーが上手くマッチして、見応えのある作品だ。学生時代と社会人時代が交互に交わっていて、メッセージ性が強い。
俺は、出演回数は少なかった。撮影に専念した。
三ヶ月後——。
ついにラストシーンの撮影を迎えた。
Qのマンションに、主演四人が集まった。
ラストは、俺のマンションに本庄がきて、包丁で刺すと言う衝撃的なシーンだ。
「本庄さん。よろしくお願いします。これ、撮影道具です」
打ち合わせ後、本庄にあるものを渡した。
おもちゃの包丁で、刃の部分が何かにあたるとグリップの中に引っ込み、まるで刺さったかのように見える。
「これ、刺さっても、引っ込むので、痛くないですし、安全です。なので、思いっきり僕の腹に刺してください」
「わかりました。宮部さん、やっちゃいますね」
受け取ると、笑みを浮かべて、エレベーターに乗って一階へ降りて行った。
ラストシーンの流れは、こうだ。
本庄が家に遊びに来て、会話をした後、ノイズキャンセリングイヤホンをプレゼントする。そのイヤホンで音楽を聴いている時に、刺されて、物語は終わりを迎える。
経緯は、省略するが、このラストで、若者たちの葛藤と嫉妬心を描いていた。
撮影は、無事終わり、部屋は血まみれだった。ハードな撮影で、普段、温厚な本庄さんが暴れ回ってる姿は新鮮だった。撮れ高は、よかったが、Qは提案してきた。
「孝之、本庄さん、お疲れ様。良い映像が撮れたと思うよ。一つ提案なんだけど、別バージョンも撮っておかないか? 貞子の格好で」
そうだった。今回の作品で使うかわからないが、貞子の衣装とウイッグを用意していた。ジャパニーズ・ホラーといえば、やっぱり、貞子だ。
奥の部屋で、本庄さんは着替えを済ませて、リビングに戻ってきた。
長い髪に真っ白な衣装の貞子がそこにいた。
「おお、いいね。雰囲気出てる。良い感じじゃん」
霧島は、笑っていた。霧島が出演しないときは、カメラマンとして撮影・編集をお願いしていた。彼は動画クリエイターで、メンバーの中で一番撮るのが上手いからだ。
「本庄さん。奥の部屋で、待機してくれる? 合図を出したら、すぐ部屋から出てきて、孝之を刺してほしい。刺したところでカットして、顔のアップ撮るから」
「霧島さん、わかりました。宮部さんもよろしくお願いします」
床に付着していた、血のりを綺麗に落として、血まみれの服を脱いで、新品の服に着替えた。このシャツもすぐに血まみれになるのだが……。
「よーい、アクション‼」
霧島の声が部屋に響く。俺は、演技に集中していた。
流れは、こうだ。
主人公が、スマホで呪いの動画を見ていたところ、部屋の奥から貞子に扮した本庄さんが出てきて、包丁を持って襲ってくる。
前後のシーンは、先月、あらかじめ撮影していたので、このシーンが撮れば、作品として完成する。怖がる演技が、苦手だが、まあ、テイクを重ねて、頑張るしかない。
霧島が合図を出して、俺は後ろを振り返る。そこには、貞子が立っていた。
「うわぁあああああああああ!」
心の底から、驚いた。まるで。
「ん? 本庄さん?」
あれ? 本庄さんって、身長、こんなに低かったっけ?
百五十センチほどの貞子が、そこにいた。
待てよ、まさか、マネージャーの塚本さんにチェンジしたのか?
モデル体型の本庄さんより、低身長の塚本さんの方が、俺は、いい気がしてたんだ。
Q、霧島が脚本を変えたのか?
