第3話「踏み出す自然、不自然な大自然」

 旅が始まった。

 その目的はまだ、定かではない。

 したがって、終着地点すら決まってはいなかった。

 だが、そこまでイチエは落ち込んではいない。

 立ちすくんでもいられないのだ。


「イチエさん、お体は大丈夫でしょうか? 少し休憩しましょう」


 先を歩くイチゴが振り返って、それでイチエも一息ついた。

 長い長い休眠で身体中の筋肉がなまっていたが、イチゴがペース配分に気を配ってくれるので苦しくはない。昨日、目覚めたシェルターを出て、もうすでに10kmは歩いただろうか。

 荷物は全てイチゴが背負ってくれてるし、少しだけ歩くのにも慣れてきた。

 なにより、持病のウィルス性疾患による症状が出ないのがありがたい。


「ん、そうだね……もう少し平気だけど」

「いいえ、いけません。無理は禁物ですっ!」

「それにしても、凄いね。大昔の地球も、こんな感じだったのかな」


 吹き出す汗をタオルで拭って、イチエは周囲を見渡す。

 緑、緑、緑……見渡す限りの樹海が続いていた。一時期、この惑星は土色ににごって砂漠化したという話が嘘のようだ。

 人類が癒しきれぬ傷を負った母星。

 人類を許しきれなくなった、地球。

 その面影おもかげがここには、どこにもない。

 耳をすませば,獣の声に虫の音、そよぐ風に鳥の歌。ここはもう、大自然の楽園そのもののように感じる。


「気になるのは、イチエさん。生態系が激変していることですね」

「そうなの?」

「わたしの持つデータと、現状の環境では随分食い違いがあります。以前は存在しなかった動物も多数存在しますし、再起動してすぐの頃は大変でした」


 イチエだって、脅威の目覚めを体験した。

 半分ワシで半分ライオン、グリフォンとかいう怪物に襲われたのである。

 イチゴが助けてくれなかったら、今頃は食い散らかされて骨になっていた。


「ま、もう何が出てきても驚かないよ。まずは同じような境遇の人を探して――!?」


 不意にイチゴの表情に緊張が走った。

 彼女はシーッ! と静かにくちびるへ指を立てる。

 そして、ゆっくりと周囲を見渡した。人間よりも遥かに鋭敏なセンサーを持つロボットには、イチエに見えていないものも見えているのだろう。見えなくても聴こえて、そうでなくても察したということである。

