5年習ったギター講師が実は◯◯だった話⑨
レッスンに行かなくなって早3ヶ月。
この5年間、毎月2回必ず行ってたのに、行かなくなって距離ができると、もうどうでも良くなってしまう。
4ヶ月前に一緒に行ったライブ以降、レッスン日が決まっても変更されたり、伊坂の体調不良やドタキャンが相次いで、レッスンになかなか行けなくなった。
おそらくあのライブで、聞いちゃいけないことを聞いてしまったのも、原因の一つとしてあるような気がした。
LINEを開く。メッセージは3ヶ月前からない。
私からLINEをしなければ絶対にこないだろう。
「怠け者」という言葉が似合う男だ。
怠け者ではない男は、食べ物がなくなれば買いに行ったり、お金がなければ仕事を探したり、女が欲しければアプローチしたり、そんなことを当たり前にする。
なんとかしなければと動くもの。
怠け者の男は、何もしない。
食べ物がなくても、お金がなくても、必ず女性がなんとかしてくれるという確信がある。
待つのだけは得意で、いつまでも待っている。待ち続ける。待つのが自分の勝ちパターンとすら思ってる。
そして、そんな怠け者の男と相性が良いのが、働き者の女だ。
私がなんとかしなくちゃと働いて、男のために尽くすのだ。
伊坂の周りにも、そんな働き者の女がいるのだろうと思う。
「飲み行きませんか?」
と打って、送信。なんの前触れもなく。
直球だ。どうでもいいと思う。もうレッスンも行く気ないし、ギターも飽きてきたし。
この先もずっと会わないのなら、興味本位で最後に一回会ってみたいと思った。レッスン関係なしに、プライベートで。
数時間後。
「来月でもいいですか?」
と返信がきた。いつでもいいよ。でも、会う気なんてないだろうと思う。
プライベートで2人きりで飲むのだから、逃げられない。当然、「ギター講師以外の仕事」についても聞くし。
聞かれてもいい覚悟がなければ来ない。だから絶対来ない。当日に逃げるだろう。
私の行きつけのBAR。早い時間なら空いてるけど、念のため予約した。
早めに行って、まずワインを一杯。緊張を和らげたくて、アルコール度数の高い酒を摂取する。
次にジントニックを頼んで、伊坂を待つ。
ジントニックが来た。と同時に入り口のドアが鳴った。
振り向かないほうが良い。振り向かないで、突然隣に座る伊坂に、軽く驚くようなリアクションをとったほうが良いと、頭では考えてるのに、体が勝手に動いた。
振り向いた。伊坂がいた。
「お疲れ様です!良いところですね!普段こういうところ来ないんで」
「お疲れ様です。来たんですね。来ないと思ってました。」
「なんでですかー笑
来ますよ。めっちゃ楽しみにしてました」
どこまで嘘で、どこから本当なのか。
軽くて浅い会話はいつものこと。心のこもってない言葉でも、言われると嬉しくなる。
「すみません!角ハイボールお願いします!」
バーテンダーさんに注文する伊坂。
メニューを見ずに注文する伊坂に、メニューを見せる。
BARは、メニューがあるならメニューを見てほしい。値段も分かるし、お酒の勉強にもなる。
カクテル。知らないでしょう?こんなにたくさんあるの。
BARに入ってすぐ、どこにでもあるような角ハイボールを注文するのは、多人数で「とりあえず生」みたいなノリで好きじゃない。
色々あるのだから、色々見てから決めれば良いのにといつも思う。
「めっちゃ色々あるんですねー!」
メニューを見る伊坂。
「それ、ジントニックですか?」
私のカラになったグラスを見て言った。
「そうです」
「同じので良いすか?」
「え、あ、はい」
「すみません!ジントニックお願いします」
目の前にいるのに、すみませんと声をかけてバーテンダーさんに注文する伊坂。
そういう感じねと思う。ここでは私は「女」なのか。
女性の注文を代わりにすることに、すごく慣れている。不自然なまでに、カラになったグラスを見逃さない。
でもそういうのは求めてない。それに私は違うのが飲みたいの。ここのBARで飲むカクテルが好きだから。
