暗殺令嬢、ニージェ=カストル

 わたしが目を覚ますと、そこには牢獄のような石壁、等ではなく、十年来の見慣れた藍色の天蓋があった。

「うぅ、わたしは、いったい……?」

 まだ覚醒しきっていない頭で考えながら、目を擦ろうと、手を持っていく。


 ジャラ……。

 そんな微かな金属音と共に、わたしの手と共に、視界に入ったもう一つの手。

「へ……?」

 より、正確にはわたしの手と手錠で繋がれた状態のもう一つの手。わたしはその事に理解が追い付かず、間抜けな声が漏れてしまう。


 手錠で繋がれたもう一つの手のほうに視線を伸ばすと、そこにはミージェ様の笑顔を、その更に上では旦那様と奥様がそれぞれ笑顔を浮かべていた。

 この家系は怒りが振り切った時、どういう訳か笑顔になるのだ。


 瞬間、悟った。

 ここより、牢獄のほうがいくらかマシだったということを。

「ニージェちゃん。目が覚めたのね」

「は、はい! ミージェ様! えっと……ニージェというのは?」


 声が上擦りながら、笑顔だか、声は全然わらっていない。むしろ刺々しいミージェ様におそるおそる聞き返す。

「もちろん、あなたの新しい名前よ。私がもといた世界には、ジェミにっていう、双子の形を模した星座があるの。私がたまたまミージェだから、あなたはそこからもじってニージェ。気に入らないなら、もう少し考えるけと、どうかしら?」


「い、いいえ! 気にならないとか、そう言うのでははありません! ありがとうございます!」

 わたしは本能的に、即座に返した。

 いや、冗談抜きでミージェ様が考えてくださった名前だし、それに、ミージェ様と似た名前だし、本当に嬉しかったのは事実だ。


「そ、なら。良かったわ」

 ミージェ様が若干の柔らかさを伴った笑声。

「そ、それで、この手錠はいったい……?」

「ああ、もちろん。ニージェちゃんが逃げ出さないためよ。アルゴー君のおかげで捕まえることが出来たけど、あれは一度きりのチートのようなものだからね♪」


 ウィンクで締めくくるミージェ様。

「あ、あれ?」

 と、わたしは最近の記憶を思い出そうと、した。

 確か、殿下がわたしを捕まえに来て、それで……!!??


 ん、完璧に思い出した。

 一気に全身が熱くなるのがわかる。

 その反応を見て、ミージェ殿様は小悪魔めいた笑みになり、告げる。

「どうやら、効果絶大みたいね。これは、もう二回か三回は逃げても良いわよ? ニージェちゃん。その度にアルゴー君を差し向けるから。何なら今から呼んであげるけど?」


「それまけはやめて!?」

 恥ずかしさのあまり、ミージェ様にタメ口で返してしまった。

「ま、安心して良いわよ。ファーストキスは奪われてないから」


「そ、そそそそそうですよね? 殿下がわたしのような下賎な者好きに……」

「というより、アルゴー君がヘタレすぎて、奪えなかったそうよ? ん、なにか言った? ニージェちゃん。ごめんだけど、もう一度言ってくれる?」


「い、いえ、何でもありません……それより、やっぱり、ミージェ様の入れ知恵だったのですね!?」

「まぁね。あなたは、基本的に私の善意しか基本的に素直に受け取らないから、あんな急変したアルゴー君も、簡単に受け入れると思ったって訳。それに、あなたは音が優しく真面目だから、借りは返すと思ったって訳。もちろん、相手の心象を悪くならないよう、配慮をして、ね♪」


「すべてお見通し……ってわけですね」

 やっぱりすごいミージェ様。わたしのアジトでアルゴー君と鉢合わせた際の行動理念をすべて言い当ててらっしゃる。

 やっぱりミージェ様には勝てないな。


「ううん、私は凄くないよ。たまたま当たっただけだから。きっと、この先はうまく行かないことが多い。だって、この先は……」

「そろそろ良いかしら? ミーちゃん」

 ミージェ様の言葉をピシャリと、冷たい声で遮ったのは、ヒマワリのような黄色いドレスを着た奥様だった。


 詳しい年齢は避けるが、四十を超えている奥様は、いわゆる美魔女の類いで、お世辞なしにしても、三十代前半には見える。

 普段は、親バカで代役でしかないわたしにも優しい奥様だが、やはり公爵家の関係者らしく、怒ったときの威圧感は半端ない。


 ちなみに、奥様も旦那様も、わたしが暗殺しに来る前に、既にミージェ様による説明があったらしく、わたし程ではないが、ミージェ様が前の記憶を受け継いでいる程度には、理解している。

