第2話
絵美里はそこまで熱心なスロー・ガーデンのプレイヤーではなかったが、それでも錬金術師という希少な技術職という事で、充分な蓄えが有った。プレイヤーホームに戻ってメニュー画面を介さずにそれを確認した絵美里と真白は、村長の勧めに従ってすぐに結婚式を挙げることにした。
もう二人の間ではゲームの世界に転移してしまったことは確定事項なので、既にこの世界に根付いているエミリーに紐付けてどこからともなく現れてしまったゲオルギウスの身元を確定させるためだ。いくらしっかりした戸籍制度がない世界だと言っても、全くの正体不明の人間でいるよりずっとましだろう。
もちろん22世紀においても近親婚はタブーだ。結婚といってもただの形だけのもので、夫婦生活を営むつもりなどお互いさらさらない。
結婚式は村長夫妻が介添人となり、寒村の住民としてはかなり盛大な規模で行うことができた。その後の披露宴での神父の言動には、冒険者のゲオルギウスを都市部に確保するために新郎新婦をこの機に移住させたいという意図が透けて見えた。ゲオルギウスは少々乗り気だったがエミリーは断固として断った。大体エミリーの錬金術の素材となる薬草園は、人間の都合で引っ越しできるような資産ではない。
「その辺の事を考えずに、自分の街の事情を押し付けようとするのが神職者だなんてね」
「そんな事どうでもいいだろ。俺としちゃあこの町の方が仕事にありつけそうなんだけどよ」
「仕事ならヴィト村にだって有るに決まってるじゃない。むしろ領主の兵士とかがいない分、村の方が戦力は必要とされるに決まってるじゃない」
「けど、あんな貧乏村でいい報酬の貰えるクエストなんか有るかぁ?」
「報酬の話じゃなくて、どちらの方が大変かって話でしょ」
「はいはい、絵美里はいい子ちゃんでちゅね~」
自分に何ができるかでなく、何を貰えるかを基本に考える真白の発想にうんざりするが、あれこれ言ってもどうせ理解できまい。なんといっても運命共同体なのだから、なるべくお互いの関係がギスギスするようなことは避けるべきだ。と思うものの、なぜ年少の自分が人間関係に配慮する側に回らなければならないのか、とは思う。
こうしてエミリーとゲオルギウスのお互いに愛情のない夫婦生活は始まった。
ゲームが現実になったといっても、エミリーのやることには変化が無いようだった。正直肥料づくりなどは実際に作らねばならないかと、戦々恐々としていたがゲームだった頃の錬金術や薬草栽培の時に一定確率で作られてしまう、錬金くずを錬金術で肥料に変化させる方法はそのままだった。
村の住民もエミリーの肥料を購入して使うのが当然のようで、ゲーム時代はなぜか一定のペースで売れていた風邪薬や回復薬などと違って、世界が変わって唯一の安定した需要のある商品になりそうだった。
ゲオルギウスの村周辺もモンスター退治も順調のようだ。最初はおそらく死んだらそれでおしまい、という事から腰が引けていたようだが、この村周辺に出る動物系のモンスターなら油断しなければそれほど恐ろしくはないらしい。その所感こそが油断のようにエミリーには思えたが、最初は気乗りしていなかった村暮らしに馴染めているのは良いことだとも思った。
だがその上機嫌には裏があったらしい。ゲオルギウスが村から少し離れた洞窟に出るというジャイアントスパイダー退治に意気揚々と出かけた日の朝、マーサが擦れ違うようにエミリーを訪ねてきた。
「エミリーさん、あんたの旦那なんだけど…」
「どうしました?村の誰かに暴力をふるうとか?」
「いや、そういうのじゃないんだけど…実はレニィさんとこに入り浸ってるって…」
レニィはスロー・ガーデンの頃にも出現した村で唯一のネームドNPCだ。
「その…それはしょうがないんです。錬金術師の魔力の関係で…」
「どういうことだい?」
「つまりその、私そういうの出来ない体なんです、ゲオルギウスはそれは承知の上で結婚したし、私もそういう事は
「レニィさんが一番気にしてたよ、普段相手にするのはまだ相手の決まってない若い男ばかりなのにって」
