第22話
〜母親視点〜
透ちゃんが無罪だったことが朝のニュースで分かってから数日が経過した。
透ちゃんはまだ私たちに対して怒っているようだった。
私が話しかけても、ほとんど無視するかおざなりな対応しかしない。
前の優しい透ちゃんなら,親である私のことを無視するなんてありえなかったのに、今では短い返事すらしてくれなくなった。
「あなた…どうしましょう…」
「何、美味しい料理でも作ってやれば機嫌を直すさ」
私は夫と相談して透ちゃんに高級食材を使って美味しい料理を振る舞うことにした。
無罪の透ちゃんのことを信じてやれなかったお詫びに、高い昼食を振る舞えば、透ちゃんも少しは機嫌を直してくれると思った。
けれどそんな私たちの歩み寄りにも、透ちゃんは決して振り向こうとしなかった。
「今日は友達と食べるから」
「待って…!透ちゃん!」
「おい、透。それはないだろう!?お母さんが朝から一生懸命作ってくれたんだぞ?」
「ん?なんで今日は俺の食事があるの?いつのみたいに俺の分なないのかと思って、友達と食べる約束しちゃったんだけど」
「…っ」
そう言われて私は何も言い返すことができなかった。
今更ながら、いくら透ちゃんが性犯罪を犯したかもしれないとはいえ、ご飯を出さないのはやり過ぎだったと過去の行いを後悔した。
「おい待つんだ透!!」
私がせっかく作った手料理を透ちゃんに食べてもらえなくてがっかりする中、夫が透を呼び止めようとした。
そのタイミングでインターホンが鳴って、見知らぬ男が我が家を訪ねてきた。
「〇〇新聞の斎藤というものです。如月家で起こった事件について取材を、と思いまして」
男は大手新聞社の記者だった。
如月家で起こった事件の取材のために透にインタビューがしたいということだった。
夫はアポもなしに突然やってきたこの記者を帰らせようとしたのだが、何を思ったのか透ちゃんが夫を押し除ける形でこの記者を家にあげた。
そして、事件のあらましについて語らなくてもいいような詳細まで完全にしゃべってしまった。
私たち両親は、透ちゃんを信じてやれなかった手前、とても気まずい思いでその取材の一部始終を聞いていた。
「事件が起こった後、周囲の反応はどうだった?」
「誰も味方になってくれませんでした。家族でさえもが、俺を犯罪者扱いして非難しました」
「「…っ」」
透ちゃんは、まるで当て擦りのように記者にそう暴露していた。
私たちが透ちゃんにご飯すら出さなかったことを知って、記者さんはまるで私たちを咎めるような目で見てきた。
「大丈夫かしら…」
取材が終わった後、透ちゃんも友人と昼食を食べてくると家を出て行ってしまった。
私は、あの記者が新聞に要らぬことを書くのではないかと心配だった。
「まぁ大丈夫だろう。毎日全国各地で起こる珍しくもない犯罪事件の一つとして扱われるさ」
夫はこのことが問題にはならないと、完全に侮っているようだった。
しかし私はなんとなく嫌な予感がした。
何かこの後によくないことが私たちに起こるような気がしたのだ。
……そしてそんな悪い予想は的中する。
「な、なんだこれは!?どうしてこんなことに…?」
「ああ、やっぱり…」
如月家で起こった事件の記事が大手新聞に掲載され、そしてネットでも公開されると、たちまちSNSなどで拡散され、そして炎上した。
炎上の原因は、透ちゃんを嵌めた如月姫花ちゃんとその父親ではなく、透ちゃんを世間と一緒になって攻めた私たち両親だった。
『実の息子を犯罪者扱い。クズ親』
『典型的なハズレ親』
『親ガチャ大外れやん』
『この東雲透って子、めっちゃ可哀想』
『家族にも否定されるってめっちゃキツイよな…』
『そこは一番家族が庇ってやるところだろうが…』
『息子への愛より、世間体が優ったんだね』
『親失格』
『毒親』
『親辞めたら?』
『子供を愛せない親とかいらない』
『冤罪を被せられた息子を庇うどころか一緒になっていじめる親とかマジで終わってるな』
世間的には、私たち両親が、冤罪で息子である透ちゃんに虐待を働いたことは絶対に許されないことだったらしい。
毒親、親ガチャハズレ、などと言われて私たち両親はボロクソに叩かれた。
……さらに私たちの不幸は続く。
「おい…お前のブログのせいで会社からの電話が鳴り止まないぞ…どうしてくれるんだ?」
「え、あなた…?どういうこと?」
「お前がネットで書いていたブログが特定されたんだよ!!そこに上がっていた写真からネットの連中が俺の勤めている会社まで割り出したんだ!!!今,会社のSNSやホームページが炎上中だ……苦情の電話も殺到しているらしい……ああ、私はどうなってしまうんだ…」
「そんな…」
今回の事件を炎上させたネットの人たちによって、どうやら私が日々書いていたブログが特定されてしまったらしい。
私はネットのブログに、家族や夫のことについて書いていて写真などもアップしていたのだが、そこから現在夫が勤めている会社が割り出されてしまったらしい。
「最悪なことになってしまった……ひ、ひとまず出社してくる…」
「…は、はい」
夫は青ざめた様子で家を出て会社に向かっ
た。
私はもう私たちの手ではどうしようもなくなってしまった事態が、早く収束することを願って祈ることしか出来なかった。
その夜、夫がまるで魂が抜けたような様子で帰ってきた。
「どうしたの…あなた…?」
「…」
帰ってきて空な瞳で何も言わない夫に、私は何があったのか訪ねた。
項垂れていた夫が、ゆっくりと顔を上げた。
その表情が徐々に怒りに染まり出した。
「お前の…お前のせいで俺は…!!!」
パシッ!!
