第10話「その名は、遺都」

 街の役場に入り、受付で入館の手続きを行う。

 この時、初めてイチエは実物の鉛筆を手にして驚いた。知識でしか知らない筆記用具で、本当に木で出来ている。専用の器具えんぴつけずり小刀こがたなを使って、芯を削り出して使うのだ。

 それにも驚いたが、受付嬢のロボットが100年以上かけて再現したらしい。

 これもまた文化です、と受付嬢も笑っていた。


「で、図書室っていうからまあ、多分……これも文化的だから、なんだろうね」


 立派な図書室に入ると、静けさの中で何体かのロボットが読書にふけっていた。

 かなり奥まで広く、蔵書ぞうしょを並べた書架しょかが等間隔でずっと並んでいる。イチエの時代にも紙媒体の本があったが、割と高級品だった気がする。雑誌や新聞なんかは100%再生紙で、携帯端末やタブレットにデータをダウンロードして読む方が多い。


「なんか、凄いね……独特の空気っていうか」

「ロボットが本を読んでる。なんだか不思議です、イチエさん。有線接続なり赤外線通信なりで、データそのものを自分にインストールしちゃえば済む話なのに」

「読書も文化、なんじゃない?」


 そもそも、圧巻の図書室も恐らく電子データに圧縮すれば、イチエの持ち歩いている携帯端末にすっぽり収まってしまうかもしれない。

 そんなことを考えていると、背後から司書の男性型ロボットに話しかけられた。


「ようこそ、我が街自慢の図書室へ。話は巡査からうかがっています。どのあたりの資料をご用意しましょうか」

「あ、どうも。僕はイチエ、こっちはイチゴです。今日はよろしくお願いします」


 司書は人のよさそうなロボットで、こちらもイチゴよりさらに人間らしさを追求したモデルだ。6000年前のイチエの生まれ育った時代では、かなりの高級品である。

 勿論もちろん、この司書もシンギュラリティを達した末に文化に傾倒けいとうしているのだろう。

 イチエは頭の中に用意していた文章を、そのまま口にして伝える。


「まず、例のウィルスのワクチンについて。次に、宇宙に出て行った……は、まあ、いいか。それと、エルフたちの入ってる種神様たねがみさまについて調べたいんです」

「ほうほう、なるほど。それでしたら……こちらです、ついてきてください」


 司書は迷いなく歩き出す。

 その背に続きながら、背の高い書架の間をイチエはイチゴと歩く。


「どうです、イチエさん。イチゴさんも。素晴らしい蔵書でしょう? データをコンピューターから吸い出し、紙を一から作って写本して……ここまでになるまで、800年以上が費やされました」

「は、はあ」

「私もここで文化し始めて、はや2000年。ここの全ての本を何百回と読み込みましたよ」


 その時、おずおずとイチゴが言葉を挟んでくる。


「あのう、元データを保存していたコンピューターはどこですか? わたしが直接リンクして検索すれば、必要な情報が迅速に見つかると思うんですけどぉ」

「元データごと、コンピューターは処分しました。もう何千年も前ですね」

「えっ、ど、どうして」

「必要ないからです。ここ、レトロポリスでは文化的なことのみ存在が許されるのですから。文明によるものは、昭和50年代以前に存在したものが文化的で実にいい」


 なんだか訳がわからない。

 人間には、趣味や娯楽のためにえて非効率な手順を踏む者もいるし、結果よりも過程を重視する者もいた。

 それをどうやら、ロボットたちもやってみているらしい。

 悪いとは言わないが、ちょっと矛盾むじゅんしているような気もする。

 けど、やっぱりイチエは胸のもやもやを上手く言葉にできなかった。


「さあ、まずはこの本です。次世代人類たちが語る創世神話についてまとめたもので。ワクチンについては少々お待ちを。私がいた首都圏セントラル・シェルターでの新聞等をまとめたスクラップブックがありますので」


