第60話 いい加減な男がドラマを創る
車は屋敷に戻ると玄関に向かう石畳の道から、バックで木々の間の空き地へ車を入れた。二人は降りて玄関へ向かうと、美紗和さんが「遅かったさかい心配した」と迎えてくれた。沈痛な二人の様子に彼女は、鍵だけ受け取るとサッサと行ってしまった。
鍵を返した坂部にはそうは云ったものの遺された時間は僅かだ。高村は、今までのうのうと潰してきた時間を取り戻そうと、必死で藻掻き始めた。この日は金曜日だと謂うのに、その夜は部屋に籠もったまま、週末の土曜を迎えようとしていた。夏休みに入ってから学生身分の高村も坂部も、平日と日曜の見境がなかったが、此の週末が高村に重くのし掛かってきた。部屋に籠もったままの高村を見て、これでは何の進展もなく蔵から出した古文書を披露して、このまま継続を宣下して終わりそうだ。だが高村が沈黙を守るもう一つの理由を、遅れてきて二人だけで済ませた夕食時に呟いた。
高村の揺れ動く気持ちは、すなわち四代目を正式に祖父の意志通り承認すれば此の家での居候の伯母さんとは逆転する。それは自由を求める典子の意志に反する。一方で祖父が決めようとする此の家の遺訓の継続を真剣に考えると、此の相反する複雑な心境に高村は解決策を見つけ出せずに苦労していた。しかし裕介が父親宣言すれば、典子も此の家の頂点に居る祖母の上に立てる。その魅力に次第に囚われ始めていると、後片付けをして台所で食器を洗う典子さんを幾度となく目をやりながら細々と語った。
「それは典子さんの本心なのか」
「そうだと思う」
「そんな大事なことを何故ハッキリと確認しないのだ天は平等に時間を与えているのにお前はどうして無駄に使っていたのだ」
高村はにやりと笑って。
「俺だけじゃないみんな寄り道という形で無駄に使っているただどれだけ長生きするかでみんな必死で取り戻そうとしているだけや」
と悪びれず言い訳をした。だが洗い終わった典子さんが食堂に戻って来る顔を見るなり、その自信は跡形もなく崩れていくのが見ていて分かった。此のいい加減な男はまだ迷っている、いや怖がっているのかも知れない、典子さんの何に……。
後片付けをする典子さんを尻目に、二人は部屋へ戻るが、取り付くまもなく、そのまま高村は籠もってしまった。仕方なく坂部も自室に戻った。そこへ美紗和さんと千里さんが極上の焼酎が手に入ったとやって来た。
「何で? それだけが理由やないでしょう」
「さっき帰ってきた二人を見て要らん感情は吹き飛ばさなあかんと千里さんで決めたんや」
「じゃあ高村もか」
「
「今がその時ですか」
「そうや、ついでに何やけど翔樹さん、あんたなんか隠しているやろう此の家に取って一番大事なことを」
「なんでですか」
「さっき車から降りた裕介の顔にそう描いてあった」
「何て書いてあったんです」
「それを訊きに来たんや千里さんと気になって」
お通夜になったら
「これいつ用意したん」
「千里さんがあり合わせのものを持ってきて、これで明日の買い出しが大変だとぼやいていたけれど」
と美紗和さんは明日の仕入れを気遣った。
「最近の典子さんはもうなんでもかんでも買い込んでしまうさかいこうして残り物を処分せんとあかんようになってしもて……」
千里さんがそれでも何処となく微笑ましく見えるのは「此の人やったら家族がどん底に落ちても
「でも今夜の裕介さんを見るとこれも有り難い買い置きだったわよ」
「全く、何なの! あのいい加減さは! 夕日が沈むタラに帰り着いたスカーレットなら未だしも夕暮れに染まったあの弟の顔は見てられないわ」
「なら此処でなく直接あいつの部屋へ上がり込めばいいのに」
「あたしが行けば余計落ち込むでしょう」
こう謂う事は知りすぎた姉弟関係が要らぬお節介になるらしい。どんなお節介かは判らんが、知りすぎていると選ぶ言葉が解らんようになってくる特にこんな時は。
千里さんはせっせと極上の焼酎を薄めるから、やっと手に入れた美紗和さんには、極上の味まで薄まると、気が気でなかった。
「千里さんが謂うには二人とも
「二人って?」
「もうー、あの唐変木と典子さんよ」
「
「あたしも最初はそう思っていたけれどどうもチグハグなことが目立ってきたのよ。いつもの食堂に於けるテキパキとした動きは変わらなくて疑問を挟む余地は見受けられないけれど台所の奥に引っ込むと状況が変わって来るのよ」
と千里さんはその辺がいつもと違うと言っている。
「思い詰めているのか」
「それが解らないから美紗和さんとこうして来ているのよ」
「先ずは裕介が提起した問題を典子さんもそうだけれど抱えているようなの。その弟に一番接しているのが貴方だから……」
「それを此の極上の焼酎を使って聞き出すつもりですか」
「人聞きの悪い言い方だけれど今は下手に出ると聞けないからしょうがないか」
千里さんが小まめに作り替えてくれるから、呑むピッチも上がってしまった。美紗和さんの視線に千里さんの焼酎も段々濃くなって、極上の舌鼓を打つようになってしまった。
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