「きゃっ!?」
唸るようなビンタが飛んできた。
乾いた音がなり、頬を打たれた私は、吹っ飛んで地面に叩きつけられた。
「10年以上勤めてきたんだぞ!!お前達家族を養うために俺は努力してきたんだ!!!その努力が…頑張りが……全て無駄になったんだぞ!!!どう責任とってくれるんだ!!」
「やめてっ…お願いあなたっ…暴力はやめて…!!!」
夫は私を殺さんばかりの勢いで怒鳴り散らした。
私はただただこれ以上暴力を振るわれるのが怖くて、ひたすら頭を抱えてうずくまっていた。
怒りの形相で怒鳴り散らす夫の言葉は支離滅裂だったが、夫が会社をクビになったことは理解出来た。
後から、ようやく気持ちが静まった夫に事情を聞くと、夫は10年以上も勤めた現在の会社を今回の炎上騒ぎが原因で追い出されたらしい。
ネットでの炎上騒ぎのせいで、夫の会社の評判は地に落ち、仕事の受注件数も大幅に減って会社の業績が一気に傾きかけたそうだ。
このまま火が燃え広がると、会社が倒産しかねないため、会社は原因である夫を退社させたことを世間に公表し、火消しを行おうとしたらしい。
「殴ってしまって本当にすまなかった……ああ…俺は本当に最低だ……お前達を養うために、俺は退社を拒んだんだ……そしたら部長は俺に、ゴミの分別などという仕事をあてがってきて…それで俺は…」
夫は一旦は退社を拒んだらしい。
日本の法律では、正社員を簡単にクビにすることはできない。
上司から自主退社を勧められた時、夫はその命に逆らってまで会社に居残ろうとしたらしい。
だが、会社の上層部は夫を許さなかった。
夫の上司は、夫を会社から追い出すために、ひどい環境下でのゴミの分別という仕事をあてがったそうだ。
「クーラーもない狭い倉庫だ……廃材や錆びついた重機が置いてあって……そこに本社で出た生ゴミが積み上がってたんだ…ネズミがウヨウヨいて……ああ、思い出しただけで鳥肌が立つ……すまない…私にはあんな環境での仕事なんて考えられなかったんだ…」
ずっとホワイトカラーとして室内でパソコンを前に仕事をしてきた夫には、ネズミがいるような衛生下での仕事は生理的に受け付けないものだったらしい。
夫は結局、会社の処置に屈してその日のうちに辞表を出してしまったらしい。
「終わりだ……これから私はどうすればいいのだ…」
夫は、今回の炎上騒ぎのせいで、もう同業他社などには勤められないだろうと口にした。
もしもう一度働き始められる可能性があるとしたら、全くの別の業種でになるのだが、そこでは今までのノウハウは全く役に立たないわけで、これまでのような待遇はとても望めないとのことだった。
そもそもこの歳で雇ってもらえるかすら怪しいと、夫は嘆いていた。
「ああ…私たちはこれからどうすれば…」
失業保険で食いつなげたとしてもほんの数ヶ月だろう。
それがなくなったら、家や車のローンの払えなくなり、私たち家族はたちまち食いつめてしまう。
順調だった私たちの家族生活は、一気にどん底まで落ちて、お先真っ暗となってしまった。
「おしまいだ…もう何もかも終わったんだ…」
夫はその日から,酒に入り浸るようだった。
次の職を探すわけでもなく、絶望して毎日家で酒を飲むようになってしまった。
「あなた…」
私はまた暴力を振るわれるのが怖くて、そん
な夫に何も言えなかった。
貯金残高は夫の酒代もあり、日に日に目減りしていく。
「ああ…どうしてこんなことに…」
何もかもが順調だった事件が起こる前の当たり前の日常が、遠い昔の出来事のように思えた。
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