第55話 天守に立つ
此の天守閣の受付は、鉄筋コンクリートで再現された城だが、照明を少し落として薄暗い入り口になっていた。入り口だけでも当時を偲ばせる趣に、少しは気持ちを落ち着かせた。特に初めて訪れた典子さんにはひとしおその趣が伝わったようだ。彼女は廊下や階段にまで当時を偲ぶように鑑賞しながら最上階の天守に上がった。
越前大野城は二層三階建ての大天守と二層二階の小天守が連立して、標高二百四十九メートルの亀山に築城された。急激に冷えた晩秋の夜明けには大野盆地一帯は深い雲海に包まれると、此の城は幻想的な天空の城として浮かび上がるそうだ。今三人はその天守の望楼付き最上階から市内を見下ろしていた。
典子は望楼の手すりから身を乗り出すように眺めた。
「こうしてみると大野は余り広うない町なんやなあ」
市内には高い建物が少なく、まして低いとは謂え山頂に建つ天守からの一望は典子にとっては意外なようだ。こんな狭い町並みを治める藩主の功績をおじいちゃんは後生大事にしていた。その家風に合う良妻賢母に典子を押し付けてもどうしょうも無いような気がする。
望楼に居る典子さんとは少し距離を空けて立つ坂部が、相変わらず腕組みをして定まらぬ視線を浮かし続ける高村に意見した。
「あの偉業を後世に語り続けるおじいさんの意義は解ったがそれと典子さんの子供を四代目にまでして続けなくても広告媒体は幾らでもあれば無意味じゃないか」
「報せると謂うだけではなあ」
そこに熱意と謂うものを伝えなければ絵に描いた餅と高村は言った。だから祖父が四代目に藩主利忠のフロンティア精神を伝える広報担当者に指名した以上はそれなりの教育を施すつもりだった。
「そうかもしれんが誰がそのように育てるんやおじいさん亡き跡では典子さんには無理な気がするし克之さんは会社経営で手が一杯やったら高村、お前しかいないだろうしかしお前からはそんな気構えは感じられない」
「お前だって初めて和久井にサークルへの入部を勧められたときと今では気概が違うのと同じだ」
それは例え方が全く違うやろう。話にならないと望楼から身を乗り出していた彼女の傍へ行った。
「入り口で見ましたが凄い写真ですが典子さんは実際に見ましたか」
「見ましたがあの写真みたいな深い雲海はここに住んでるもんでも滅多にお目に掛かれないんですよ」
彼女はやっと元気そうに答えてくれた。矢張り此処から見る市内は一望できて気分転換を兼ねたリフレッシュには持って来いの場所だった。
「でもここに住んではった人は気の毒やねぇ見られへんさかい」
「みんな普段は下の二の丸で政務をしていて此処は滅多に住む場所やないですよ城主が此処へ上がるときは城は落城寸前でその覚悟をして上がるんですから」
「そしたら此処は死に場所なん」
「戦で追い詰められたときは」
「そしたら今のうちと一緒や」
「なんでですか」
「今のは聞き流して裕介さんには聞こへんかったと思うけど」
とチラッと唐変木のように天守中央に立つ高村を典子は見た。
「でもあの人は何の覚悟もできへん人や」
あの屋敷に居るときとここへ来たときとは何か喋り方ちゃうなー。下がガヤガヤと夏の蝉時雨に混じって賑やか声がしたと思ったら、若いカップルが上がってきた。二人は反対側の望楼から眺めている。そこへ二人の小さい子供を連れた夫婦の四人連れの家族が天守に上がってきた。子供は丁度利貞ちゃんと千早ちゃんの二人と同じ歳らしい。典子さんは目ざとく下の男の子を見て表情を崩した。走り出した二人の子供を目の辺りにして高村はと見ると、益々凝り固まって今の立場を維持でも動かんと渋い表情でいる。急に子供二人が追い駆けっこすると、母親が叱ると謂うより
「
「苦手なんよ子供は何考えてるか解らんさかいに」
と典子さんが薄笑いを浮かべている。
「でも利貞ちゃんは利発そうで頼もしく見えましたが」
「おじいちゃんが躾けましたからね」
「あんな小さいのにそれじゃあ生まれて直ぐですか」
「まさかそれはないけど。でももうあの子がハイハイし出した時から子供扱いしないから不思議とあの子も甘えなかったのよ」
「じゃあ手の掛からない子何ですか」
「そこに立ってる裕介みたいに」
ウッと坂部は近くを走り回る子供に手を焼いてる高村を見た。傍では仕切りと母親が盛んに子供を叱りつけても逃げ回っていた。
「裕介みたいに何なのですか? まさかと思うが利貞ちゃんの父親は誰なんですか?」
「今あそこで子供に手を焼いてる人よ」
彼女は坂部の耳元で声を落として言った。
エッ、とハッキリと聞き返そうとした時に父親が子供の上に雷を落とした。これには天守内をはしゃぎ廻っていた子供たちはピタリと走り回るのを止めた。父親に叱られて辺りはまた前の静けさに包まれてそれ以上は訊けなかった。若いカップルはもう当に下に降りていた。子供がやっと大人しくなった所で、騒ぎまくった子供から高村は、追い立てられるように天守から降りた。
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