 ゆっくりとイチゴは、開いた右のてのひらを前に突き出す。

 腕部に内蔵されたブラスターの射撃姿勢だ。


「……来ましたっ! イチエさん、隠れててくださいっ!」


 不意に、前方の森が爆発した。

 鳥たちが悲鳴を上げて空を覆う中、巨大な影が目の前に躍り出る。

 まるで小さな山だ。

 無数の絶叫が響いて、殺意に満ちたその声は冷たく耳に刺さる。歩けば汗ばむような陽気の中、イチエは凍えて思わず固まった。

 へびだ。

 大量の、蛇。

 そして、その全てが繋がった一つの生命体なのである。


「こっ、これ! イチゴッ!」

「わたしも初めて見ますね。ヤマタノオロチ……というには、少し頭が多いようですが」

「少しじゃないでしょ! 何十、何百って蛇の塊が」

「なるほど、さながら空想の動物ヒュドラみたいなものでしょうか」


 いやに落ち着いているイチゴが、頼もしくもあり、恐ろしくもある。

 いやいやこのロボ子、なに平然としてるの? とりあえず大樹の陰に避難して、そこからイチエはそっと顔を出した。

 ヒュドラなるバケモノは今、シュルシュルと割れた舌を鳴らしながらイチゴを包囲していた。


「西暦時代の体内ライブラリにアクセス、該当……ナシ。新種さんですね。仮にヒュドラと呼称、登録。では、排除しますっ!」


 イチゴは伸ばした右腕に左手を添える。

 次の瞬間、右の掌から光がほとばしった。

 出力を絞ったビームだ。重金属の粒子を加速して放つ、光の矢が次々と放たれる。

 だが、ヒュドラは怯んで身を揺するが、逃げる様子を見せない。

 それどころか、なおも怒気を荒げて激昂げきこうするばかりだ。

 しかし、怯まないのはイチゴも一緒だった。


うろこが光弾をはじくんですか!? 困りました……では」


 鋭い牙の一撃が落ちてくる。二度三度と、全てを引き裂く噛み千切りがくうを切った。なんとか回避に踊るイチゴの、その長髪に飾られた花びらがひとひら散る。

 舞うように優雅に、無駄なく洗練された動きが孤を描く。

 大蛇だいじゃの連撃をさばいていなすや、今度はイチゴが反撃に出た。


「ブラスターで駄目なら、セイバーを使います!」


 突如、イチゴの右手の甲から光が走る。

 それは長く伸びて、粒子フォトンの刃を形成した。

 ヴン! と唸りを上げるその鋭さ。

 あっと言う間にイチゴは、無数に抜きんでてくる蛇頭の一つを切り落とした。絶叫と共に血飛沫ちしぶきが舞い、その赤い雨を避けてイチゴが距離を取る。

 ボトリと落ちた生首は、まだ生命力を必死でフル稼働させていた。

 だが、本体はずるずると下がり始める。

 威嚇するようにイチゴが切っ先を向けると、雪崩なだれのように逃げ出すのだった。


「ふう、もういいみたいですね。イチエさん、無事ですか?」

「あ、ああ、うん。強いんだね、イチゴ」

「わたしはセンチネル型、ようするに戦闘用のロボットですから」


 可憐な容姿は頭部だけで、首から下は白を基調としたメタルボディだ。特に、両手両足は大きく、手の指は鉤爪かぎづめのように尖っている。

 ミスマッチなその姿は今、イチエにとっては最強の守護天使セラフィムだった。


「思いがけず戦闘になってしまいました。……やはり妙ですよね、この大自然」

「そうだね。で、あれだけど」


 イチエは自分でも不思議な程に落ち着いていた。

 昔、漫画かなにかで見たことがある。

 突然、主人公が異世界に飛ばされて大冒険を繰り広げるファンタジーだ。それは創作の世界で、イチエは今は現実を生きている。

 それでも、グリフォンやヒュドラというものを見ると、現実感は薄らいでいった。

 ようやく動かなくなった大蛇の頭を指さし、イチエはぼんやりと呟く。


「……食べられるかな」

「えっ? イ、イチエさん、食べるんですか? 蛇、ですよ。しかも、凄く大きい」

「うなぎみたいな味だったらいいんだけど、贅沢言わないよ。食料、節約したいし」

「はあ。では、ちょっと調べてみましょうか」

「ん、頼むよ。できればさばいて料理して、って、イチゴはそういうのは」

「ほへ? わたしですか? いえ、できません! 戦闘用ですので!」

「そ、そう……いや、自信たっぷりに言われてもな」


 ここにきてようやく、イチゴは背の大荷物を降ろした。そして、その中から大きななたを持ち出す。そして、イチエに持つようにと差し出してきた。

 だが、不意に突風が吹き荒れた。

 局所的な疾風はまるで竜巻だ。

 その中心でバサバサと羽撃はばたき、巨大な怪物が舞い降りる。

 そう、その威容こそが怪物の中の怪物、悪魔にも似た恐怖の権化ごんげだった。


「あっ、僕の夕食」

「イチエさん、こっちに!」

「荷物が」

「あとでなんとかしますから!」


 あっと言う間にイチゴが駆け寄ってきて、軽々とイチエを抱き上げ走った。ふわふわと棚引たなびく銀髪は熱くて、どうやら放熱用のファイバーを兼ねているらしい。

 そんな彼女が離脱する中、大いなる暴君は勝利を叫ぶ。

 その咆哮ほうこうは、イチエの肌をひりつくほどに粟立あわだてた。


「……ドラゴン、だよね。ドラゴンだ」

「わかりません! 過去のデータに該当ナシです」


 そう、龍……すなわちドラゴンだった。

 強靭な四肢と別に、背に巨大な翼を持つ空想上の動物。その姿は神々しく、絶対的な強者のプレッシャーを広げていた。

 先程は戦闘を選んだイチゴが、全力で逃げているのがわかる。

 そして、突如現れたドラゴンはそんなイチエたちを追いかけてはこなかった。

 巨大な蛇の頭を持って、そのまま再び天空へと飛び去ってゆく。


「あー、僕のごはん」

「命あっての物種ものだね、ですよ。初めて見ました、あんな原生生物がこの時代には」

「でも、変じゃない? 悪いけど僕、うっすらと見覚えのあるモンスターばかりだよ」


 そう、モンスターだ。

 テレビゲームなどに登場する、架空の動物たち。古代の神話や伝承からモチーフを頂いた、とても子供たちには馴染みのあるモンスターばかりだった。

 何故、自然の環境が再生したこの星に?

 あたかもファンタジー小説のように、定番の怪物が横行している理由は?

 今はなにもわからない。

 わかっているのは、今夜も科学的に合成された味気ない人造栄養食パウチだということだった。

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