第4話

 しばらくヴィト村の皆との交流を楽しんだエミリーは、ゲオルギウスの言っていた「確実な戦力増強」にしばらく呆気にとられ、それから烈火の如く激怒した。

 久しぶりに回復薬の補充のために帰ってきたゲオルギウスの後ろには、モンスターの皮を自分の体積ほども担いだ、猫のような耳と尻尾を持った、ゲオルギウスの胸くらいの背丈の、ボロ布と首輪を身につけた少女。首輪につながっている鎖はゲオルギウスが握っている。

「なにってお前、獣人の奴隷だよ。まぁこんな貧相な体じゃあっちは全然楽しくないけど、取り敢えず安かったからな」

「お金の話なんかしてない!奴隷を買うなんて…待って、貧相な体って、叔父さん、まさかこんな小さな娘を…!」

「当たり前だろ、買ったんだからこいつをどうするかなんて俺の勝手だ」

「そんな事許される筈無いでしょ!」

「心配するなって。亜人族の売買は合法だから」

 全く話が噛み合わない。元の世界での発想を引きずっているエミリーに問題があるのだろうか。一瞬そう思いかけて、エミリーは慌てて否定した。ゲオルギウスは人間が奴隷として売買されていれば遠慮なく買っただろう。

 これは奴隷という金で人権を剥奪はくだつする行為の是非の問題だ。かつて地球にもあったそうだが、歴史の中で消えていったという事は、そちらの方が倫理上だけでなく、経済的にも有利だという証明のはずだ。

 だが今そんな事をゲオルギウスと論争しても仕方がない。とにかく今はこの重すぎる荷物とボロの衣装というアンバランスな少女の状態を解決しなくては。

「貴女、名前は何というのかな?」

「え、あ、その…」

 腰を屈めて、視線を合わせてなるべく優しい声で話しかけたが、奴隷の少女はオドオドして上手く話せないでいる。

「名前を教えてくれないかしら」

 もう一度話しかけてみるが、やはり返答は返ってこない。

「まさか主人以外話してはいけない、なんて決まりは無いでしょうね」

「なんでもかんでも俺のせいにすんな。そいつが臆病おくびょうなだけだ、モンスター相手ならビビらないから構わねーけどよ」

 こんな扱いを受けて人に怯えないならその方が不思議だ、とエミリーは首輪や粗末な衣服を見て思う。

「とにかく、こんな格好させておけません。着替えさせますけど、良いですよね」

「無駄な事するなぁ。勝手にすれば良いけどよ」

「良し!それじゃ、荷物を一旦置いて私に付いて来てくれる?」

 もう一度呼びかけて手を引くと、ようやくコクンと頷いて、皮の山をその場においてエミリーに付いて来た。

「おい、この荷物どうすんだよ?」

「叔父さんが自分で運び込んでおいてください!」

 エミリーは吐き捨てるように言い残して、決して強く引っ張らないように、優しく優しく奴隷の少女をプレイヤーホームへ案内する。

 2階の自分の部屋に入って、クローゼットからなるべく少女らしい色柄のワンピースを取り出す。全くサイズが合っていないが、そこは腰を絞るしかないだろう。

「今はこれで我慢してね。村の人に頼んで子供向けの古着か何かゆずってもらえるか、頼んでみるね」

「あの…」

 大急ぎで選んだ服を差し出すと、蚊の鳴くような声が聞こえた。声を出すと遮ったと思われるかもしれない、そう思ったエミリーは視線で言葉を促す。

「奥様、は、なんで…」

「え、奥様?」

「は、はい…ご主人様の、奥様…なのですよね?」

「う、うん。そ、そうね。そうだった…」

「?」

 エミリーは内心しまった、と自分の迂闊うかつさを悔やんだ。一度遮さえぎったが、話を続けてくれるだろうか。

「その、続けてくれる?」

「はい…奥様は、どうして、優しくしてくださるのですか?」

 その言葉にエミリーはこの少女の身の上を僅かに垣間見て、思わず力いっぱい抱きしめた。多分今まで誰にも優しくされたことがないのだ。優しくされるのに資格が必要で、それが自分には無いのだと思い込んでいる。あまりにも悲しい問いかけにエミリーは何も言えずにひたすら少女を抱きしめ続けた。


