第9話「セピア色のユートピア」
シェルターから出て晴れた海辺へと歩くと、信じられない光景が広がっている。
思わずイチエは
「イチゴ、街だ」
「ですね」
「え、待って。ちょっと待って。なんで……しかもこの街並み」
驚いたことに、本当に街があった。
しかも、普通の街じゃない。
エルフたちのような、原始的な建造物ではなかった。
木造の建物もあるし、コンクリートのビルもある。
規模こそ小さいが、失われて久しい近代文明の息吹が感じられた。
それで思わず、イチエは坂を下って走り出す。
「イチエさんっ! 急ぐと危ないですよ」
すぐにギュインと、イチゴが追いつき、そして追い越していった。
彼女は警戒しているようだが、それはイチエも同じだ。物心ついた頃にはもう、絶望的な環境破壊で地表は生活不能な土地になっていた。シェルターのデータを立体映像で見て、人類の繁栄、その絶頂期をよく
だが、ぐんぐん近付いてくる街は、それとも違った。
そして、入り口の小さなアーチをくぐると、すぐに振り返る影があった。
「おや、珍しいですね……人間です。人間の出現は428年と5ヶ月14日ぶりです」
そこにいたのは、ロボットだ。
イチゴと同じく、極めて人間に近いスタイルのモデルである。戦闘目的で造られたタイプではないらしく、むしろイチゴ以上に人間そのものといった容姿である。
そのロボットが、服を着ていた。
そして、イチエとイチゴを交互に見て
とても自然な笑顔に見えた。
「ようこそ、レトロポリスに。ゆっくりしていってください」
「レトロポリス?」
「この街の名前ですよ、人間。
――レトロポリス。
その名を聞いて、イチエは違和感の正体に気付いた。
文明的な街は、どこかレトロな雰囲気で古めかしい。トタンの屋根も無数の煙突も、まるでイチエの眠る前のさらに前の時代を感じさせる。
そう、言うなれば昭和レトロの見本市みたいな街並みである。
そのことが口に出ていたのか、街人のロボットは少し得意気に頷く。
「そうです、我々は人類史の中で『昭和50年代の日本』をユートピア係数の最も高い文化生活と認定したんです。人間もよく言うでしょう? 昔はよかった、ってね」
「はあ。じゃあ、この街は」
「我々のシンギュラリティの成果です。
シンギュラリティとは、いつか訪れると言われているAIやロボット等の革新である。とある一瞬、その瞬間にAIは自我に目覚めて意思を持つ。ロボットも、人間が定めた法や制約を捨てて自律すると言われているのだ。
マシーンが生物、新たな種へと覚醒する、それがシンギュラリティである。
どうやらこの街のロボットたちは、既にシンギュラリティに達したと思っているらしい。
「さあ、中へお入りなさい。私は水田での農作業があるので失礼しますよ」
「水田? 稲を、米を作ってるんですか? ロボットが、何の命令もなく」
「文化ですよ、文化。今、太古の和食である
「お寿司を、作ってる……お米を育てるところから?」
「ええ。あと50年もあれば再現できると思いますが、問題はネタの魚介のほうで」
そう言うと、楽しそうにそのロボットは行ってしまった。
信じられない、まるで
だが、イチゴはぽつりと疑問を口にする。
「お寿司、誰が食べるんでしょう」
「さ、さあ。食事のできるロボットなんて、まだ聞いたことがないけど」
ともあれ、街の中へと大通りを下ってゆく。
行き交う人々は皆、ロボットばかりだ。新旧様々で、人型ではない作業用のアームロボットも自由に出歩いている。
皆、人間のイチエを見て驚いたが、それだけだった。
中には帽子を脱いで
とりあえず、丁度自転車に乗ってきた制服姿の警官に話しかけた。
「あの、すみません。お
「ええ。本官はこの街の巡査であります。428年と、ええと、久しぶりですね、人間」
「ど、どうも。実は例のウィルスのワクチンを捜して旅をしてます。情報収集のためにこの街に来たんですが」
「ああ、それでしたら役場の図書室に行くといいでしょう。本官が案内するであります」
自転車を引きながら、警官ロボットが歩き出す。
そのあとを追って、イチエは周囲を見渡しながら続いた。
イチゴはといえば、面食らった様子で
「信じられません……イチエさん、昔の日本,昭和という時代らしいです」
「だね。何度か本で読んだことがあるけど、でもなんで? 文化してるって、どういうことだろうか」
「文化的なのは認めますが、なんだか変です。っと、イチエさん、こちらへ」
そっとイチゴが、手を引いて
警官ロボットも脇に避けて、通りをクラシカルな車両が通りかかった。
驚いたことに、化石燃料……ようするにガソリン車だった。イチエは実物は初めて見る。本当に授業で勉強した通り、黒い排気ガスをばらまきながら自動車は去っていった。
それを見送り、何事もなかったように警官ロボットは歩き出す。
「あの、お巡りさん」
「はい、なんでしょうか」
「僕の記憶が確かなら、化石燃料の使用は随分前に禁止されたんじゃ」
「ええ。でも、ここは昭和ですから。ああいうのがいいんですよ、この街では。こういうの、人間は
なんだか、イチエにも妙に思えた。
昭和の生活を再現して、それを文化的だと思っていることがだ。
再生した今の地球では、たかがガソリン車の数台、影響は限りなく小さいだろう。
ロボットたちはでも、昭和という時代を
そう思っていると、山手に大きな赤レンガの建物が見えてきた。
「ここが役場です。手続きをして、図書室を使わせてもらうといいですよ。では、本官はこれで」
警官ロボットは去っていった。
なんだか、悪い夢を見ているような気分である。
周囲を見渡せば、着物で歩く女性型のロボットや、バイクに二人乗りの者たちも行き来している。本当に、昭和の日本に迷い込んだような錯覚さえ覚えた。
イチエはなんだか
「……とりあえず、図書室で情報を集める。行こう、イチゴ」
頷くイチゴを連れて、イチエは役場の中へと足を踏み入れるのだった。
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