暗殺者、ノーネーム

 場所は返した。

 あの日、救われた命の恩も返した。

 押し付けかも知れない。

 自己満足かもしれない。

 というより、偽善だ。


 あの日まで何もなかったわたしに、いろんなモノをミージェ様がくださったことにより、暗殺者ではなくなった。

 だから、その全てを返し、何もなくなったわたしは再び、暗殺者に返り咲いた。


 そう自分に思い込ませ、わたしは十年以上、胸に潜ませていた炎に油を注ぐ。

 さぁ、復讐を始めよう。


  * * *


 皇都に広がる地下水路のとある一角。

 そこが、奴らのアジトの一つだった。

 だったというのは、既にわたしがここにいた奴らを全員殺し、ここのアジトを壊滅させたからだ。

 目の前に広がる赤い水溜まりや壁に散った赤の絵の具。


 無数に転がる動かない置物は、いずれも心臓を一突きした傷があるだけ。

 別に快楽殺人でもなければ、いたぶりたいわけでもない。

 むしろ、ミージェ様を生き返らせてくれたことで感謝の感情が芽生えているぐらいだ。


 だが、同時に憎くてたまらなかった。

 わたしに結果的にだが、大切な人を殺そうとさせたことが。

 不安でたまらないのだ。

 ミージェ様の体内にある負の魔力は浄化した。けれど、もしかしたらわたし達の知らない方法で、ミージェ様を再び魔王にさせる計画が動いているかも知れない。


 心が痛むのだ。

 教団を野放しにしたら、わたしの知らないところで、わたしやミージェ様のような、不幸に合う人が出ることが。

「まぁ、最もな理由を並べているけど、実際は復讐出来る力があるから、復讐しているだけなんだけどね」


 孤児院から教団に拾われ、ミージェ様を暗殺するために磨かされていた暗殺術。

 それをこっそりと練習をしていたんだよね。

 それと、貴族の嗜みで、剣術や武術で戦闘の基礎を叩き込んでいた。


 今や、城内を警備しているちょっとした近衛兵を数人相手にしても、勝てるほどの強さだと、レオンに言わしめるようになったことが、自慢なんだよね。

「っと、次は」


 わたしはコートに付いてあるフードを、念のためにと深々被り直し、手元に目を落とす。

 そこには、ミージェ様から、伝えられた情報を元に教団のアジトであろう場所をメモした紙があった。


 しばらく、それとにらみ合いをした後に、次の目的地を決めた。

「ん、次は、ここっと」

 移動を始めようとしたその時、何重にも重なる金属質の足音が、聞こえてきたので、物陰に隠れ、息を潜める。


 数秒後、アジトの惨状を目の当たりにした騎士達の声が上がる。

「こ、これは……」

「これだけの人数を少女一人で……」

「っ!」


 わたしは聞こえてきた言葉に思わず息を呑んだ。

 おかしい。

 情報が早すぎる。

 いや、そもそも、目につくことがないように、行動していた。とはいえ、完全に人目を避けれていたかというと、完全には無理な話だ。


 それでも、誰かに通報されたとしても、全身をコートで覆っているし、フードを深々と被っていたので、単独犯だということは特定されていても、少女という単語が口から出るのは、おかしい……。


 と、なると、可能性は一つ……。

 わたしの推論を決定づけるように、聞きなれた声が、アジト内にこだました。

「もう一度いうが、相手はミージェ=カストル嬢と偽って来た、暗殺者だ! しっかりと審問に掛ける必要がある! 間違っても殺すな!」


 しっかりとした、はきはきした口調だが、確かに声は殿下のものだった。

 そう言えば、十年前、殿下が協力者になってくれる代わりに、ミージェ様が復活した暁にはいかなるバツでも受けます! と、お約束したっけ?


 殿下は誠実で、完璧に協力者として、演じてくれていたから、すっかり忘れていたけど、本当に良くも悪くも誠実な人だな。ミージェ様が困ったことがあったら頼りなさいって言ったわけだ。