「むしろご迷惑をおかけしているのに…何て話したら良いでしょう?」
「それは…気にしないように、とだけ言うしかないんじゃないかね」
「そうですね、下手に踏み込んでもお互い困るだけですし、今日はわざわざ教えに来てくださってありがとうございました」
「いや、余計なお節介だったみたいでかえって悪かったね。それじゃ、また」
恐縮したように帰っていくマーサを見送って、まだ男女の仲については未熟そのもののエミリーはゲオルギウスをどう諭したものか、と苦悩することになった。
「はぁ?浮気ぃ?」
結局率直に村で悪い噂が流れている、とエミリーが伝えるとゲオルギウスはいかにも面倒くさい、という顔つきになった。
「まぁでも丁度良かったかもな」
「どういう事です?」
「この村周辺のモンスターは狩りつくしたからな。そろそろ
「じゃあ町に移動するんですか?薬とかどうします?」
「どうするって、買うのは勿体ねぇだろ。時々ここに戻ってきて補充するさ」
「じゃあ、頑張ってきてください」
「今頑張るのはお前だろ。薬できるだけ作ってくれ」
確かにそんな小まめに往復していたら大変だろう。できるだけ一気に作って目一杯ゲオルギウスに渡すために、しばらくはエミリーが頑張って在庫を使い尽くすつもりで働かなくてはいけない。
そして数日後、ゲーム時代はレシピだけは存在した俊足薬を呑んだゲオルギウスが町に旅立つのを見送ったエミリーは、しばらくは薬草園の世話だけで過ごすことになるかな、とのんびり構えていた。
そこへ聞き慣れたノック。このリズムはマーサだろう、また何か起こったのだろうか。そう思ったエミリーが今日の話題は何だろうと思いながらドアを開けると、マーサは開口一番、
「エミリーさん、旦那さん出て行っちまったのかい?」
「へ?」
「さっきゲオルギウスさんが大荷物を抱えて村の外に向かっていくのを見て…やっぱりこの間あたしが変なこと言ったのがまずかったのかね?」
「あ、違うんですよ。この辺りでのモンスター狩りは一段落したから、町へ出稼ぎに出るって前々から言っていて」
エミリーが
「心配かけてごめんなさい。せっかくだから、薬草茶でも飲んでいきませんか?」
「そうかい?じゃ、久々に頂いていこうかね。走ってきたから喉が渇いちまった」
「本当に、いつもあれこれ心配させてるみたいですいません。ちゃんとした夫婦だったらこんな事にならないものでしょうか」
「ちゃんとした夫婦って?」
「あ、いや、その…ほら、前ちょっとお話ししたでしょう」
「ああ、そういう事かい…いや、どうなんだろうね。村でもちゃんと好いた者同士の結婚でも、いざ一緒になってみるとあれこれ問題が起きる連中もいるしね」
「難しいですねぇ、男女の仲は。でも私は少し距離を置けてホッとしたような所も有るんですよ」
「何か上手くいかないような事でもあったのかい?」
エミリーが冗談めかして話しだしたので、深刻な話題ではないと直ぐにわかったのだろう。マーサは軽い口調で応じる。実際お茶を淹れるまでのちょっとした時間つなぎの、相手の生活態度への
そこからマーサの夫の話題、今年の農作物の出来、去年の
それからのエミリーの生活は気楽な独り暮らしだった。毎日薬草園に出て水をやり、成熟した薬草を摘んで錬金術で薬に変える。殆どはゲオルギウスに渡すための回復薬と解毒薬だが、多少は娼婦レニィ向けの媚薬や、村長宅で村に起こった困りごとを聞いて解決のための薬を作ったりもする。
だいぶ一日の予定が空いているので、実際に村を回ってご近所づきあいのついでに悩み事が無いかを尋ねて回る。錬金術師はかなり尊敬される職業のようで、まだ20代の小娘にしか見えないエミリーにも誰もが敬意を払ってくれる。ただその分、直接悩み事を打ち明けられることは少ない。後から村長から、実はこんな問題が起こっている、と聞かされることが多い。