なんなんだ。全く、変えるなら一言、言ってくれれば良いのに。
「カット、カット……」
痺れを切らして、撮影を中止した。
Q、霧島は、驚いた顔をしている。
部屋の奥から、塚本さんが出てきた。本庄さんは見当たらない。
「宮部さん、どうしたんですか? 何か問題でもあったんですか?」
塚本さんは、不安そうな表情だった。
「え……。一体どう言うことなんだ? こいつは、誰だ……?」
背筋が凍った。恐怖を感じた。部屋の中に、俺たち以外の何者かがいる——。
幽霊? 本物? リアル? そんなバカな。
「ちょっと、待てよ。なんなんだよ……」
霧島は、パニックになっていた。
「ふふふ……」
女の笑い声が部屋に響く。この笑い声に見覚えがある。忘れたくても、忘れられない人だ……。冷酷な殺人鬼。後ろ手には、銀色の鋭利なものが眩い光を放っていた。
「千秋……?」
無意識に彼女、いや元カノの名前を口にした。なんでだ? 俺は、彼女と付き合っていない。いや、観覧車の中でキスをした。彼女にトドメを刺した。包丁で引き裂いた……。あの日の記憶が、鮮明に……。走馬灯のように頭を駆け巡る。
現実逃避をしていたんだ。あの日々を……。
「う……」
吐き気がして、口を押さえた。
「孝之、大丈夫か?」
Qが心配そうな顔をしている。
「ふふふ……。ゲームオーバー。みやくん……。会いたかったよ……。私を置いて、こんな楽しいことしてるなんて。ずるいよ。私も混ぜて」
そう言うと、長髪のウィッグをとって、俺を見つめていた。
覚えている。この顔は、千秋だ。なんで、彼女を覚えているんだ?
もしかして、まだ、現実逃避の世界にいるのか?
「まて、まて。なんで、お前がいるんだ? 俺が、ころ……。いや、倒したはずだろ……」
震えた声で、千秋に問いかける。
千秋は、怒りに満ちていた。
「そうよ‼ 確かに私は、あなたに殺された。辛かったな……。お陰で、あれから地獄のような日々が始まった……。でも、こうしてまた会えてよかった。今度は、私の味わった苦しみを、あなたにも味合わせてあげる……」
そう言うと、近くにいた、霧島の脇腹に包丁を突き刺した。
「嘘だろ……。痛い。痛い‼ くそ……。こんなところで死ぬのかよ……」
声にならない声で、霧島は、床に倒れた。
赤い水滴が床を赤く染めていた。
女性たちの悲鳴が部屋中に響く。
「やめろ……。やめてくれ……」
俺は、涙を流しながら、訴えた。
「やめるわけないでしょ。私を殺したくせに、よく、そんな平気な顔ができるものね。あなたも同罪よ。この世界では、何をしてもいいの。痛みは共有されるけど、最高の世界じゃない‼」
何を言っても、彼女を止めることはできないみたいだ。
包丁を奪い取るしかない。
「宮部さんが、この女の人を殺した? 一体どう言うことですか? 宮部さん……」
塚本さんは、涙目で、俺に問いかけた。
千秋は、塚本さんをみた。次のターゲットは、塚本さんみたいだ。
千秋は、笑いながら襲いかかった。
「千秋——。やめろ‼」
塚本さんは、抵抗したが、あっけなく刺されて、床に倒れ込む。
人殺しが正当化された世界にいるのではないかと錯覚するほどだった。
そして、俺は千秋と揉み合いになった。
「はなして、みやくん……」
千秋は、邪魔をされて、イラついた表情をしている。
まるで、バトル・ロワイアルだ。この戦いは、いつまで続くんだ。
包丁を振り回して、次々と殺戮を繰り返されていく。
でも、何故だ? なぜ、日付が変わって、あの世界に戻らない? なぜ、殺されても、その場に横たわっているんだ? まさか、世界線が変わっているのか? この世界は、一体なんなんだ? 疑問ばかりだ。
振り返ってみると、俺の人生って失敗ばかりだった。色んな人に笑われて、努力しても、結果に繋がらなくて……。ただ、この映像制作を始めて、とても充実した日々を過ごせていた。やっと、本気で、やりたい事を見つけることができたんだ。こんな所で死んでたまるか‼
千秋には、怒りの感情が湧いてきた。彼女は、俺の邪魔ばかりしてくる。
そうだ、彼女は、俺自身なんだ。俺の心の中にいる存在なんだ。
奥の部屋では、本庄さんが倒れている。塚本さん、霧島、Qも致命傷だ。
まさに、地獄絵図だ……。
「なんで、俺たち、こんな事になってしまったんだろうな……」
千秋と付き合っていた日々……。思い出が蘇る。
千秋と別れた原因は、正直言って、メンヘラだったからだ。重荷になっていた。
そして、目黒プロモーションで、本庄さんと出会い。彼女のことを好きになってしまった。たまらなく好きだった。
この気持ちを伝えられないまま、彼女は、いなくなってしまう。
千秋の右手に持っていた、包丁が鋭く輝きを放つ。
俺の脇腹に、包丁が突き刺さった。これが、リアルでも、夢でも、どっちでもいい。
「さよなら……」
ただ、愛してるの言葉を伝えたかった……。
「久しぶりだね。孝之くん……」
ジョンは、笑っていた。
また、現実逃避の世界に戻ってしまった。
もう、現実には戻れないのだろうか?