 その誠実な殿下との約束を守らなくちゃな……。


 無という油で、既に消えかかっていた復讐の火を、無理やり燃え上がらせていたせいか、先ほどまで心の中に燃えたぎっていた炎は、すんなりと鎮火した。

 所詮、わたしの復讐心など、こんなものだ。


 何か他にやることが出来たらすぐに消えてしまう。

 いや、違う。殿下に指輪を嵌めて貰う前までは、制限してくれていないと、復讐しかねなかったと、思う。


 わたしの心にある空っぽだった水瓶は、この十年の間に満ち足りたのだ。

 その溜まった水が、復讐の炎をだんだんと消火していったのだと、思う。

 名もないただの代役としてだけのわたしに、本当に良くしてくれた殿下を含めた、皆には感謝しないとね。


 とはいえ、重要なのはここから。

 もちろん、きっちりと処刑されるつもり。わたしはそれぐらいのことをしたわけだし。

 えっと、公爵宅侵入、公爵令嬢暗殺未遂、身分詐称、王城侵入、暴行、脅迫……エトセトラ。


 ん、いろいろやってきたから、仕方ないよね。

 ただ、大人しく捕まって、正当な処罰を受け入れたら、捕まえた殿下とミージェ様が対立しかねないんだよね。

 だから……。


 白銀に輝く軽鎧に身を包んだ殿下の姿が目に入った瞬間。わたしは、短剣を構え、物陰から飛び出し、殿下へと突き進む。

 別に、命を狙おうとしているわけではない。

 フリだ。


 殿下の命を狙おうとしている不穏な輩が現れたら、いかに殿下の命令だとしても、殿下のお命には代えられない。

 したがい、問答無用でわたしは殺される。これなら、殿下もミージェ様に言い訳がたつだろう。


 そう、思っていた。

 が、周囲を捜索していた鉄製の鎧を着た騎士達は、「いたぞー!」や、「殿下を守れーー!」等と口で囃し立てるだけで、攻撃してくる素振りもなければ、動こうともしない。


 おかしいとは思ったけど、もう少し近付けば、彼らも無視できない筈だ。

 それに、いつも一緒にいるレオンが、しゃしゃり出てくるだろうし……。

 殿下へと突き進み、とうとう殿下に短剣が届く距離まで来てしまった。


 わたしは、最後の一歩を勢い良く踏み切り、短剣を殿下の首目掛けて振り切る。

 しかし、それでも、誰一人動こうとしなかった。

 命の危機に陥っている殿下でさえあっても……。


 振り切った短剣はもちろん、本当に殿下を傷付けるつもりはなかったので、首筋一ミリのところで止めた。

「どうして、ですか……?」

 わたしの問いには、答えずに、殿下は短剣を持っている手を優しく掴み、いつもの声音と口調に戻り、一言。


「やっと、僕のことをみてくれたね……」

「答えになっていません!! あなた様は今、わたしに殺されるところだったのですよ!?」

 殿下の穏やかな微笑。

「でも、ちゃんと、止めてくれたじゃないか?」


「そんなタラレバの話じゃなく、わたしがもし、止めなかったら、どうするつもりだったのですか!?」

「ん。最愛の者の手で命を狩られるんだ。僕はそれはそれで良いと思っているんだけどね」


「へ?」

 意味がわからなかった。

「やっぱり気がついていなかったんだね。僕は初めて君に会ったときから、君を愛してる」

「ちょ、ちょっと待ってください! それは、協力者を引き受けてくれて、その丁度良い体裁作りの詭弁だったのではないのですか!?」


「いいや、逆だ。君を愛してるからかこそ、君の側に少しでも長くいたいからこそ、僕は協力者になったんだ」

「えっと、ちょっと整理する時間を貰っても良いですか!?」


 全身が熱い。このまま、体中の水分が蒸発してしまうのでは?

 いや。いやいやいや! そんなことより、今は殿下の言葉の真意を読み取ることが、先決。

 熱に脅かされ、徐々に考えがまとまらなくなっている頭で、必至に考えた。


 けど、

「いいや、待たない」

 顔を近付けて来る殿下。

 微かな息遣いが肌に伝わって来る。

 さらに、わたしの全身が熱くなる。


 ん、ミージェ様復活にだけ、精魂掛けて生きてきたから、こういうことに対する、耐性は無かったんだな……。

 って、言っている場合かー!?

「離してください! 殿下!」


「いいや、離さない。君を一度でも掴んだら、君が気絶させるまで、離してはならない。離したらもう君と会えないと思いなさい。それが、ミージェ殿から言われた言葉だからね」

 ミージェ様ーー!!??


 予想外の裏切りにあい、最もな理由を早口で伝えた。

「そそそそれに、わたしは元々平民。いえ、奴隷のようなものだったのですよ!? そんなわたしが殿下の寵愛をいただくなど……」


「それなら、問題はないさ。もう少ししたら……いや、何でもない。それに、これは君に対するバツだからね」

「ば、バツ……!?」

「ああ、約束しただろ? ミージェ殿が復活した時には、どんな処罰でも受けるって……」


「い、いいいいいいいいましたけど……!」

 その後、殿下はもう話すことは何もないと言わんばかりに、更に顔をゆっくりと近付けて来る。

 そして、唇に殿下の柔らかい唇の感触が……、伝わる寸前。


 そこからの記憶はない。

 いっぱいいっぱいになり、ついに意識を手放したのだ。

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