5年習ったギター講師が実は◯◯だった話⑥
スタジオの前で伊坂が誰かと電話してる。
レッスン時間の3分前。
「おぅ、じゃああとでなー!」
いつもよりも砕けた喋り方で言った。
友達かな。友達いたんだ。
「あ、おはようございます!」
私に気付いた伊坂が言う。
「おはようございます」
「ちょっと1本吸ってから行きますんで、先入っててください」
3分前ですけど。
取り出したタバコはアイコスレギュラー。知り合いが喫煙者の場合、タバコの銘柄を覚えておくと、差し入れするときに役に立つ。
伊坂のタバコはアイコスレギュラーと、頭の中にメモする。絶対忘れない。
部屋に入ると、椅子と譜面台とギタースタンドが2人分ずつ、既にセットされていた。
今日はアコギの日なので、アンプは使わない。
私はどっちの椅子に座ればいいのか、しばし考えて、壁にある鏡に自分の顔が映らない方の椅子に座る。
ナルシストな伊坂のことだから、自分の顔を常に見ていたいだろうと思う。
前髪の分け目、今日も決まってますよ。強いていうなら6:4ではなく7:3の方が似合うよ。黒目の外側の位置から分けるのが黄金比だ。
ギターを出してチューニングする。
レッスン前はいつも弦を張り替える。レッスン中に弦が切れたら困るのもあるけど、
伊坂が私のアコギを弾く時がたまにあるから、その時に錆びた弦だと恥ずかしいから。
新品の弦はチューニングがズレやすい。
ゆっくり丁寧にチューニングする。
「あ、すみません。遅れました。じゃあ始めましょうか!」
軽く椅子に座り、鳥が描かれたギターを取り出す伊坂。
チューニングして、ひと鳴らし。
「え」
「?」
何故か固まる伊坂。
「あー、、、」
「???」
どうしたのだろう。
横を向く伊坂。
と思ったら椅子から崩れ落ち、ギターを床に置いてしゃがみ込んでしまった。
「あ、の。どうしたんですか?」
声をかける。本当にどうしたの。
「いや、、、。ここに来る前、階段のところで転んじゃって、、」
転んじゃって、という言い方に母性本能をくすぐられる。
伊坂がギターをひっくり返し、背面から横の部分を見せてくれる。
「あ」
ジグザグに割れている。それも、かなりの範囲で。
「あーもう、、どうしよ。」
しゃがみ込んだまま動かない伊坂を前に、私も何もできない。慰める?どうやって。そもそも直るのこれ。
可哀想だと思う。
細い伊坂がしゃがみ込むと、隙間なく折り畳まれて、私よりもずっとずっと小さくなる。頭や背中を撫でたくなる。
落ち着け。大丈夫。大丈夫だよ。
「これ、直るんですか」
聞いてみた。とにかく、気を紛らわせたい。
「いや、あー、、。これ、おとんの、、」
おとん。お父さん。
その先再び途切れる言葉。想像するしかない。
このギターは、お父さんから貰ったものなのかな。
尚更、何も言えなくなる。中途半端な慰めの言葉も出てこない。
突然。
「あー!もう!すみません!もうこれちょっと弾けないんで!気分下がるんで!ギター借りてきます!」
ガバッという効果音が聞こえたように、部屋を飛び出す伊坂。吹っ切れたのか、いきなりだった。
そうだ、今はレッスン中だった。
戻ってきた伊坂の手には、真っ黒のアコギがあった。スタジオで借りたもの。
「じゃあ!始めましょう!」
空元気という言葉が似合う。
譜面を見ているふりをして、チラッと伊坂の顔を見た。
前髪の間から見える目が、少し赤い。
え、、泣いた?、、嘘、、。
その瞬間、鳥肌が立った。私のせいじゃないのに、責任を感じた。なんとかしてあげなくちゃと思った。
お父さんの、大切なギター。
何事もなく、とはいかないだろうに。なんとか通常通りのレッスンをしようと必死の伊坂。
泣いてるかもと思うと、顔を見られなかった。
黒いギターは伊坂には似合わない。
赤茶の、いつもの、鳥が描かれたギターが似合う。
レッスンが終わって家に帰った後にLINEした。
「あのギターどうするんですか?修理できるんですか?」
「今日のレッスン、すみませんでした。修理出します!」
「修理っていくらぐらいするんですか?」
「だいたい7万円くらいです。笑」
「結構するんですね」
「はい」
レッスン料金はいつも封筒に入れてその場で現金払いだから、次回のレッスンのとき、3万くらい入れておこうと思った。
また、鳥のギターを弾く伊坂が見たい。
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