生きている限り、人間の争いは絶えない。
戦争、暴力、差別、いじめ……。程度の違いは、あるけれど、憎しみの連鎖は止める事ができない。現実も、この世界も、元々、まともじゃないんだ。でも、この世界で生きていかなくちゃならない。どんなに辛くても、打ちのめされても、前を向いて、生きていくしかないんだ……。
「さて、どうするんだ? 孝之くん? そろそろ、終わりにしよう。決めてくれないか。戦うか、諦めるか……」
「そうだな。ジョン。決めるよ……。俺は……」
いい加減、決断しなければならない。
今までの、日々を振り返ってみた。
Qは、俺の可能性に投資をしてくれた。
霧島は、映像で世界が変わると信じていた。
本庄は、人気YouTuberになる為に、夢に向かって頑張っていた。
千秋は、過去の思い出を捨てきれなくて、苦しんでいた。
塚本さんは、本庄の活躍する姿を夢みてた。
ユキちゃんは、彼氏と別れて、新たな幸せを探していた。
そうだ。これから、出会う、沢山の出会いに感謝して、今を生きていくんだ。
みんな、何かと戦っていた。俺だけだ、逃げていたのは……。
情けない気持ちで一杯だ。
こんなに素敵な仲間たちと過ごした日々を忘れたくない。
いや、忘れられない……。
「生きると言う事は、戦うと言うこと。誰しも皆んな戦っているんだ。だから、俺は戦う。失敗を恐れない。戦って、戦って、戦いまくる。無意味だったとしても、やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い」
やっと、気づくことができた。
なるほど、そう言うことだったのか。
「孝之くん。それが、君の答えか……」
ジョンは、いつもと違い、険しい表情をしていた。
そして、扉の方へ逃げようとしていた。
「まてよ。ジョン……」
彼の肩を叩いた。彼の正体に気づいた。
「お前は、誰の心の中にも存在しているんだろ?」
ジョンは、笑って、振り向いて、答えた。
「正解だ。孝之くん……」
そして、次の瞬間、消えてしまった。
「さよなら、ジョン……」
俺は、走り出した。目の前にある扉を開けて、次の世界線へ。
「無限ループを恐れては、ダメなんだ。受け入れるんだ。運命を」
みんなを救いたい。Q、霧島、千秋、塚本さん、ユキちゃん、そして、本庄さん……。みんなが幸せになる世界線を目指して、扉を開け続けた。
そういえば、この世界線は、トランプで例えられていたよな……。ジャック、クイーン、キング。クロスした世界線もあったっけ……。今までの世界線だと、誰かが不幸になっていた。もう、そんな辛い思いをさせたくない。
「俺は、変わったんだ。だから、目指す。ジョーカー世界線を‼」
答えを探しても、正解はなかった。
正解は、自分で見つけるんだ。
悲しみの裏側は、楽しいではなかった。
幸せは、掴みに行くものだ。
待っていても、やってこない。
心のずっと奥の方に、種があるはずだ。
そのタネは、
雨の数だけ、力強い、綺麗な花が咲くはずだ。
新宿駅で、本庄さんが、千秋に押されて、人身事故になった世界線に行った。
「ごめんな。千秋。俺が悪かった……。俺のせいだ……」
涙を流して、謝って、千秋を抱きしめた。
そしたら、彼女は、一言。
「ありがとう、みやくん……」
千秋は、笑顔のまま、消えた。
本庄さんは、少しだけ、嫉妬していた。
スイッチバーに初めて行った時の世界線。
あの時、本庄さんと出会っていたんだ。
思いを伝えたら、彼女は笑って、抱きしめてくれた。
Qと初めて出会った世界線。
霧島、いや、ユーキとも出会っていた。
俺に投資をしてくれて、ありがとうと伝えた。
スマホの画面ばかり、見ていた日々とおさらばして、今を生きることにした。
世界線を移動して、たくさんの今まで、出会った人に感謝の言葉を伝えた。
すると、同じ出来事も、少しずつ変化した。
全てが順調に進むはずだと思っていた……。
ある日、扉を開けて世界線を移動しようとすると、変化が訪れた。
「あれ? ここはどこだ?」
美しい夕焼雲が空を流れていた。
オフィスの窓からは、木洩れ日が見えた。
「お待ちしてました。宮部孝之さん……」
一番奥のデスクに男が座っていた。
「
この顔に見覚えがある。そうだ‼ 日本一と言われている。動画クリエイター・森下将人だ。俺が動画を始めるきっかけになった人、憧れの人だ。
「恐縮です。あなたに、ある物をお渡しするために、きて頂きました」
あるもの? 一体なんなんだ?
