第59話 勧告

 窓からは九頭竜川にさす釣り竿が夏空に弧を描いていた。二人は前回頼んだブレンドの美味い珈琲を二つ注文した。

「おじいさんが好きだったようだけれど高村は鮎釣りには行った事はないのか」

何故なぜか大きくなってからは誘わなかったが此処には小さいときにじいちゃんと連れて来てもらった」

「自然に親しんでから骨董品や美術鑑賞させたんか」

 今思えばそうらしい。この一言が坂部には高村が鑑定士に望んでいなかったと解った。ではなぜ祖父が亡くなるまで、級友と親交を深めて遊びたい年頃なのに、それを控えて律義に仕えたのだろう。

「学業に就いてからいつも休日には祖父と一緒に色んなものを鑑賞していたのは典子さんの為なんか」

「何でそこにいきなり結びつけるんや」

「そやかて今までの経過を見るとそこに行き着いてしまう」

 そこでマスターが淹れ立ての珈琲をテーブルに置いてくれた。苦みと酸味が上手くブレンドされた此の店自慢のお手製の味だ。ひとくち飲むと鮎釣りに疲れたお客さんの要望を微妙に組み合わせたマスターの努力が舌先からじんわりと喉を通った。釣り人が伝授した此の味をマスターは律義に守っていた。

 此の味は伝授されても高村家の遺訓は、もうあっちこっち綻びて時代に合わない。なのに夕べの夕食時におばあさんが、利貞ちゃんに継承さすとはどう言うわけだ。

「高村、お前が四代目の威光で祖母に意見したそうだが此の前まで祖父の生前までは典子さんを自由にさせたいと望んでいたそうだが何で変えたんや」

「おじいちゃんは小さい時からいつも素直で実直な処を見込んで可愛がったそれは典子の為にそうしたんやそれで祖父は折れて今の家風に合う人を人選したんや」

「それで千里さんを見初めて典子さんの希望を叶えたっちゅうことかだが生まれたのは女の子で祖父はもう後がないと焦ったんとちゃうかその頃やなあ典子さんとホテルに行ったのわ」

 此処で高村は狼狽して、そんな事実はないと否定した。今まで一番醜い高村を見た。あの入学発表の日の高村は何だったのかと思うと、本人の口から聞けないのが辛いが、此処で引導を渡すしかないか。

「典子さんが俺に告白した。利貞ちゃんの父親はお前だと。藩主利忠の功績を聞かされた後の天守閣で告白したのは何故だと思う。典子さんはもうこれ以上はあの家に振り回されたくなかったからだ。その声に一向に動かなかったのに愛想が尽きて俺に告白したと想うが、どうだ当たってないか」

「弁解はしたくないがおじいちゃんの動向には強く出られなかった」

 ご都合の良い坊ちゃん育ちが露見したようだ。それに肩入れした典子さんが可哀想すぎた。

「高村! それで此の先どうするつもりだ。まだチャンスは残っている。次の休日に蔵に眠る貴重品の威光を借りて、そこで、高村! 今度こそハッキリさせろ」

 祖母や伯母より四代目利貞の父親として、会社はともかく実家がこれまで続けてきた遺訓に関してはお前が決められる。強引な意志の持ち主なのか、それともええかげなん男なのか問われている。

「おい高村、何とか言え」

 高村はお節介な坂部に愛想を尽かすように沈黙を守っていた。

早野勘平はやのかんぺいを知ってるか」

「あの仮名手本忠臣蔵のか」

「そうやあの主君が切腹した時に恋人の実家に遁走した不忠義者が猪と人を間違えて撃ち殺してしまうそしてその懐の大金を目にしてこれがあれば討ち入り同士に加えてもらえる武士としての面目が立つと強盗殺人者が一変して主君の一大事に恋人と遁走した不忠がこれで帳消しになると思うか」

「高村あれは破滅の男だッ、確かあれの結末はひどいよなあ」

 勘平が間違って撃ち殺したのは恋人おかるの父親で、懐の大金はおかるが身を売って作った金だった。つまり恋人の父親を殺してその恋人の自由を奪ってまで武士の面目を果たそうとした。

「高村、いったい四代に亘って守り続けたのは何なのだお前は一度は典子さんを自由にしてやりたいと願いながら四代目父親が目の前にちらつくと典子さんの自由を奪おうとする」

「奪っていない! 好きだからこその成り行きだ」

「嘘を吐け! 都合が良すぎるぞ俺が見る限りでは愛より祖父の残像しか見えて来ないのはなぜだ」

「愛にも色々ある」

「いやひとつしか無い真心だ相手を思い遣る真心しかない……。だが高村、お前の勘平はその矛盾を抱えたまま切腹して果てたなあお前はそんな鈍くさい奴じゃあないたろう」

 高村は冷めた珈琲を口にして、窓辺に視線を移したその先には、九頭竜川が実りの秋を迎える越前平野を潤して流れている。

「なあ坂部、勘平にすればおかると恋をしている時にご禁制の城内で刃傷沙汰を起こした主君が悪いので偶々その時に恋の道行きをした勘平がどうして世間から不忠義ものとして汚名を受けねばならないのだ」

「そんな言い訳よりも高村! お前本当に典子さんを愛しているのか此処で俺はずっと彼女とお前を見てきたが少しも感じられないのはどう謂うことだ」

「討ち入りと一緒だ世間をいや、家族を欺いてきただけだ」

「じゃあどうして本当に好き同士なら二人の間を上手くあしらったおじいさんを欺けなかった。だからお前のはたとえにならない早野勘平もそうだ残り少ないのにそうして逃げてばかりで結論を先送りして大学に戻るのか」

如何どうしろって謂うんだ」

「今度の休日には利貞ちゃんの父親宣言をしろ。それを家族が迎えてくれるかお前に決められないのならそうするしかないだろう」

 いいやそれまでに典子と話して自分で決める。




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