錬金術師エミリーのスローライフ

嶺月

第1話

 21世紀も終わりに近づく頃、人類はついに限りなくリアルに近い仮想現実空間と、ヘルメット型のインターフェースで脳波を読み取ってアバターを自在に操作する技術を手にした。

 某国で極秘裏ごくひりに開発されたサイバー技術とメタ・バースの共通する音を組み合わせてサイ・バースと名付けられたその技術は即座に軍事転用され、自我を持つほどに発達したAIと組み合わせて完全に無人の軍隊が創設された。某国はこの「兵士が死なない」軍隊を世界中に派遣し、あっという間に地球を統一した。

 更に時の指導者はAIによる政策決定システムに全てを委ね、国籍こくせきなどで差別するという発想を持たないAIの政治によって、世界中で貧富の格差、人種差別などが完全に撤廃てっぱいされ、人類は何千年という闘争の果てに恒久平和にたどり着いた。

 それから約50年、世界制覇を成し遂げた仮想現実の技術は民生技術となり、様々な分野での応用が図られた。中でも顕著けんちょなのがオンラインゲームを、アバターを自分が実際に動いている感覚で楽しめるジャンルだ。この新感覚のゲーム分野は、AI技術と並んで進歩したロボット技術によって、労働という概念がほとんど消失しつつあった人類の主たる生きがいとなった。

 さまざまなゲームが作られて世に出たが、中にはあまりに先鋭的なために全く人気の出ないタイトルもあった。その代表が、錬金術師となって薬草を栽培し、収穫した薬草を合成して薬を作り、店で販売するというサイクルをゴールも特に設定されずに繰り返す「スロー・ガーデン」というゲームだ。日当たりや地質により薬草の生育が変化する、現実時間をある程度圧縮した時間経過によって収穫した薬草の質が変わるなど、リアルな農作業を売りにしたタイトルなのだが、派手なエフェクトの魔法や超能力、人間にはどうやっても不可能なほどのアクションを売りにする他のゲームに対して、あまりにも地味すぎて発表当初から売り上げは低迷していた。

 しかし物好きの種はいつの世も尽きないもので、この不人気タイトルにも一定層のユーザーが付いて細々と運営は続けられた。その綱渡りのようなゲーム経営も5年ほど続いた後、とうとう運営はサービス終了を決定した。だがサーバーを売却するのではなく、依頼を受けてモンスターと戦うアクション要素で大幅に拡張する、という形でゲーム会社としては存続するという無謀な決断を下した。さらにそのスロー・ガーデン2では、従来の錬金術師と新たに生まれる冒険者で「結婚」することでアイテムや素材を共有するというシステムを付け加え、スロー・ガーデンの錬金術師と2で冒険者となるユーザーの間で予め「結婚」できる「婚約」というシステムまで作った。このサービス終了直前の大型アップデートがネット中で話題になり、スロー・ガーデン2の事前登録者数はうなぎのぼりだった。


 この新規ユーザー層が爆発的に増加するスロー・ガーデンで、エミリーというキャラクターを登録して遊んでいる坂崎絵美里さかざきえみりは珍しい古くからのユーザーだった。ほとんど自動化された農業という産業に興味があり、13歳ごろ、なんとなくゲームを始め、明確なシナリオの終了がないためにそれから3年間、ときおりログインだけという日もあったがダラダラ続けてきた。

 2が開始されてもこんな調子で、大学を出たら本当の農業をするからやめるだろうな、と思っていたらある日叔父が連絡をよこした。曰くスロー・ガーデン2で冒険者をやりたいからコンビになろう、という話だった。正直絵美里はこの叔父、坂崎真白さかざきましろが苦手だ。真白はAI政治が潤滑に回り始める以前の「オールド・エイジ」で、いまだに人権思想や功利主義を理解していないし、学ぼうともしない、平気で人を傷つける言動を口にするような男だ。

 それでも親類だから、と申し出は受けることにした。おそらくスロー・ガーデン2では冒険者が手に入れる素材がないと、錬金術師としてのプレイにも支障をきたすだろうと思ったからだ。手近な所でパートナーが見つかるなら相手の人格は許容範囲無いだろう。


 そして1から2へとサービスが切り替わる日が来た。1のサービス終了予定時刻にして2のサービス開始予定時刻は10:00かっきり。9:00頃ログインして最後の薬草園の世話を終えた絵美里=エミリーがプレイヤーハウスに戻って来ると、見慣れない男のアバターが待っていた。