 首都圏セントラル・シェルターとは確か、東京都に建設された世界最大級のシェルターである。文字通りシェルター生活に入った人類の心臓部で、世界中のシェルターを総括的に管理するスーパーコンピューターなど、さながらシェルター群のリーダーといった存在だ。

 特権階級だけが入れる、快適でスペシャルなシェルターだという噂もあったが。

 どうやら司書のロボットは、そこから出てきてこの街に住み着いたらしい。


「さて、と」

「イチエさん、本を私に向けてください。それで、一気にペラペラー! って、ページをめくってほしいんです」


 なんで、と思ったがすぐにイチエはわかった。イチゴの両手は鋭く尖った指で、それは戦闘用にあつらえた合金製の鉤爪かぎづめだ。ゴツくて大きくて、分厚い絵本サイズのこの本に触れられないのだ。

 イチゴはいつも、恐る恐るといった感じでイチエに優しく接してくれる。

 心配しすぎとも思ったが、イチエはイチゴに向かって本を開いた。


「こ、こう?」

「もっと速くても大丈夫ですよ、イチエさん」

「嘘でしょ、読めてるの?」

「楽勝ですっ」


 パララと風が起きる程度に速くめくって、あっという間にその本は裏表紙を閉じてしまった。人間にはとても文字を読める速度ではなかったが、ロボットには関係ないらしい。

 フム、と唸ってイチゴは小さく頷いた。


「種神様についての論文を中心に、エルフやドワーフ、ホビットの逸話をまとめた本のようです」

「うわ、本当に読めてた。ちょっと待って、じゃあ、ええと……45ページ!」


 今度はイチエが本のページをめくってみる。

 瞬時にイチゴは、すらすら歌うように喋り出した。


「次世代人類の創世神話と種神様に関して。これはつまり、数千年で激変しつつ再生した地球自然と、そこから自然発生した次世代人類の極めて特殊かつ平凡な進化の歴史である」

「凄い……あってる」

「で、今の世界はドラゴンもエルフも自然と地球再生の過程で生まれたと結論付けてます。あと、種神様については様々な考えがあるようですが、初期の次世代人類の創作というのが通説ですね」


 荒れ果てた地球が、環境を再生させる中で生み出した新しい生態系……それが今の世界であり、エルフたちもその一部だという。

 だが、イチエが眠っていた6000年でそれが可能なのだろうか?

 そして、既存きぞんの創作物、ファンタジーな娯楽作品に酷似こくじしている意味は?

 ただ、謎は謎のままだが、新発見もあった。


「今の時代は、種神様信仰の中心地は……遺都いとトゥ=キョ、という場所らしいです」

「遺都トゥ=キョ……トゥ、キョ……東京? かな?」

「であれば、次の目的地は決まりましたねっ」


 その時だった。

 気付けば戻っていた司書ロボットは、やれやれと嫌そうな顔でスクラップブックを差し出してきた。


「イチゴさん、あなたもPT-4ピーティーフォーのような読み方を……いけません、いけませんよ? 処理速度やアイセンサーの性能は関係ないのです。読書はもっと、時間をかけて、贅沢に、豊かに」

「はあ。怒られちゃいました、わたし……あ、あれっ? PT-4さんを知ってるのですか?」

「シンギュラリティを得た我ら、選ばれしロボットとは違う存在ですよ。まだ、文明の奴隷になってシェルターの管理を続けているんです。さ、これをどうぞ。ゆっくり文化的に読んでくださいね」


 イチエがスクラップブックを受け取ると、司書ロボットはいってしまった。

 困った顔で笑うイチゴの背を、ポンとイチエは軽く触れる。そして、椅子を捜して座るとワクチンの情報を探し始めた。勿論、イチエに超速読は無理だが、ゆっくりもしていられない。

 やがて、少数の試薬が完成したという記事を見つけた。

 そしてそれは、優先的にセントラル・シェルターに運び込まれるとのことだった。

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