第52話 高村の独白

 夏の日差しは容赦なく照りつける。しかし恵まれた人にも苦悩で喘ぐ人にも、等しく平等に注ぐのが自然の摂理だが、欲に絡む人々には偏って注がれる。これは自由主義も社会主義も変わりがない、人間その物に変わりがないからだ。

 夏の暑さはひと夜の月明かりぐらいでは冷ませない。昇る朝日が爽やかな間に裕介は姉から車の鍵を預かって、運転を坂部に任せて典子を誘って屋敷を出た。何故か運転する坂部の隣に典子さんが乗り込んでいた。高村は後部座席の窓辺にからだを預けて車窓の流れを見ている。つまりボンヤリと後ろに座っているだけだった。隣の典子さんも同様だ。出掛けるのは此の二人で、坂部は運転を頼まれただけだ。シーマを運転する大場さんも隣の助手席はいつも空席だ。同じように当然二人とも後ろの席に座ると思っていた。高村から鍵を渡されて運転席に乗ったまでは良かったが、なぜが典子さんは助手席に高村は後ろに乗った。車はそのまま出た以上は、目的地に着くまでは此の配置は変わらないが、いつも喋る相手は後ろに居た。その高村の沈黙に堪えきれずに、坂部が何処どこへ行くんだと声を掛けても特にないと謂われれば、何処を走ればいいのが分からない。とにかく道なりに分かれ道に出合っても高村が黙っていればそのまま走った。

「おい坂部」

 ウン? 道が違うのか?。

「此の前姉貴が言った蔵の鍵をおばあちゃんから典子に預ける話だが」

 急に言われて坂部は後ろより、隣の典子さんが気になったが、彼女に動揺がない以上は納得済みなのか?。

「それでどうなってる」

「先ずはおやじに相談した」

「その前に行き先はどこなんだ」

「城へ行ってくれ大野城だ道順はお前に任す」

 おやじは賛成してくれた。それどころかもっと早く気付けばあんな堂々巡りの議論を繰り返す必要はなかったと、四代目を持ち出した処が良かった。そう言われて全権を任されたようだ。

「それでなぜ城へ行くか、だが、その前に蔵に眠る藩主と当家の当主が廃藩置県後に交わした覚え書きはおじいちゃんが目を通していたんだ。勿論祖父以外は誰もその事実を知らない」

「どうしておじいさんは旧藩主との約束事を破ってまで知ろうとしたのだ」

「直系の跡継ぎを諦めたのだ」

「それはいつだ」

「千里を見付けた時に此の人と克之の子が継げば良いとつまり直系でなく傍系にすると決めたからだ、それはその前から俺はおじいちゃんに典子をもっと自由にさせろと直訴していたからその時は俺も驚いた」

「よく言えたよなあ」

「その時はよくよく考えるとおじいちゃんが一番可愛がっていたのは俺だと気付いたからだ」

「それは事実ですか」

 典子さんは間違いないと珍しく前を向いたまま凜として言った。

「それで何が書かれていたんだ」

「それは越前大野城で説明するがその前に悪いが九頭竜川を見たいからちょっと遠回りしてくれ」

「川を見てどうするんだ」

「あの川が越前の田畑を潤しているんだがその反面災いももたらしている昔は名だたる暴れ川だったんだそこで七代目の藩主土井利忠は苦しむ藩政の経済難から思い切ったことをやったそれに惜しみなく協力したのが当時の豪農だった高村家だ明治維新後藩はなくなったがその苦労に報いたいと元藩主と当家の当主が交わしたのが覚え書きだ」

「見たのか」

「見たのはおじいちゃんだけで直ぐに元の場所に閉まったがある日突然に聞かされた」

「ふ〜ん、それが千里さんを見付けたときなんだなあ、で、その覚え書きを知っているのは今もお前以外は誰もまだ知らないのか」

「隣に居る人以外はな」

 思わずの運転の合間に典子さんをチラッと視野に入れたが、その時には九頭竜川も視野に入った。

「着いたぞ」

「このまま土手に上がって土手添いの道をゆっくり走ってくれ」

 夏の太陽と九頭竜川の恵みを一杯に受けて、頭を垂れた稲穂が実っていた。何百年も前から続く光景だ。この稲の豊作不作によって藩の経済が立ちゆかなくなったときに、利忠は此の川を見て何を考え出したのだろう。さっきの高村の言葉から坂部はハンドルを握りなから九頭竜川に想いを馳せて車を走らせた。

 車は深い山の中を上流に向かって走り出すとようやく高村は「川が細って来たからもうこの辺で良いだろう」と引き返し始めた。やれやれ城へ行ってくれと言われて、このまま岐阜県まで走らされたら溜まったもんじゃない。高村は九頭竜川の雄大な流れに、心を高ぶらせていたようだと悟ると、行き先の分からない不安も掻き切れた。そこで周りの景色を見るゆとりも湧くと、木々の切れ間から隣の加賀の白山が見え隠れしていた。矢張り白山は拓けた大野から見ると雄大さが違って見えた。

「しかしおじいちゃんが千里さんを見初めなかったら典子さんは大学生活で修行したものが全てダメになりそうだがその時は複雑な思いでしたでしょう」

「そんなことないですせっかく裕介さんがあたしの辛い修行を見かねて祖父に諫言してくれたんですから」

 これには頷ける処があった。お母さんの美津枝さんがお茶を教えているのに、千里さんは直ぐに習っても、典子さんは小さいときから関心を示さなかった。それを今更おじいさんがにわか仕立ての特訓をした処で、好きこそものの上手なれと謂うように身に付かない。要するに高村はおじいちゃんに可愛がられる一方で、苦労する典子さんの板挟みで、祖父が亡くなるまで藻掻もがきき続けていたのか。それで此の夏には結論を出すために部外者の坂部を招いたのか。




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