「…叔父さん?」

「おう、絵美里か。これからよろしくな。しっかし、こんな地味なクソゲーやってるやつが身内にいて助かったぜ。他のサイバース・ゲームで知り合ったやつ片っ端から声かけても誰も付き合ってくれなかったんでな」

 積極的とは言えないにしろ、それでも今まで遊んできたプレイヤーの目の前で「クソゲー」呼ばわりする無神経さが真白らしい。おそらく声をかけた誰もが、彼とコンビを組みたくなくて断ったのだろう。

 真白のアバターネームを確認するとゲオルギウスとなっていた。龍退治の英雄の名前だ。だが正直絵美里には真白がそんな明らかに強大なモンスターを退治できるほどプレイを続けるかは疑問だった。

「あと5分ほどでしょうか…?」

「ん?ああ、そんな感じだな。ゲームが始まったら取り敢えず片っ端からクエスト受けてクリアするから、どんどん回復アイテム錬金しろよ」

「わかりました。回復アイテムなんて作ったことなかったんですよね。レシピは初歩でしたけど、今までのゲーム内容では買う人がいなかったから」

「よくそんな調子で遊んでこれたなぁ」

「毎日ちょっとログインしていじるくらいでしたし…」

 話していると突然眩暈めまいが起きる。これがゲームの再構築だろうかと絵美里は一瞬思ったが、そんな筈ないとすぐに自分で否定する。プレイヤーの感覚に影響するような危険なプログラムが組まれているわけがない。眩暈めまいが収まったらいったんログアウトして運営のアナウンスを待とうと考えながら、じっと感覚が安定するのを待つ。

「おい、絵美里。大丈夫か?」

 一足早く真白の意識が正常に戻ったようだ。

「ちょっと待ってください、叔父さん…ふぅ、収まってきました」

「何だったんだ今の…まさかゲームの演出じゃないよな」

「あんな風になるなら事前に告知が有ると思います。いったんログアウトしましょう」

「そうだな…んぁ⁉」

 真白が奇声を発し、絵美里は何事かと思うが自分にもすぐに原因がわかる。システムメニューが表示されないのだ。メニュー呼び出しの動作が変化するなんて聞いていない。

「どうしましょう?しばらく待ってたら運営からの操作でログアウトされるでしょうか」

「そりゃそうだろう…あれ?絵美里、アバター名が無くなってるぞ?」

 真白がさらに変化に気付く。絵美里も真白の頭の上辺りを見るが、先ほどまでゲオルギウスとはっきり見えていたアバターネームが見えなくなっている。

「ゲーム開始早々、トラブル続きですね…」

「そうだな。絵美里にゃ悪いが、プレイは止めるかもしれん」

「そんなこと言って。そもそもプレイすることにしたのだって、ネットで話題になったからでしょう?今度は明らかに悪いほうですけど、今頃話題沸騰わだいふっとうですよ」

 状況を操作できない不安をくだらないお喋りで誤魔化していたが、先に真白が耐えられなくなったようだ。

「わるい、ちょっとしょんべん」

「そういう事女の子の前で言わないでほしいです…え、おしっこ?」

「ん?あれ?俺、アバターだよな、なんでトイレ行きたくなったんだ…?」

「え、そんな所までリアルに再現するゲームだったんでしょうか」

「そんなわけないだろ。でも行きたいのはマジ。トイレどこだ?」

 プレイヤーホームはほとんど錬金術を行う工房とログアウトのための寝室しか使ってなかったが、トイレの場所は覚えていた。というより結婚システムのためのアップデートで二人住むための少し大きな家に変わったので、間取りをつい先日覚えなおしたのだ。

 絵美里の案内に従って真白はトイレへ入っていき、出てきた時は真っ青な顔になっていた。

「どうしたんです、叔父さん?上手くできなかったとか?」

「逆だ。ちゃんと出来た…でもそんな事ありえねぇだろ!一応はプレイマニュアルだって読んだんだ。食事はシステムとしては有っても、単にアイテムの消費だって書いてあった。こんな、ちゃんと消化して排泄はいせつするとかそんなとこまで再現するゲームなんかあるわけねぇ!」