ときどきゲオルギウスが薬の補充のために村に戻って来る。一旦は狩り尽くしたといっても、時を置けばモンスターも新しい個体が現れるので、その時にまとめて退治していく。最初のうちは町よりも格段に報酬の安い村での仕事を渋っていたが、エミリーがしつこく頼むことも有って、やらずに村を出て行くということは無かった。また、だんだん装備が充実し、メニュー画面からステータスが見られないのではっきりとは判らないが、レベル的なものが上昇しているのだろう。どんどん手際が良くなり、しばらくすると薬を取りに来た時の片手間の作業、という感じに落ち着いたようだ。
ところがその装備の更新が最近は為されている様子がない。
「叔父さん、最近装備が変わってないけど…仕事が上手くいってないの?」
「ん…別にそんなわけじゃねぇけど、でかい買い物をしたくてな。しばらくは
「へぇ…魔法の武器、みたいなの?」
「そういうのも有るには有るけど、言うほどすげえ性能って訳じゃないからなぁ。もっと確実に戦力になるもの」
「なにそれ?」
「内緒だ。そのうち持ってきてやるからびっくりしろ」
絶対に驚く、と確信している様子のゲオルギウスにエミリーは
「そういえば絵美里の方はレベルアップとかそういうのは無いのか?」
「有るよ。なんとなくだけど、新しいレシピを思いつくことが有るの。でも材料がね…」
「どんなのが必要なんだ?ていうか何が作れるんだ?」
「何かの皮が有れば、革製品…叔父さんにはもう要らないけど、レザーアーマーとか作れるみたい」
「何だ、そういう事ならいくらでも取ってきてやるぞ。俺は使わねぇが、町に行けばいくらでも売れる」
モンスターを討伐した時にその種類によっては良い皮が取れるらしい。中には肉が美味いモンスターもいるようで、冒険者について行って解体作業を請け負う者もいるそうだ。
「いくらでもって…鎧なんか誰がってそうか、冒険者がいるんだ」
「おう、しかもこの世界の並みの冒険者はばたばた死ぬからな。鎧は売り放題だぜ」
「なんかそれはそれで嫌な話…それにしても、そんなに冒険者がいるの?」
冒険者というのはどう考えても生産性のかけらもない職業のようだが、そんなに居てしかも結構死亡率が高いとなると、社会が成り立っているのが不思議にエミリーには思える。
「この国には結構な。なんか知らんが、この国は魔族が人間族の国に入らないような防波堤みたいな場所らしいぞ」
「へぇ。それじゃ他の国にはモンスターとかそんなに出ないんだ」
「らしい。この国はモンスター退治する分他の国から援助を受けて成り立ってるんだとよ」
理屈はなんとなくわかった。それはそれとしてやはりどんどん人が死ぬというのは気分が良くない。エミリーは自分の鎧を命を人質にして売るようなことはしたくなかった。
「私が作る分はできるだけ安く売ってね」
「おまえな。そりゃ俺だって命と引き換えで大金が欲しいとは思わねぇが、他の防具屋とのしがらみってものが有るだろ」
「う…それはそうか」
確かに今の発言は近視眼的だったかもしれない。ゲオルギウスにとっては自分の防具を売ってくれる店の不興を買う訳にもいかないだろう。
「それじゃ、直接売るんじゃなくて防具屋さんに卸すのは?」
「ああ、それならある程度安く売っても文句は言われねぇな」
そもそもエミリー自身には錬金術で作った鎧の品質の品定めができない。防具屋できちんと目利きしてもらって値を付けられた方が誰にとっても好都合だろう。
「でもモンスターの皮なんてそんなにたくさん運べないよね。叔父さんはそういうの面倒くさがると思った」
「まぁな、面倒くさい。しかし新しい稼ぎ口が手に入るならやりようは有るのさ」
「どういうこと?」
「それも今度戻って来る時を楽しみにしてな」
またニヤリとエミリーに嫌な予感をさせる奇妙な笑顔をゲオルギウスが作る。本当にろくでもないことが起こりませんように。この世界に来て初めて知った神様という存在にエミリーは真剣に祈った。
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