ジントニックを少し残した状態でメニューを開く。
「あ、何か注文しますか?」
と、すかさず伊坂が声をかけてくる。
うるさい。少し黙ってて。
「あー、はい。えーと」
目の前にいるバーテンダーさんは、私が注文する態勢に入ってることに気づいてる。
目線をバーテンダーさんに向ける。
「コスモポリタンお願いします」
黙って頷くバーテンダーさん。
「コスモポリタン!へぇ。そんなのあるんすね」
女性の注文をするという仕事を奪われた伊坂。
もうある程度、察しはついてる。だから聞いた。
「前も聞きましたけど、ギターの先生以外に何かやってるんですか?、、その、、○○とか」
少し固まる伊坂。
「なんでですかー!」
否定も肯定もしないのは、肯定だ。笑って誤魔化す伊坂。
言いたくないなら言いたくないって言えばいいのに、どうして曖昧な回答をするのだろう。
「え、本当に○○なんですか??」
もっと踏み込んで、再び聞いた。
どうでもいい。どうでもいいからこそ、5年縮まらない距離感を壊してみたかった。あなたも私のことをどうでも良いと思ってるのだから、もういいでしょう。
はっきりと線を引かれたその先に、踏み込んでみたかった。その先を見たかった。
「えー、、あーー、、。言わないでくださいよ。本当に。言わないでください」
スマホを取り出して操作する伊坂。
少しして、画面を私に見せてくれた。
何かのサイト。画面にはナンバーがつけられた男性が10人並んでる。
1番から順番に見ていってると、伊坂が指をさして言った。
「これ、自分です。恥ずかしいんであんま見ないでください」
そこには、加工された伊坂がいた。
引いた。
正直、ここまで深く、その仕事に関わってると思わなかった。もっと浅い部分で、軽いバイトくらいなものだと思ってた。
私はあまり、その仕事について知らない。
知らないことは、否定したくなる。これは、私が知ってる伊坂ではない。
気持ち悪いと思った。加工が強くて、まるで蝋人形だ。
気取った蝋人形と目が合う。こいつは誰だ。
衝撃で言葉を失った。
「いつから気付きました?」
伊坂が言った。
そのままでいいのに。
加工のない伊坂を見た。
「いや。いつからというか、おかしいなって思ってて。ライブとか全然してないし。レッスンもあんまりだし。なんか夜に仕事してるのかなって」
「あー、そうですか。なんかすみません」
照れなのか、ようやく言えた安堵なのか、頭を少し下げながら言う伊坂。
衝撃はまだあるけど、聞きたいこともある。
ノリよく、何も気にしてない風に演じなければと思う。
「え、ていうか、すごい稼げますよね。○○」
「いや、そんなでもないんですよー。自分は」
何かが吹っ切れたのか、○○について饒舌になる伊坂。お酒の力。どんどん飲む。ペースが早すぎる。
メニューを見ながら、
「マティーニは飲んだことあります!やばかったです!強くて」
と伊坂が言った。
それはフリだろうと思う。
「じゃあマティーニ頼みます」
「ええ!?」
出てきたマティーニを一口飲んだ。
無理だった。たぶん、40度超え。
「大丈夫ですか。自分飲みますよ」
私が口をつけたマティーニを手に取り、そのまま一気に飲んだ伊坂。
あまりに自然な流れで、受け入れるしかなかった。
ハイボール、ハイボール、ハイボール。
チェイサー代わりのハイボール。
こんなにお酒に強い人は初めて見た。そりゃあ、飲み慣れてるか。仕事上。
お店を出た。
楽しかった。とても。でも、何かが引っ掛かる。考えないようにしなきゃと思う。
私には、関係ない。何も関係ない。
5年も見てきた。だから大丈夫。今まで通り、何も変わらない。
帰り道、同じ電車に乗って、私は一駅で降りた。
振り返って、走り去る電車に手を振った。
窓から見えた伊坂は、もうスマホを見ていた。
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