「叔父さん、落ち着いて」

「落ち着けるわけねぇ!さっきから有り得ない事ばかりなんだぞ、なんだこのゲーム?イカれてるんじゃねぇのか!」

「だからこそ冷静に判断しないと。とにかくログアウトできないのは確実なんです。どうしましょう?外に出て情報収集しますか?」

 絵美里の頭の中の冷静な部分はそうしろと囁いている。この運営が用意したプレイホームは本来絶対に安全な場所だが、その運営が今は信用できないのだ。ここに閉じこもっていても何も変わらない。だが同時に、此処ここから一歩踏み出せばもっと悪い事になるのではないか、じっと待っていれば助けが来るのではないか、そんな妄想が頭から離れない。

 二律背反で雁字搦め《がんじがらめ》になった二人がとうとう怒鳴りあう元気も無くして押し黙り、天使が二、三回二人の間を横切った頃、プレイヤーホームの玄関がノックされた。

 顔を見合わせた二人はどうするかと視線で相談したが答えは出ない。じっとしている二人を急かす様に、もう一度ノック。今度は声も付いてきた。

「エミリーさん、居ないのかい?」

 優しげな女性の声。このプレイヤーホームのある辺境の農村にぴったりの、恰幅かっぷくの良い肝っ玉母さんといった風情の声色だ。

 居留守を使うか。咄嗟とっさにそう思ったが、もしもこの状況が日をまたいで続くような事が有れば、少なくとも今の時点で友好的なアクションをしているNPCのフラグを大幅に下げる事になるかもしれない。

「叔父さん、返事すべきだと思います。十分に注意してドアを開けてくれませんか」

「わかった…はい、今開けますよ~」

 真白が初期装備の粗末なスモールソードの柄に手を添えながら、ゆっくりとドアを開けるとそこには声の印象通りの、茶色い髪をひっつめにした中年女性が立っていた。

「おや、男の人?エミリーさん、この方は?」

「あ、はい…あの、村の皆に内緒にしていたのですが…その、結婚することになりまして。夫のゲオルギウスです」

「まぁ!それはめでたい話じゃないか、どうして秘密に?」

「あの、その、夫はその…荒事の専門家で…こんないい村に急に連れて来るなんて、と皆から怒られたら、と思うと…」

「荒事?」

「ゲオルギウスは冒険者なんです」

「よろしくお願いします、えっと…」

 結婚システムの設定が機能していることを祈って口から出まかせを並べ立てると、どうやらこの村人には通用したようだ。真白も調子を合わせて、ついでに自然な流れで女性の情報を引き出そうとする。

「ああ、私は隣、と言ってもエミリーさんの農園は広いからちょっと歩くけど、隣のマーサだよ。いやぁ、エミリーさんに良い人がいるなんて全然知らなかったよ」

「すいません、ずっと黙ってて」

「いやいや、若いうちは恥ずかしい時ってのも有るさね。それに何だい、冒険者だって?こんな辺境の村じゃ領主様の兵士も来てくれないし、大助かりじゃないか」

「そ、そう言ってもらえると嬉しいです。えっと…ゲオルギウスが依頼を受けるにはどこに行ったらいいでしょう?」

「そりゃぁ、村長さんからお願いすると思うけどね。せっかくだ、結婚の報告ついでに今から一緒に行かないかい?めでたい話だ、村中に知らせないと」

 なんだか大ごとになってしまって実際に結婚するわけではない身としては心苦しい絵美里だが、依頼を受ける場所の村長宅は絵美里も知っておきたい。恐らく冒頭のイベントらしいこのNPCの会話に乗って、村に知らせて回るべきだろう。

 そう考えた絵美里はマーサに断って、外出の支度を整えると三人連れ立って村長宅へと向かった。


「おい絵美里、このマーサっておばさんなんだと思う?」

「何って…冒頭の案内のNPCでしょう?」

「そんなわけあるか。案内のNPCにこんな高度な会話のできるAIなんか使ってるわけねぇ」

 真白に指摘されて改めて考えると、確かに決められた役割を果たすためのNPCが高度なAIを搭載とうさいする筈がない。サーバーの計算資源の無駄遣いだし、予定外の行動を思いついてしまってゲームが進行しなくなる危険だってありうる。

