第61話 美酒に酔うのは誰か
此の酒は悪酔いしなくて気分が程々に高揚してくる。そのほろ酔い加減になると、美紗和さんは幼い頃の弟の話を始めた。弟が泣かされて帰って来ると相手をとっちめてやろうとする。けれど中々相手の名前を言わないから、めぼしい相手を見付けては、片っ端から脅迫まがいに問い詰める。だが犯人を見付けた時はもう弟は喧嘩相手とは手打ちをしていた。そうとは知らずに相手をやっつけたつもりが、逆に陰険な仲になって取り戻すのに苦労した。それから聞き出す方法には手を替え品を替えた結果、此の極上の焼酎に行き着いたようだ。
「なるほど良い方法だけど高村に試してみたんですか」
「効き目はあったけれど最近は警戒されてしまっているのよ」
と謂う事は、子供の頃の経験から本人は何かを隠していると解る。引っ掛からないと謂う事は絶対に暴露することは有り得ない。
「それで裕介一人で解決できるの?」
「う〜ん、難しいだろうなあなんせ早野勘平の忠義を持ち出すほどどうしょうもないいい加減な男だからなあ」
「誰? その早野勘平って」
早野勘平は実在の
「忠臣蔵は忠義を描いているでも仮名手本忠臣蔵は忠義に翻弄されるどうしょうもない人物を描いている高村はそれに自分を重ね合わせているんだ」
「仮名手本は判ったけれどどうして裕介がそれを持ち出したの?」
「どうも高村はおかると典子さんを変にリンクさせているんじゃないのかなあ」
「そう〜かしら。で、あの二人はどう繋がっているの」
なるほどこれが極上の焼酎か。
「もう日にちがないから白状するけれど
そこでどうなのと、二人が声を揃えて身を乗り出してきた。こうなると極上の焼酎の余韻でもう引き返せない。
「あさってには父親宣言をするように言ったんだ」
「まさかと思うけれど、誰の?」
「そのまさかの人の父親を名乗らすが
「判った。それでその後はおじいちゃんの遺訓はどうするの?」
「それは四代目当主の父親が決めるがそこに典子さんの意向がどれだけ反映されるかおそらく高村が悩みに悩み抜いてる処が多分そこだと思う」
「じゃあ典子さんも迷っているの」
「そこですが、千里さんには明日は家事全般を引き受けて典子さんにはゆっくりさせてあげて家族にはちょっと気分が優れないとか言って誤魔化して欲しい」
「判ったけどあの二人はどうするんだろう」
どん底の生活を知らない二人には進むも退くも茨の道。
「それで勘平はどうしたの討ち入りに加わったの」
「義父を
最悪! と二人は暫く落ち込んだ。そしてその沈黙を破るように美紗和さんが叫んだ。
「もうッ、こんな時こそ翔樹さん、あなたが二人に寄り添わなくてどうするのよ」
「そう言われても俺は身内じゃないからそこへいくと美紗和さんが適任でしょう」
「それはさっきも言ったでしょう幼いときから知りすぎているあたしよりも
「それはちょっと厳しいでしょう」
「何言ってるのよいつも好きなだけ寝ていられるくせにたまには家族全員の世話を焼く千里さんの苦労も知らないで」
「別にあたしはこれから此の家の家事を支えるけれど典子さんは中途半端な存在で今まで過ごされてあたしならとっくに切れているわよ」
でも明日はその典子さんをバックアップするから大変と先に部屋を出た。美紗和さんはこれからだと言わんばかりに呑み続けている。
「ねえ、大学では裕介とどんな話をしていたの」
和久井との一件から恋の話になり、休戦中から男女関係の超えられぬ一線を、三十八度線に例えるまで飛躍してしまった。
「あれで高村とは面白い奴だと共鳴してそれからよく付き合った」
「弟の話だと苦労人だと聞かされたけど……」
若狭の田舎は狭い家に六人兄弟と両親だから、此処の高村とは雲泥の差があって、それで悩みだらけだった。
「それが実際に此処に来て高村との悩みの違いに驚いた」
「どう驚いたの ?」
「悩みの基準が違うんだ」
美紗和さんには、おかしな事を言う人だと笑われてしまった。しかしこれは貧困家庭の実状を知らない彼女に、その違いをどう説明していいか迷ってしまった。
「美紗和さんは同郷の福井県に生まれて関西で活躍した江戸時代の作家近松門左衛門は知ってるでしょう」
「まあ大学では身近な存在として取り上げているけれど……」
心中が有名だが貧困家庭に育った坂部には理解しがたいが高村は陶酔していた。
「同じ心中でも要するに明日の米もない生活に行き詰まるのでなく許されぬ恋から生きるのに行き詰まる謂わば仮定した未来を見違える話ですよ」
死を求めて行き着く先は同じでも、その道行きは小作人と資産家と謂う境遇の違いだった。
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