「ごめんなさい、何も答えられなかったわね」

 しばらくして、ようやくエミリーは少女を解放した。

「人が人に優しくするのに、理由なんて要らないの。私はそう思っている」

「でも私は…ミトは獣人です。人間じゃありません」

「あなたがどんな生き物かはこの際問題じゃないの。あなたには心が有るし、それを私たちと分かち合うことができるんだもの。今まで生まれを理由にどんな扱いを受けてきたのか、私にはわからないけどきっとそれが間違ってる。おじ…ゲオルギウスが何と言おうと、あなたは私が幸せにするわ」

「幸せ?」

「そうよ。あなたはもう危険なモンスター退治に付き合わなくてもいいし、綺麗な洋服を着て、美味しいものを食べて私と暮らすの」

「でもそんな…ミトはご主人様に買われたのに…」

「ちゃんとゲオルギウスは説得するわ。夫婦なんだから、こういう言い方は嫌だけど、財産は共有よ」

 どうせまた新しい奴隷を買うのを予想しているのだから、これはとんだ偽善かもしれない。エミリーはそう思うが、とにかく自分が苦しい境遇きょうぐうにあることを当然と思っているミトを救い出さなくてはいけない。

 獣人がどんな種族なのか、どんな経緯でミトが奴隷の身分に堕ちたのかは知らないが、金でその運命を売り買いされて、望みもしないモンスター退治をやらされて、夜は男のなぐさみ者にされる。その境遇を当然の事と受け入れているミトに、それは違うんだと教えなければ。

「それじゃ、しばらくこの部屋で待っててね」

 おそらく直接ゲオルギウスと顔を合わせてしまえば、高圧的に命令されて従ってしまうだろうから、エミリーだけで話を付ける事にする。いずれはゲオルギウスに自分のあるべき姿を自分で主張できるようになってもらいたいが、今は無理だろう。


「叔父さん、運び込み終わった?」

「ああ、ったくこういう雑用のための奴隷だってのに、何考えてんだ、お前は」

「勿論ミトの幸せな生活について」

「幸せだぁ?」

「そうよ。誰にだって幸せに暮らす権利が有るもの。でもあの子はまだ自分にそれが有ることすら判ってない。だから代わりに誰かが幸せになる方法について考えてあげなくちゃ」

「けっ、相変わらずいい子ちゃんだな、お前は」

「言っておきますけど、私の性格が問題なんじゃありません。そもそもミトは何故奴隷なんかになったんです?」

「何故も何も獣人なんだから当たり前だろ」

「獣人だと、何故奴隷になるのが当たり前なんです?」

「なんでってそりゃあ…」

 ゲオルギウスは直ぐに言葉に詰まる。エミリーの思った通り、彼は何も考えずにただ奴隷という制度が有るから当然のようにそれを使ったのだ。

 おそらく歴史をたどれば獣人にみんな自由が無いことの説明なども手に入るだろうが、今はゲオルギウス一人を言い負かせば充分だ。

「何も考えてなかったわけですね。何も考えずに、あんな小さな子にぼろ布一枚着せて、モンスターと無理やり戦わせて、酷いことをしていたと」

「それは…だから…あいつは奴隷なんだから」

「あの子が奴隷にされるほど何か悪いことでもしたって言うんですか?」

「いや、だから獣人で」

「獣人だとなんで奴隷なんです?獣人は何か悪いことをしたんですか?」

「…そういうのは知らねぇ」

「とにかく、あの子は私が引き取ります。運んできた皮は鎧に錬金しておきますから、叔父さんは村長の所でいつも通り依頼を受けてきてください」

「…わかった、わかった。任せたぞ」

「薬もいつも通り用意してますから、持って行ってください」

 断固としてもうミトには手出しさせない、その気持ちを込めてエミリーがにらみつけてやると、ゲオルギウスは辟易へきえきしたようにプレイヤーホームを出て行った。

 乱暴にドアを開閉してゲオルギウスが出て行ったのを確認すると、エミリーは再び二階に上がって部屋で待っているミトの元へ戻った。本来ならば服を与える前にすべきだったが、ミトをお風呂に入れてやらなくてはいけない。

