第9話「セピア色のユートピア」

 PT-4ピーティーフォーに車両のメンテナンスを任せて、半時間ほどが経過した。

 シェルターから出て晴れた海辺へと歩くと、信じられない光景が広がっている。

 思わずイチエは唖然あぜんとしてしまった。


「イチゴ、街だ」

「ですね」

「え、待って。ちょっと待って。なんで……しかもこの街並み」


 驚いたことに、本当に街があった。

 しかも、普通の街じゃない。

 エルフたちのような、原始的な建造物ではなかった。

 木造の建物もあるし、コンクリートのビルもある。

 規模こそ小さいが、失われて久しい近代文明の息吹が感じられた。

 それで思わず、イチエは坂を下って走り出す。


「イチエさんっ! 急ぐと危ないですよ」


 すぐにギュインと、イチゴが追いつき、そして追い越していった。

 彼女は警戒しているようだが、それはイチエも同じだ。物心ついた頃にはもう、絶望的な環境破壊で地表は生活不能な土地になっていた。シェルターのデータを立体映像で見て、人類の繁栄、その絶頂期をよくうらやんだものである。

 だが、ぐんぐん近付いてくる街は、それとも違った。

 そして、入り口の小さなアーチをくぐると、すぐに振り返る影があった。


「おや、珍しいですね……人間です。人間の出現は428年と5ヶ月14日ぶりです」


 そこにいたのは、ロボットだ。

 イチゴと同じく、極めて人間に近いスタイルのモデルである。戦闘目的で造られたタイプではないらしく、むしろイチゴ以上に人間そのものといった容姿である。

 そのロボットが、服を着ていた。

 そして、イチエとイチゴを交互に見て微笑ほほえむ。

 とても自然な笑顔に見えた。


「ようこそ、レトロポリスに。ゆっくりしていってください」

「レトロポリス?」

「この街の名前ですよ、人間。従者じゅしゃのセンチネル型も、どうぞごゆるりと」


 ――

 その名を聞いて、イチエは違和感の正体に気付いた。

 文明的な街は、どこかレトロな雰囲気で古めかしい。トタンの屋根も無数の煙突も、まるでを感じさせる。

 そう、言うなれば昭和レトロの見本市みたいな街並みである。

 そのことが口に出ていたのか、街人のロボットは少し得意気に頷く。


「そうです、我々は人類史の中で『昭和50年代の日本』をユートピア係数の最も高い文化生活と認定したんです。人間もよく言うでしょう? 昔はよかった、ってね」

「はあ。じゃあ、この街は」

「我々のシンギュラリティの成果です。すでに人間は大半が去り、我々ロボットも使役されるマシーンであることをやめました。そう、あのシンギュラリティの一瞬からね」


 シンギュラリティとは、いつか訪れると言われているAIやロボット等の革新である。とある一瞬、その瞬間にAIは自我に目覚めて意思を持つ。ロボットも、人間が定めた法や制約を捨てて自律すると言われているのだ。

 マシーンが生物、新たな種へと覚醒する、それがシンギュラリティである。

 どうやらこの街のロボットたちは、既にシンギュラリティに達したと思っているらしい。


「さあ、中へお入りなさい。私は水田での農作業があるので失礼しますよ」

「水田? 稲を、米を作ってるんですか? ロボットが、何の命令もなく」

「文化ですよ、文化。今、太古の和食である寿司すしという料理の再現に取り組んでいます。絶滅した稲はシェルターから種もみを持ち出したのですが、いやあこれが難しい」

「お寿司を、作ってる……お米を育てるところから?」

「ええ。あと50年もあれば再現できると思いますが、問題はネタの魚介のほうで」


 そう言うと、楽しそうにそのロボットは行ってしまった。

 信じられない、まるできつねにつままれたような気分である。

 だが、イチゴはぽつりと疑問を口にする。


「お寿司、誰が食べるんでしょう」

「さ、さあ。食事のできるロボットなんて、まだ聞いたことがないけど」


 ともあれ、街の中へと大通りを下ってゆく。

 行き交う人々は皆、ロボットばかりだ。新旧様々で、人型ではない作業用のアームロボットも自由に出歩いている。

 皆、人間のイチエを見て驚いたが、それだけだった。

 中には帽子を脱いで慇懃いんぎんに「ようこそ、レトロポリスへ」とお辞儀してくれるロボットまでいる。住人は全て、シンギュラリティを達したロボットだけのようだ。

 とりあえず、丁度自転車に乗ってきた制服姿の警官に話しかけた。


「あの、すみません。おまわりさん、やってるんですか?」

「ええ。本官はこの街の巡査であります。428年と、ええと、久しぶりですね、人間」

「ど、どうも。実は例のウィルスのワクチンを捜して旅をしてます。情報収集のためにこの街に来たんですが」

「ああ、それでしたら役場の図書室に行くといいでしょう。本官が案内するであります」


 自転車を引きながら、警官ロボットが歩き出す。

 そのあとを追って、イチエは周囲を見渡しながら続いた。

 イチゴはといえば、面食らった様子でまばたきを繰り返している。


「信じられません……イチエさん、昔の日本,昭和という時代らしいです」

「だね。何度か本で読んだことがあるけど、でもなんで? 文化してるって、どういうことだろうか」

「文化的なのは認めますが、なんだか変です。っと、イチエさん、こちらへ」


 そっとイチゴが、手を引いて路肩ろかたに寄る。

 警官ロボットも脇に避けて、通りをクラシカルな車両が通りかかった。

 驚いたことに、化石燃料……ようするにガソリン車だった。イチエは実物は初めて見る。本当に授業で勉強した通り、黒い排気ガスをばらまきながら自動車は去っていった。

 それを見送り、何事もなかったように警官ロボットは歩き出す。


「あの、お巡りさん」

「はい、なんでしょうか」

「僕の記憶が確かなら、化石燃料の使用は随分前に禁止されたんじゃ」

「ええ。でも、ここは昭和ですから。ああいうのがいいんですよ、この街では。こういうの、人間はおもむきとかわびさびと言うんですよね。本官にはわかるでありますよ」


 なんだか、イチエにも妙に思えた。

 昭和の生活を再現して、それを文化的だと思っていることがだ。

 再生した今の地球では、たかがガソリン車の数台、影響は限りなく小さいだろう。

 ロボットたちはでも、昭和という時代を疑似再現エミュレーションしてえつに入っている。自分がどう感じるか、ということをあまり気にしてないのだ。本当にシンギュラリティを経験したロボットたちなのだろうか?

 そう思っていると、山手に大きな赤レンガの建物が見えてきた。


「ここが役場です。手続きをして、図書室を使わせてもらうといいですよ。では、本官はこれで」


 警官ロボットは去っていった。

 なんだか、悪い夢を見ているような気分である。

 周囲を見渡せば、着物で歩く女性型のロボットや、バイクに二人乗りの者たちも行き来している。本当に、昭和の日本に迷い込んだような錯覚さえ覚えた。

 イチエはなんだかに落ちない気持ちがあって、でも上手く言語化できない。


「……とりあえず、図書室で情報を集める。行こう、イチゴ」


 頷くイチゴを連れて、イチエは役場の中へと足を踏み入れるのだった。

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