第7話「生きることは殺すこと、奪うこと」

 その日は、草原を歩けるだけ歩いてキャンプになった。

 外敵の気配はなく、もはやモンスターと呼んでも差し支えない猛獣も感じない。用心して一本だけ生えた古い大樹の根元で、テントを張って焚火たきびをたいた。

 そして今、イチエは夜空を見上げている。


「星座だけは変わらないな……と言っても、僕は6000年前の星座を直接見てないけど」


 満天の星空だった。

 空が高くて、夜に染まってどこまでも広がっている。

 散りばめられた星々のかたどる星座は、シェルター内で見たデータと同じだった。

 輝く恒星のいくつかは、すでに燃え尽きているかもしれない。

 しかし、光りの速さでも時間がかかる地球では、死んだ星が大昔に放った輝きが届いてくれる。それを繋げて彩れば、神話の時代の星座が今も無数に広がっていた。

 そして、無情にも笑顔で背後の少女が声をかけてくる。


「イチエさん、現実逃避もそこまでにしてくださいね? ほら、逃げても無駄です」

「あー、あれが北斗七星かな。じゃあ、そのまま柄杓座ひしゃくざってことで」

「ですから、イチエさん。夕食を食べないと人間は弱ってしまいます。ましてイチエさんは無症状なれど病気の身、食欲があるなら一日三食きっちり食べてもらいますからね」

「……因みにイチゴ、君には料理や調理の技術は」

「わたしは戦闘用のロボットです。もうっ、苦労したんですよ? このお肉を調達するのに」


 やれやれとイチエは、宇宙のロマンに別れを告げる。

 のんびりと星座を見上げている場合ではなかった。

 既に日は落ちて久しく、夜の世界では動き回らない方がいい。ドラゴンやグリフォンといった大型の動物はいないようだが、草原は今も生命の大合唱に満ちている。

 虫の、鳥の鳴き声、獣のうなり声……聴いたこともないものばかりだ。

 そして、そこにイチエの腹の音も入り混じる。

 空腹は確かなのだが、シェルター育ちのイチエにも事情があった。


「えっとさ、イチゴ……その、シェルターから持ち出した合成食パウチがあるよね?」

「あれは保存がきくものなので、温存したいと思います」

「エルフの村からもらった食料っていうのは」

「焼きしめたパンです。保存にも適してますし、湯気を当ててやればやわらかくなりそうですよ? ただ……健康な年頃の男子には、タンパク質が必要です」


 イチゴはいつでも正論を述べる。

 そして、強く押し付けてはこないが、やんわり理解と承諾を求めてくるのだった。

 今もそうだ。

 溜息ためいきを零すイチエの目の前に、一羽の鳥が横たわっている。

 にわとりとか、家畜化された鳥ではない。

 カモやガンといった、人類が食してきた鳥ですらなかった。

 名前も知らない、極彩色ごくさいしょくの奇妙な鳥である。


「新種かなあ? よくこんな鳥がれたね」

「ブラスターの出力調整が難しくて、消し飛ばなかったのが幸いでした」

「ど、どういう風に飛んでた? っていうか、こういうのって」

さばいて焼かないと食べられませんよ? さ、イチエさん」


 ニッコリ笑ってイチゴがナイフを渡してくる。

 そう、今からイチエに目の前の鳥を鳥肉にしろと言ってるのだ。羽毛をむしって肉を捌き、食べられる部位ごとに整理しなければいけない。まるまると太った謎の鳥は大きくて、ちょっとした大型犬くらいはある。