「あの…奥様…」

「奥様っていうのはちょっと嫌かな。エミリーって呼んでちょうだい」

「エミリー様…」

「様、もなし。呼び方を押し付けてなんだけど、あなたはこれから奴隷じゃなくなるんだから」

「え?でもミトは獣人で…」

「ゲオルギウスもそんな事言ってたけど、獣人だと奴隷にならなくちゃいけない理由でもあるの?」

「理由…」

「難しいことは後々。今はお風呂に入っちゃいましょ」

「お風呂…そんな、ミトなんかがそんな立派なもの…」

「なんかってことは無いでしょ。ミト、せっかく綺麗な髪をしてるのにボサボサだし、なんか汗の臭いがするし。この家で暮らす以上、そういうのは認めません」

「…わかりました…エミリーさま…さん」

「よし!それじゃ一階のお風呂場に行くよ」

 まだいきなりの変化に戸惑っているが、エミリーは次々に言葉を投げかけてミトに考える隙を与えない。お風呂場に直行すると、先程着せたばかりのワンピースを万歳させて脱がせ、自分もさっさと脱いでたたむ。

 実はゲオルギウスが帰ってくる直前に入浴するつもりだったので、浴槽にはすでに水を張っている。一般家庭ならとてもこれだけの水をお湯になどできないだろうが、エミリーは錬金術師だ。呪文一つで大量の水を適温の湯に変えてしまう。

「凄い…お湯がこんなに…」

「便利でしょ。私は錬金術師だからね。普段は薬を作って暮らしてるのよ。これからはミトにも手伝ってもらうからね」

 そう言ったエミリーの脳裏には、先日近所の奥様方に手伝ってもらった時の苦い思い出がよみがえるが、臨時手伝いでなくみっちりと関わっていくならミトにもある程度のことはできるようになるだろう。

 それと同時に、奴隷でないミトを働かせるのだからお給金についても考えなくてはいけない。しばらくは本人にも金銭感覚が身に付かないだろうから帳面に記録しておき、これからはゲオルギウスに任せきりにしてきた町での買い物なども積極的に自分で行くようにしよう、とエミリーは考えた。

「へくちっ」

「ああ、ごめんごめん、ぼうっとしてた。取り敢えずお湯を体にかけちゃおうか。熱いお湯は苦手とかある?」

「大丈夫です。今まで水浴びしかしたことが無いのでちょっと怖いですけど」

「ん~…じゃ、取り敢えず桶にお湯を取って…足からゆっくりかけていこっか」

「ありがとうございます」

 温かい液体、という物に縁がなかったらしいミトはおっかなびっくりだったが、何度かエミリーがお湯を体にかけていると慣れたようで、頭からお湯をかぶることもできた。

 エミリーもお湯をかけて体を温めると、まずはミトの背中を流してやることにした。恐縮するミトの背中を泡だらけにした後、腕へと移ったエミリーは有ることに気付いた。

 ほとんど非武装でモンスター退治などしていたのに、ミトの体には傷一つ無かった。

「ミト、綺麗な体だね。モンスターの攻撃とか、ヒョイヒョイ躱してたの?」

「え…怪我は、一杯しましたけど、ごしゅ…ゲオルギウス様が、薬を小まめに使ってくださっていたので」

 意外だ。錬金術師のエミリーがいるから回復薬は潤沢じゅんたくだろうが、それを奴隷のミトにもたっぷり使っていたとは。これは少し見直した方が良いかもしれない、そう思いかけたエミリーだったが、

「その、体に傷が残ってると…興が乗らないから、と…」

 何の話かは詳しく聞かなくてもわかる。前言撤回だ。

 その後、前は流石に自分で洗うというミトの好きにさせて自分も体を流したエミリーは、泡を丁寧に流して二人でゆっくりお湯につかり、火照った体を冷ますように果実水を錬金術で冷やしてふたりで飲む。

 体が温まったミトが眠そうにしているので、今日は夕食抜き、皮の錬金も明日に回して、ミトをエミリーの自室のベッドに案内した。二人で使っても十分なサイズのベッドだし、ミトをゲオルギウス用の部屋には入れたくなかった。

 誰かに甘えながら眠るなど何年振りなのだろうか、エミリーにしがみついて眠るミトの前髪をいじって無邪気な寝顔を眺めているうちに、エミリーにも睡魔が訪れて二人は抱き合って一夜を過ごした。

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