 よっぽどロールプレイにこだわりのあるタイトルなら可能性はあるが、少なくともスロー・ガーデン1はそうではなかった。しかしNPCでなかったとしたら何だというのか。

「じゃぁスローガーデンの運営がいちいち動かしてると思ってるの?」

「いや、そんなんじゃねぇ。ほら、一昔前のSFで有ったろ。ゲームの中に取り込まれちまうってやつ…」

「馬鹿々々しい。それこそ起こる訳ないよ」

「そんなこと言ってもお前、この状況をどう説明するんだよ」

「それは…確かにそうなんだけど…」

 マーサの後を付いて歩きながら、二人で異常事態の考察を続けるが、なにしろ本来有り得ないことだらけなので、結論として出てくるのも突飛な推論ばかりだ。絵美里も有り得ない、とは言ったものの本当にゲームの中に入ったみたいだと思っていた。

 ああでもないこうでもないと絵美里と真白が言い合っているうちに、絵美里のプレイヤーホームより一回り大きな、しかも一頭とはいえ牛小屋まで併設された村長の家に辿り着いてしまった。

「どうしよう?いっそ正面からここは何ですかって尋ねてみようか?」

「もうそうした方が良いかもな、会話は元からの住民っぽい設定のお前に任せていいか?」

「そのつもり。変な方向に行きそうになった時だけ、介入して」

 マーサが家の大きさの割に粗雑なつくりの木製ドアをノックすると、白髪交じりの髪を後ろで一つに括った女性が顔を出す。おそらく村長の妻だろう、と辺りを付けた絵美里はマーサが挨拶するのを待つ。

「おや、マーサさん。後ろにはエミリーさんと…そちらの男性はどちら様かしら?」

「奥さん、聞いてくださいな。エミリーさんこの方と結婚なさるんですって!」

「へぇ?そんな急な…どういう事かしら、エミリーさん」

「こんにちは、奥様。彼はゲオルギウスと言って、冒険者をやっています。以前から錬金術の素材を集めるためにお付き合いがあったのですが、荒っぽいイメージのある仕事なので、村の皆さんにはずっと秘密にしていて…急な報告で本当にごめんなさい。今更ですけど、みんなにも祝福してもらえたら嬉しいな、と思っています」

「まぁ、そういうこと…ちょっと待ってね、とにかく旦那に知らせなくちゃ。皆さん入って入って。ゲオルギウスさんは初めましてね。私はリンドの家内のライラと言います。冒険者がうとましいなんてとんでもありませんよ。大歓迎です」

「ありがとうございます、ライラさん。これからよろしくお願いします」

 とりあえずファーストコンタクトは問題なかったようだ。リンドというらしい村長の反応も難しいことは無いだろう。村の外の人間だからと好感度が低い、などという事がないのは幸いだ。多少世情に疎いふりをしてなるべく多くの情報を手に入れたいと絵美里は思った。

「あなた、あなた!」

「何だ騒々しい。お客さんならとにかく入ってもらいなさい」

 村長の誘いに応じて、ぞろぞろと皆で家の中へ入っていく。もはや恒例となってしまったゲオルギウスの素性のやり取りを経て、マーサが自分の役目はもう終わりとばかりに帰った後、リビングのテーブルで村長とエミリー、ゲオルギウスは向かい合っていた。

 型通りの祝いの言葉を述べた村長は、この村から林に沿って半日ほど歩いた先に有る、この辺りで一番大きな町の教会で結婚式を挙げるように薦めてきた。エミリーもゲオルギウスもこの得体のしれない状況で一蓮托生いちれんたくしょうとなる以上、夫婦としての体裁を保つことに異存は無いのでしきりにうなずき、まずはここが何なのかという話題に踏み込んだ。

「あの、村長さん。ここはスロー・ガーデンの中なんですか?」

「すろ…何だね、それは?ここはクラント王国の辺境のヴィト村じゃないか」

「いえ、この世界そのものを何と呼んでいるか、確認したくて」

「世界…に名前が有る訳ないだろう。やはり錬金術師というのは不思議なことを言うものだね」

 世界に名前がない、つまり「外の世界」などという物は存在しない。村の知識水準の問題という可能性もあるが、今の時点では信じがたい話だが、ゲームの世界に入ってしまったと考えた方が良いだろうと絵美里は思った。

 その後はいつ町で挙式するのか、というある種の興味深さはあるが優先度の低い話題へと移っていき、いったん二人で相談してからもう一度村長に相談するという流れになった。

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