第4話「ファースト・ポイント」

 最初の旅は一週間。

 たった七日で、どうにかイチエは年相応の体力を取り戻すことができた。同時に、まだまだ身体は重くて、一度だけ微熱も出た。

 それでも、どうにか隣のシェルターに辿り着く。

 ただ、それは新た謎を経てさらなる旅を予感させた。


「大丈夫です、イチエさん。電源、生きてますね」


 シェルターの入り口自体は、後から生えてきた巨木に完全に埋もれていた。

 かつて周囲が都市部だったことも、今はほとんど痕跡を見つけられない。数千年という年月は無慈悲にも、万物の霊長を気取った人類の文明をほぼほぼ消し去っていた。

 それでも、最後の方舟はこぶねとしてシェルターは機能している。

 ゴゥン! とゆっくり隔壁が開くが、木の根に引っかかって停止した。

 しょうがないので、半端に開いた扉を身を屈めてくぐる。


「空気も問題ありませんね。循環系の機器が作動しています」

「でも、誰もいないな。イチゴ、休眠区画は奥かな?」

「はい、ご案内しますね」


 シェルターの造りは、細部の差こそあれどこも同じだ。

 灰色の壁と天井と、等間隔に並ぶ照明と。

 その中を歩けば、足音は自然と静寂に響く。

 そして、そこかしこでイチエは違和感を拾った。


「……やっぱり、誰もいない。けど」


 そう、全くの無人だ。

 小さく空調の唸る音だけがかすかに聴こえるのみ。

 そんなシェルターの居住区には、そこかしこに生活感の残滓ざんしが残っていた。勿論もちろん、いかな環境が一定化された自動管理のシェルター内でも、経年劣化と風化が見られる。

 そっとテーブルに近付き手を伸べれば、花瓶の枯れた花。

 触れるとさらさらと粉々に砕ける。


「なんか、さ。イチゴ」

「はい」

「ある一瞬まで、ここで人が暮らしてた気がする。そして、その瞬間から消えて、それっきり。そういう印象だね」

「スキャンした範囲内に、遺体や生命反応はありませんね」


 たとえば、シェルター内部で例のウイルスが蔓延まんえんしたとしよう。

 閉鎖された環境でのパンデミックと、大量死……結果、全滅。

 それならば、そこかしこに遺骨が散らばっているはずである。骨まで風化して消えたとしても、その痕跡は残る。。

 ここには、なにもない。

 人がいた気配だけが化石になってて、それ以外はなにも見つけられなかった。

 しょうがないので、そのままイチエはイチゴに案内されて進む。


「この隔壁の先が閉鎖区画、休眠エリアですね」

「つまり、僕と同じ感染者の区画ね。……それでこんな、何重ものセキュリティが」

「とても恐ろしいウィルスだったと聞いています。ほぼほぼ無症状のイチエさんが奇蹟的に思えるくらいですよ?」

「ただのラッキーだったんだろうね。」


 その病魔は、きっと太古の昔から存在した。

 そして、原生林の奥地に大自然が封印していたのだ。それを人類は乱開発で掘り出して、パンドラの箱を開けてしまったという訳である。

 脅威的な速度で空気感染し、その蔓延まんえんは倍々ゲームとなって広がった。

 発熱と同時に呼吸器がやられ、全身の血管から酸素が奪われてゆく。

 さながら細菌兵器のようで、抗体を得る間もなく誰もが死んでいった。


「ひょっとして……僕、選ばれし人間だったり? 特殊な能力というか」

「あ、今セキュリティが解除できました。……なにか仰いましたか? イチエさん」

「イエ、ナンデモナイデス」

「この先に消毒エリアがあります。システムは正常に稼働していますね」


 ガッチョンガッチョンとイチゴが歩を進める。

 ちょっと恥ずかしいことを言った上に、さらりと流されイチエは頬が熱かった。おごりと慢心、自己完結した一瞬の選民思想だった。それもよく考えれば、最初に言った通りラッキーなだけだったのだ。