「まあ、席に座ってください。お茶、持ってきますね……」
おそらく、まだ現実逃避の世界だ。彼を信用してもいいのだろうか? 俺は、席に座り、将人さんと向かい合って話をした。お茶を飲もうとしたが……。飲むのをやめた。
「宮部さん、大丈夫ですよ。毒なんて入ってません。飲んでください」
微笑していた。コップを持って、恐る恐る温かいお茶を飲みほした。
体に異常は、起こらない。
「疑心暗鬼で、申し訳ないです。この世界にきていろんな事がありすぎて……。それより、あるものって一体なんですか?」
疑問ばかりが浮かんでくる。
「そうですね……。単刀直入にいいますね」
空気が変わるのを肌で感じた。
「あなたには、才能がある。僕が言うから間違いありません。それと、鍵をお渡しします。扉を開けるか、開けないかは、あなた自身で決めてください。あなたには権利があります」
そう言うと、右のポケットから、鍵を取り出して、机の真ん中に置いた。ロールプレイングゲームに登場してそうな、形をしている。現実世界では、なかなか見る事ができないだろう。
「ちょっと、待ってください。いきなり何を言うかと思えば、才能がある? 鍵を渡す? どう言うことですか?」
俺は、椅子から立ち上がり、混乱していた。
「どうも、こうも、言葉の通りですよ。Qさんも言ってたでしょ? 二十代のあなたに戻れるなら、全財産渡すって——」
それは、確かに言っていた。あのマンションの中で……。
そして、世界の真理を教えてくれた。将人さんは、笑っていた。
「話は、以上です。ダラダラ話しても意味がないですし……。それと、私とあなたは、再び、出会う運命にあるようです。その時、また、お話しましょう。先の未来で、待ってますから。必ず、きてくださいね」
そう言うと、空間が徐々に歪んでいき。扉が一つ、目の前に現れた。
鍵がかかっている。
「この、鍵であけて、中に入れってことか……」
落ちていた、鍵を拾って、扉をあけて、中に入った。
鍵を右ポケットにいれて、周囲をみた。あれ? この場面、見覚えがある。
「どう言うことだ……?」
俺は、あの二十一世紀の若者たちの撮影現場にいた。
主演全員が揃って、目の前には、貞子がいる……。千秋だ……。
「みんな、逃げろ‼ 早く……」
大声が部屋中に響く。抵抗したが、俺以外切りつけられてしまった。
長髪のウィッグをつけたまま、殺人鬼は、笑っていた。
止める事ができないまま、部屋中を逃げ回っていた。彼女の手を払いのけ、玄関の扉を開けて、飛び込むと、また、違う世界が広がっていた。
「はあ、はあ……。ここは、どこだ——」
息を荒げ、苦しそうに、つぶやいた。
「なんとか逃げ切れたな……って。ん? 俺は、何に逃げてるんだ?」
記憶喪失なのか。俺は……。何も思い出せない——。
記憶が断片的で、状況を全く理解する事ができなかった。
けど、とてつもない、何かと戦っていた気がした。
「そうだ⁉ 俺は、Qと一緒に心霊スポットで動画を撮ってたんだ。トンネルに入って……。それから……。頭が痛い……」
頭を抑えて、跪ひざまずいた。
水滝トンネルで撮影した記憶が蘇る。
「扉……?」
目の前には、三つの扉が、横並びにならんでいる。
左から順に「青・黄・赤」だった。
「どこでもドアみたいだな……」
苦笑しながら、ドアを観察していた。
扉は、朽ちていて、薄気味悪いオーラを放っている。年代物のようだ。
扉の色と形に見覚えはない。これは、何か意味があるのだろうか?