 そして、ミージェ様には、十六歳のある時期まで、この世界で起こる未来をある程度、知る能力があるらしいこと、それにより、わたしが暗殺しに来るという未来を事前に知らされていたらしく、ミージェ様に、もうすぐ亡くなる自分の代わりに、わたしを娘同然に接してあげて、と言われていたようだ。


 また、わたしがミージェ様復活のために、悪いことをして、仮名に傷を付けてしまうかも知れないという、相談染みた宣言にも、快く受け入れてくれた。

 そんな奥様にこんな悪意を向けられるなんてことは、初めてのことだ。


「あ、あの……奥様、わたし、なにかやっちゃいましたか?」

 わたしがそう言うと、奥様から発せられていたオーラが更に刺を増す。

「奥様? ミー……いえ、ニーちゃん、あなたって本当に、ミーちゃんの言うように、本心で言っている言葉がわからないのね」


 鋭い目付きで、ため息混じりに言った奥様。

「も、申し訳ありません……奥様」

「だから、違うでしょ? ママ、でしょ?」

「!?」

 わたしが予想外すぎる奥様の返しに、絶句していると、畳み掛けるように、蒼を基調としたタキシード姿の旦那様が、優しい声音で付け加える。


「レダの言うとおりだ。あの日。君が初めて、この屋敷に来た日。ミージェのベッドの傍らで泣いてた君に、私達は言ったよね?」

「ニーちゃん、あなたは今からあたし達の家族よ。例え、あなたがここから出ていく決断をしても、その事は永遠に変わらない。あたしがそう決めたのだから……」


「た、確かに言われましたが、それは、ミージェ様がいなくなるから、顔が似てるわたしを代用品として……」

 奥様が苦笑。

「バカね。ミーちゃんの代わりなんていないわ。そして、ニーちゃん、あなたの代わりもね」


「あ……」

「良いかい? ニージェ。そりゃ、確かに君の言うように、最初は、ミージェと顔が瓜二つな君に愛着を持ったかもしれない。でも、それはあくまできっかけにしか過ぎない。君と生活していく内に、少なくとも、私達は君を本物の娘だと言う風に思うようになって行った。その事だけは信じて欲しい」


「わたしも……」

 わたしも、旦那様と奥様が本物の家族だったら良かったのに、と思った時は幾度ともあった。

 けど、ミージェ様が復活したあかつきには、この場所を帰さなくては行けないと思っていた。


 それに、旦那様と奥様も、どこの馬の骨かわからないわたしなんかより、本物の娘のほうが良い筈。ミージェ様が復活したら、わたしは用済みになるのだ。

 そうやって、自分に言い聞かせながら、立つ鳥跡を濁さずの精神で生活していた。


 でも……でも、旦那様も奥様は、わたしの事を本物の家族のように思ってくれていた。

 それは、ミージェ様、復活後でも変わらなかった。

「わたしも、旦那様と奥様が、本物の親だったら良いのになと思ったことは、何度もありました。あの、旦那様、奥様、ミージェ様。今さらですが、わたしをこの家に置いてくれませんか?」


「ダメよ!」

 わたしの初めてのワガママを、厳しい声音で突っぱねたのは奥様だった。

 これに、わたしは自嘲の笑みを浮かべることしか出来なかった。


「そう、ですよね。お三方の気持ちを知ってから言うだなんて、ムシが良すぎますもんね。それに、わたしは犯罪集団とはいえ、騎士でもないのに人をたくさん殺めてしまいましたし……すみません、今の言葉、お忘れください」


「えぇ、そうね。ニーちゃん、それはムシが良すぎる話よ。それに、あなたも言ったように、騎士でもないのに、人を殺めた。そんな人を家族に迎え入れるのはリスクが高すぎるわ。ま、でも、ミーちゃんが復活する前と、同様、ママと呼んでくれたら、構わないけどね」


「私もだ。パパと呼んでくれたら、ニージェ、君のことは例え、家名を失ったとしても守ろう」

「へー、ニージェちゃん、父様と母様のこと、そう呼んでいたんだ。じゃ、私のことはお姉ちゃんって、呼んでね♪」


 この流れるようなボケのような本心による畳み掛けに、わたしは思わずツッコんでしまった。

「いやいや、母上、父上! 一度もわたしがそのようにお二人を呼んだことはないんですが!?」

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