第51話 裕介は姉に指示される

「これは高村さんところの、確か裕介さんと美紗和さんですよね」

 とそこへ店のマスターが挨拶にやって来た。マスターは「利恒さんが亡くなられてから半年以上になりますね、その後は皆さんはいかがお過ごしですか」と祖父なき後の我が家を気遣っていた。お陰様でようやく祖父の遺品の整理が付いて一息吐いていると言葉を交わしてマスターは奥へ引っ込んでくれた。

「此の店はおじいさんとは顔馴染みのようですね」

「そうね、主に鮎釣りの後に大場さんと寄っていたから大場さんとは話が弾んだかも知れないわね」

 と美紗和さんは途中で中断した弟への追求をどう再開するかで気を揉んでいた。祖父を利恒さんとまで言われれば無下には出来なかった。せっかく突き破った弟もこれでスッカリ立ち直っていたからだ。それを察して坂部がまたもや高村に挑みかかった。

「それで典子さんとはどうなんだ」

「何がどうなんだ」

 と逆に返されて美紗和さんの顔色を窺った。姉は和久井との経緯を聞き出してから、あの女は典子さんでなく裕介に関心が有ると睨んだ。

「それで今日はあの女とどんな話をしたの」

 和久井を家に招いて美津枝さんと直接話して、そこで断られれば此の話はなかったことにする。そう確約させて以後典子や真由さんには寄りつかないように話した。

「それであの女はいつ家に来るのよ」

「それは美津枝さんの都合を聞かないと」

「そこで美津枝さんに断られたら此の話は流れるんだろうなあ」

「多分美津枝さんは会うだろう典子からそうするように言ってるから」

 どうも前から気になっていたが、どうして高村は典子さんを、ずっと呼び捨てにしてるんだろう? なんぼ居候の娘とはいえそれをただしてみた。それは典子さんが高校を出るまで兄弟同様に高村は呼び捨てていたからだ。高校を出てからは祖父に分け隔てされた。それは祖父が亡くなるまではみんなは敬称を付けて呼ばされていた。祖父が亡くなってもみんなは典子さんと呼ばれたが、一人高村だけは以前の呼び捨てに戻って仕舞った。矢張り弟は小さいときからずっと、彼女を呼び捨てにしていたから、その習慣だと美紗和さんは余り気にしていないようだ。

「高村、そうなのか」

「姉貴がそう謂うならそうだろう」

 と終始曖昧な高村に坂部は、此の男は何処まで典子さんの為に動いているのか気になった。

「でも高校生だった頃は無邪気に呼び捨てていたけれどおじいちゃんが亡くなってからは少し違ってるわね」

 どうも美紗和さんも坂部に言われて呼び方の違いに少しは気付いたようだ。

「俺が問題にしているの典子さんでなく利貞ちゃんだ」

「あの子がどうしたんだ?」

「つまらないあの家のしきたりにはウンザリしている人々も居ると分かってきたからだ。それでどうだろう此の際は利貞ちゃんに四代目としてこれからはあの家のしきたりに口を挟んでもらうようにすればあの子の主張にはおばあちゃんでさえ異論を挟めないだろう」

 これには高村は嗤った。

「何をあの子に言わすんだ」

 余りにも突拍子な坂部の提案に高村は呆れたようだ。

「蔵の鍵を開けてどう言う覚え書きなのか確かめた上で遺訓を続けるか廃止するか決めればいいだろう」

「そうか我が家に無関係のお前の出した結論はもっともだと思うがまだ二歳の子に何を言わせるんだ」

「俺があの家の晩餐会に招かれたときに幼児用の椅子だが二歳にしては微動だにせずしっかりしていて中々凜々しくあの場を務めていたのは流石は亡きおじいさんが仕込んだだけ有ると感心していたからその点は大丈夫だろうだがもし至らぬ所が有れば典子さんに補佐してもらえれば良いだろう」

 聴きながら高村はまるで子供の頃のように時々美紗和さんの顔を窺っていた。これには彼女も「あたしがしっかりしてなきゃあこの子を守れるのはあたしだけ何だから」と心の中では動揺しているようだ、と坂部は微妙に揺れ動く彼女の瞳から勝手にそう結論付けた。

「おじいさんが健在な頃には典子さんの発言権は極めて限定的なものらしいけれど今は違うだろう」

「いいや、亡くなったおじいちゃんはそれをおばあちゃんに譲っただろう」

「裕介は何も聞いてないのおじいちゃんは利貞ちゃんの生母である典子さんの話は良くように言ったそうじゃないの」

「それは俺は知らない。姉貴は誰から聞いたんだまさか典子じゃないだろう」

「千里さんから伺ったわ」

「それはどうなっているんだそんな大事な話は典子からひと言も聞いてないのにどうして千里に喋ったんだ」

 大まかに言えば千里さんは外来者だ。それ以外の人は典子さんも、途中までは家族として兄弟同様に育てられて、大概の胸の内は知っている。だからたわいもない事は話せても、家系に関わることは、滅多に口には出来なかった。そこへ行くと千里さんは全く違って大らかで、余り気にせずに家に関する大事な事は、彼女しか話す相手が居なかったからだ。千里さんも典子さんとは家事を共同でしていて、気心も早く掴めたのも幸いしている。だから誰に何を話せば、どの範囲までで収まるか、或いは胸の中にしまって共有してくれるか、その判断基準では千里さんが一番適任者だった。

「俺はどうなんだ」

「だから裕介は典子さんにとって一番大事のものを知っているの?」

「そんなもん知るわけないだろうッ」

 弟が強くもなく弱くもない中途半端な言い方をするのは気持ちが揺れ動いている時だ。

「典子さんに蔵を開放するようにおぱあちゃんに言いなさい!」

 と姉はきっぱりと高村に言い切った。


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