その扉の奥には、無数の扉のある廊下のような部屋が広がっている。
扉には、数字・アルファベットが書かれていた。意味がわからない。
果てしなく続いていて、まるで人生を表しているようだった。「終わりは、決まっているのに、先が見えない——」無音で、真っ白な空間。時間が止まっている感覚だった。どう考えても、おかしい……。現実ではない……。
「いつから、俺はこの空間に迷い込んだんだ……。原因は、なんだ?」
疑問しか湧いてこない。その時、右ポケットの中に何かがあるのに気づいた。
慌てて、俺は、右ポケットに手を突っ込み、取り出した。鍵だ……。
ロールプレイングゲームに登場しそうな、形をしていて、現実世界では、滅多にお目にかかれない。
「ん? 鍵? これを使って、扉を開けろってことなのか?」
次の瞬間——。
「孝之! 待て、罠だぞ」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえてきた。
Qの声だ。彼は生きていたんだ。
生きていた……? どういう意味だ?
「まさか、記憶がないのか……」
驚いた表情をしている。
「いや、Qの事は、わかる……。水滝トンネルに入ったら、この世界に迷い込んだんだ……」
「そうか、わかった……。あの日の出来事は、記憶にないって感じだな」
妙に納得した表情に変化した。
「孝之、話がある」
そして、これが、最後の出会いになってしまった——。
「そうだったのか……。そんな事があったなんて……」
現実逃避の世界で、無限ループを繰り返していたこと、俺を助けようとしていたこと。記憶にない出来事を教えてくれた。
「でも、なんで、記憶に残っていないのだろうか。不思議だ……」
「俺もよくわからないが、孝之は、現実逃避での出来事を忘れたみたいだな……」
「ああ……。そうだ。Q、ジョンとも前にどこかで、出会った気がするんだ。けど、出会った事実を思い出せない……」
不安な気持ちになった。
「孝之、大丈夫さ。思い出せないだけで、一度会ったことは忘れないと思う。だから、心配しなくて良い」
Qは、涙目で笑みを浮かべた。
「なあ、孝之。実は、俺、ユーキと出会う前に、未来の世界線をみたんだ。そして、あることに気づいた。2020年以降、俺は、現実の世界にいなかった」
え? それって、まさか……。
「どれだけ、世界線を変えようとしても無理だった。運命は変えられないみたいだ。2020年に世界規模でパンデミックになったんだ。俺は、感染して、病院で死んでいた。あっけなかったよ」
そんなバカな……。
「お前から、見れば、俺は、未来がわかるすごい人に見えたかもしれない。当たり前だ、未来をみて、思ったことを口にしていただけなんだから……。あと、俺は資産300億円の投資家ではない。あのマンションで、最初に話した、平凡なサラリーマンだ。けどな、世界線をみて、面白い事がわかったよ。未来の孝之は、どの世界線でも成功者になっていた」
俺が、成功者?