 これはつい先ほどまで、この草原の空を飛び交っていたのだ。

 本当なら、イチエがシェルターから持ち出した銃で、自分で狩るべきだった。

 イチゴが優しいから、過保護だから、その工程は免除されたのである。

 そして、今の有無を言わさぬ態度もまた、イチゴなりの優しさだった。


「わたしが一般的な鳥類のデータ、約8000件の記録を元にナビゲートしますから」

「つまり、言われた通りに切ってけばいいってこと、だよね?」

「はい。そして、その手順を決して忘れないでください」

「サバイバルだなあ、遠未来の世界。未来過ぎて科学技術文明が消し飛んでるとか、想像できた?」

「不測の事態ですが、現実でもあります。さ、イチエさん。まずは血抜きです」


 言われるままに、おずおずとイチエはナイフを握る。

 改めて見ると、とても綺麗な鳥だった。

 古いデータで見た、孔雀くじゃくとかいう鳥に似ていた。

 でも、今は死骸でしかない。

 そして、イチエが自分で努力しなければ、土に返って自分の前を素通りする。カロリーも栄養源も得られないし、ちっぽけな自己満足すら満たされないだろう。

 生きるため、旅を続けるために、イチエは食事が必用だ。

 そして、他の動物から命をもらうことでしか、人類は生き残れない。

 大自然の摂理せつりもそうで、その共通点だけがギリギリ人間を動物の眷属けんぞくに定義させてくれていた。だから、イチエは選択肢がない、分岐点でもなんでもない必然が今だった。


「こう、イチゴがパパパッと」

「フォトンセイバーで切ったら、出力最小限でも大半の肉が蒸発してしまいます。戦車とか装甲車とか、そういうのを切るために装備されている兵装なので」

「じゃ、じゃあ、このナイフ……使う?」

「わたしのこの手は、人間サイズのツールを使う用にはできていません。素手でも敵を粉砕して握り潰す、指の爪でも全てを引き裂く……そういうふうに造られてますので」


 確かに。イチゴの手は可憐な容姿に不釣り合いの大きさだ。そして、とがった五本の指が酷く刺々しい。顔と胴体こそ天使のごとき美しさだが、手足は悪魔のように禍々まがまがしくもあった。

 大きく溜息をついて、イチエは観念してナイフを握る。


「……首、から? 血を抜くって、つまり」

「そこへ切り込みを入れて血を抜きましょう。ええ、首からです」

「そのマニュアル、最新鋭?」

「ええ、6000年以上前から最新鋭、最先端です。そう、しっかり血を抜きましょう」


 よく切れるナイフだった。

 シェルターから持ち出した、軍人が持ち歩くようなやつだ。なたにもおのにもなるし、包丁ほうちょうにもなる。イチエ本人と同じく、ずっと倉庫で眠っていた刃だった。

 僅かな手応えで、その刃は鳥から血を奪う入り口を刻んだ。

 命そのものと言える血が、とめどなく溢れる。


「お湯を沸かしておきましたので、うつわに移しておきました」

「手際、いいね……血抜きのあとは」

「内臓を切り分けでください。頭部はわたしのブラスターで蒸発してしまったので、希少部位については今回は忘れましょう」

「……やっぱ、僕が狩りをした方がいい?」

「ええ。もし万が一、わたしがイチエさんを守れない事態も考慮すると」

「最悪の事態も想定、ね」


 ぽたぽた、ぽたり、ぽたぽたり。

 したたる鮮血が鳥の死骸を食肉へと成長させてゆく。まるで、生きてたあかしを追い出すことで最初から食料だったといるようだ。

 でも、弱肉強食の自然界ではそれは当たり前なのだ。

 ただ、人間はそうした食物連鎖の埒外らちがいにいる。

 正確には、かつてそうあった、外側にいた。

 今のイチエは、その歴史のみを噛み締めつつ……動物以下の弱者として作業に徹するしかない。イチゴに頼らねば食料も取れず、その食料を食べるための作業も未熟で不慣れだ。


「ねえ、イチゴ……人間として極めて文化的な提案なんだけど」

「調味料および味覚に関する提言ですね? 大丈夫です、エルフさんたちから岩塩を少し……あとは、前のシェルターから持ち出した合成スパイスが」

「この鳥、チキンみたいな感じだったらありがたいけど……食べづらくても食べろって言うよね? イチゴ」

「勿論です」

「臭みやクセがないことを祈るよ。……血が止まった、次は? もう開き直ったから、バッサバッサと切るよ。あ、でも、食べれる場所は教えてね。今日食べない分は塩漬けにしてみようかな」

「でしたら、内臓系から先に食べた方がいいですね。次はそこを……そう、そうです。びっくりするぐらい中身がはみ出てきますが、遠慮なく……上手ですよ、イチエさん」


 命を奪うことに躊躇ちゅうちょし、殺して奪うことを機械に任せたけれど……その命を食べるための作業からは逃げられなかった。イチエは心の中に、逃げなかったんだと呟く。

 名前も知らない謎の鳥は、バラバラにされて一部がイチエの胃袋に収まった、

 よく洗って焼いた内蔵は、塩と胡椒こしょうだけで驚くほど美味しかった。

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