 選ばれてなどいない、たまたまイチエは症状が軽かっただけ。

 そういう人間は他にもいるだろうし、そこからワクチンが生まれた可能性もある。

 だが、少なくともこのシェルターでその奇蹟には出会えそうもない。


「……うーん、本当に正常に作動している。空気も清浄だ」

「各部チェック、OKですね。生命維持装置の可動状況も良好です」

「あ、因みに今のは正常と清浄を」

「はい、人間の文化であるダジャレというものですね。理解しています」

「そ、そう」


 不可視の光線で、物理的に熱で、その他もろもろ凄い科学力で消毒されて進んだ先は、沈黙。不気味なまでに静かで、まるで墓所ぼしょだ。

 並ぶ休眠カプセルの中に、ようやく人の姿を確認することができた。

 老若男女を問わず、無数の患者が眠っている。

 ただ、それだけだ。

 それ以外の人間は消失し、ワクチンもありそうもない。


「無駄足、だったかな?」

「いえ、残された資材を確認してみましょう。持ち出せる有用なものもありそうですし」

「怒られない?」

「誰もいませんから、大丈夫ですよ? 勿論もちろん、わたしも怒ったりはしません」

「とりあえず、あしがほしいな。イチゴのナビがあるから安心だけど、長距離移動なら乗り物があると助かるかも」

「探してみましょう」


 ここにはまだ、希望があると思えた。

 それを夢見て、まだ眠っている人たち。

 起されてしまったイチエとしては、わざわざ自分と同じアクシデントを他者にいる理由はない。旅の道連れはイチゴがいてくれるし、彼女は少し抜けてるがかわいくて頼りになる。

 そう思って、イチエは元の道を引き返す。

 イチゴは視線を宙に彷徨さまよわせつつ、しっかり前を歩いていた。


「メインタームにアクセス、資材リスト照合……検索終了。車両がいくつかありますね」

「助かるなあ」

「イチエさん、保管庫に行ってみましょう」

「うんうん、行こう。すぐ行こう」


 舗装された道もなく、悪路とさえ言えない旅路が続くだろう。

 できればオフロード仕様の車がいいし、装脚系レッグビーグル、それも多脚型たきゃくがたの車両なんかも助かる。万が一にもないだろうけど、馬やラクダなんかでもイチエは文句を言わないつもりだった。

 ただ、イチエたちがシェルターに逃げた時代には,すでにどちらも絶滅していたが。

 そんなことを思って歩くと、突然イチゴの背中にぶつかった。

 さらりと髪に撫でられ、間近に小顔が振り向く。


「イチエさん、この先に生命反応です。数は、1」

「また野生動物とかかな? このシェルターもどこかがほころんでて、そこから入り込んだとか」

「かもしれませんね。この先、資材保管庫に直接発生しました。ついさっき、現われたんです」

「……行ってみようか」

「はい」


 不可思議な話だが、難しくはなかった。

 恐らく、完全に見えてこのシェルターもどこかに穴が空いているのだ。

 そこから野生の動物が入った、そんなところだろう。

 この一週間でイチエは、一変してしまった生態系に慣れ始めていた。小動物、鹿しかやリスといった種は記録で見た通りだ。空想上の動物たちも、何の違和感もなく現在の自然環境に調和している。

 これが、地球が選択した人類絶滅後の世界なのだろうか?

 まさか、こんなに夢とロマンにまみれた時代を作るだなんて、驚きである。


「この先です、イチエさん。警戒を」

「ん、わかった。扉を開いて」


 Pi! と小さく電子音が鳴って、左右へと巨大な扉が開かれる。

 その先は自然の光に満ち溢れていた。

 短い時間だったが、太陽光との再会にイチエは目を細める。

 そして、まぶたかばった手の、その指と指の隙間から見た。

 人だ。

 人間がそこにはいた。

 一人きりらしく、その背後にやはりというか、地震かなにかで断層がずれたひび割れがある。地上から降りて来たらしく、その人影もこちらを見て声を発した。


「嘘だろ、おい……が起きてる!」


 少年の声だった。

 そして、ギリリとつるが歌う。

 長身の彼の手には、引き絞られた弓に矢がつがえてあるのだった。

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