「俺の言ってた言葉は、未来の孝之! お前自身が言ってた言葉なんだよ」
「未来……? 俺の言葉……」
「ああ、そうさ……。孝之、成功者になるためには、二つの条件があるんだ。それが何かわかるか?」
二つの条件? 俺は、答える事が出来なかった。
今は、まだ理解できてないみたいだ。
「孤独と情熱だ‼ お前は、孤独を受け入れて、好きな事に情熱を注ぎ続けられる。何の迷いもなく……。それは、才能だ。お前なら日本一、いや、世界一の動画クリエイターになれるはずだ。偶然じゃない、必然だ……」
Qと、出会ったのは、もしかしら偶然じゃなくて、必然なのかもしれない。
目頭が熱くなっていた。
「初めて、俺が孝之と出会った日から、YouTubeでお前のVlogを頻繁に見てたんだ。そしたら、Vlogを始めたくなった。前に話してただろう? Vlogとは生きた証を残すために、やってるって。だから、俺は生きた証を残すためにVlogを始めた。俺がこの世界にいなくなっても、Vlogはずっと残り続けるから……。だから、死ぬのは怖くない。遅かれ早かれ、みんな死ぬんだ。今日、死ぬか、数年後に死ぬかの差だ……」
Qの唇は、震えていた。
「そんな、いやだ、いやだ……。あんまりだ……。Q‼ 考えなおしてくれ……。頼む」
涙を流していた。俺も泣いていた。
「一つだけ、伝えておく、あの中目黒のマンションは、お前に譲る。好きに使ってくれ。お前の人生は、そこから始まるんだ‼ 生まれ変わるんだ‼ それと、レクサスは、レンタカーだから、次の日の朝に返却してくれ……」
俺たちは、微笑した。
「レンタカーだったのか……。レクサス」
「俺の給料で、買えるわけがないだろ。けど、何故か、あのマンションは、持ち家になってたんだ。ローンも返済されてる。不思議なことって、あるもんだな」
人生って、不思議なことばかりだ。
「わかった……。俺、頑張るよ。必ず成功者になってみせる」
人生は、しばしば航海に例えられる。俺は、その航海に臨む船長なんだ。孤独じゃない、仲間がいる。これから先、いろんな仲間と出会い、そして、旅をするんだ。
「ああ……。先で待ってるぞ……」
Qは、息を引き取った。
大粒の涙が止まらなかった……。
決意をすると、三つの扉が一つになり、真っ白な扉が現れた。
この色は、生命の誕生を表現しているのだろうか? 美しい輝きを放っている。
この世に生まれた時は、誰もが、真っ白なキャンバスを持っている。思いのまま自由に描いていいんだ。自分の人生が終わる。その時まで、キャンバスは黒くなることはないのだから。最初から、完璧にできる人なんていない。なんでもやってみたらいい。長い旅が、終わった……。いや、新しい物語が始まったんだ‼
「さて、いくか……。新しい人生の始まりだ……」
ドアノブを捻って、重たい扉を開け、中に入った。
どうなるかは、未知数だ。だから、面白いんだ。
さあ、人生を楽しもう——。
「ここは、どこだ……?」
全身に気だるさがあり、瞼まぶたが重くてしょうがない……。
寝室から、リビングに行き、カーテンを開けると窓越しから太陽の光が部屋へと降り注ぎ、暗かった部屋を一気に明るくさせた。
スマホの画面をみる。
「20XX年XX月XX日——」
どうやら未来の世界に飛ばされたらしい。
いや、何を言っているんだ。現実だ。
悪夢を見ていた。体が重くてしょうがない……。
「そうだ……。渋谷のハチ公前で、彼女と待ち合わせをしていた。やばい‼ もうこんな時間だ……」
急いで、着替えを済ませて、中目黒駅に向かった。
空は雲一つなく冴え渡っている。新しい一日の始まりだ。
玄関の表札には「237」と書かれている。
人生を料理に例えると、失敗はスパイスなんだ。
スパイスばかりだと料理が台無しになってしまう。
人生を楽しんでみえる人たちは、その分、辛い事を経験している。
現実逃避をして、もがいて苦しんで……。
先が見えなかったとしても、その時間は無駄ではない。
必ず財産になる——。
「ごめん、お待たせ……って、あれ?」
五分ほど、遅刻をしてしまった。
「ああ、すみません、人違いでした……」
彼女と間違えて、声をかけてしまった。後ろ姿が彼女そっくりだ。
その人は、会釈をして、スクランブル交差点まで、歩いて行った。
メッセージのやり取りを確認する。
「ここで待ち合わせで、あってるよな……」
スマホから目を上げると、遠くから見覚えのある女性の姿が目に入った。
「なんだ、お互い遅刻か……」
前日に、あれほど楽しみと言っていたのに、やけに不機嫌そうな表情だ。
あとで、ゆっくり話を聞こう。彼女の奢りの喫茶店で。
それと、今後の俺たちの関係について、しっかり話し合うべきだ。
このまま、ズルズルと一緒にいても何も発展しない。
お互い、大人になりきれてないなと痛感する。
まるで、長いトンネルの中をずっと
しかし、まあ、最初に話す話題は決まっている。
そうだな。まず、今朝みた夢の話をしよう。
あの悪夢のような出来事を……。
俺を見つけると、表情は一変して、笑顔に変化した。
彼女は、ゆっくりと近づいてくる。
そして、数メートル先で、立ち止まった。
「お待たせ……。遅刻して、ごめんね……」
後ろ手には、銀色の鋭利なものが眩い光を放っていた——。
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