第50話 姉と弟

 昼食を終えて陽が西に傾き出す頃に越前大野に戻り始めた。坂部の運転に気を良くしたのかあれからずっと彼が運転していた。此のタイミングを計ったよう高村から今、大野春日にある公園に居るから迎えに来てくれと携帯にメールが入った。助手席でメールを受けた美紗和さんに指示されて、大野市内に入ると大野春日までナビゲーターをしてもらった。

「朝早く出掛けて今まで和久井の所に居たんだろうか」

「そんなには長くは居なかったでしょう見て分かるように大野駅から離れると何もないからもう帰るのが面倒くさくなったのでしょう」

「それで今まであの辺をブラついていたのかあの長閑な田園風景以外は何もないところで……」

 山と空と田圃たんぼ、それだけの空間を眺めていればいつまでも飽きないと彼女は言うが、目の前は若狭の底知れぬ不安な海しかない町で育った坂部には理解しがたい。しかし山よりでかい猪は出ないと言うが、海は無限で何が出るのか判らなくて不気味だ、と思うと納得出来る所もあった。

「福井市内に比べて殆ど信号もないから走りやすいでしょう」

「どうだろうそれだけに何か飛び出してきそうで気が抜けないよなあ」

 別にジャングルに居るわけじゃないのに、こんなに見通しが良すぎるのが、良くないのかしらと彼女は思ったようだ。

「和久井との話は何処まで付いたのだろうか」

「そもそも何なのあの女は典子さんに近づいて何を企んでるのか分かりゃあしないわね」

「立ち会ってみて今までの状況は伯父さんの陶器を何とかしてやりたいの一点に尽きるような気がするだけですが」

「翔樹さんには一回でも弟には何度も会ってるんでしょう」

「いや、大学では嫌というほど会わされましたそれは高村より遥かに多かった」

「ではこちらへ来てからはその逆なの」

「まあそうですけれど」

 彼女は会話の途中では、公園までの道順を指示していたが、どうやら公園が見えてきた。高村は公園端に有るブランコに座っていた。

「子供みたいな奴だなあ」

「そうかしら大人でも時々そんな時が有るでしょう」

 坂部の生活習慣の中にそれはなかった。

 車はその近くの道に止めて呼び出すと、やって来て後部座席に乗り込むと坂部は車を動かした。

「ずっとあのブランコに座ってたんか」

「まあそうだが姉貴よりお前が運転していたのか」

 と坂部から助手席の姉に視線を移した。

「割と上手だから任しているのそれより進展したの?」

 なるほどお前の運転も半年前に取ったにしては板についてると言い出してから急に話を変えて来た。

「全くもって何でそんな話をあの女は典子に持って来たんだ」

「お前に会うための口実を掴むためだろう」

 典子にすれば、真由ちゃんを巻き込んだことで、凄く嫌な思いをさせられた。だから何で和久井は小石川の家に上がり込んでまで俺の所へ来るんだ。高村には今はそれが面白くないらしい。

「典子が今一番苦労しているときなのに和久井がそんなものはあたしには関係ありませんって謂う顔をして交渉するから頭に来てるんだ」

「ならばさっさと打ち切れば良いだろう」

「それじゃあ典子と仲介した真由さんの立場がないだろう」

「元々は割り込んできた和久井なんだから典子さんにはもっと堂々として居ればいいだろう」

「だからあの女は最大の弱点を突いて来たから俺は無下にはできないから苦労してるんだ」

「高村その苦労だがもう一苦労してくれないか」

 ウッ? と変な顔をして高村は美紗和さんの方に向き直った。

「姉貴、典子がどうしたんだ?」

 車で走りながら話せないからと、どっか喫茶店を探そうと走り出すと、祖父が鮎釣りの時に大場さんとよく行った喫茶店を、裕介が想い出してそこに向かった。その店は九頭竜川が大きく蛇行する土手沿いの曲がり角にあり、祖父は此処でいつもその日の釣り談議をしていたそうだ。土手の上に建つ喫茶店から祖父の釣り場がよく見えた。坂部も大場さんとあの辺りで釣りをしたが、美紗和さんと行った場所はもっと別の場所だった。

 とにかく九頭竜川がよく見える窓側のテーブル席に三人は陣取って珈琲を頼んだ。暫く三人は珈琲を飲みながら、九頭竜川を眺めて鮎釣りに想いを馳せたが、それでどうなんだ、と坂部が突然に言い出して、鮎談議は何処かに吹っ飛んでしまった。

「ところで典子さんだがその後はどうなんだ」

 これには高村は少し調子抜けしたようだ。

「何だ、どうして先に和久井の事を訊かないんだ」

「問題はそっちでなく典子さんの方だからだ」

 またもや不安な顔で今度は美紗和さんの方を見た。

「姉貴、どうなってんだ典子が気にしているのはあの女だろう」

「裕介!」

「何だよう急に声を張り上げて」

「あなた何か隠してない」

 これには高村よりも、坂部の方が異常に反応したが、高村は極めて冷静に問い返した。

「典子さんがどうしてあの女が持ち込んだ陶器の鑑定を頼んできたのよ」

「自分ではどれ程の物なのかサッパリ判断出来なかったからだろう」

 幾ら厳しい曹洞宗の奥義を究めた大学で、修行に明け暮れても、骨董品や美術品に触れる事は先ずなかったからだ。

「だから俺に頼んだのだろう」

「もうー、惚けないでよ」

 美紗和は呆れたようにため息を吐いた。此の辺りが姉弟きょうだいが長年築いたあうんの呼吸なのか、此の間合いが坂部には到底理解できなかった。とにかく美紗和さんは、弟の顔付きと態度から漂う雰囲気で、幼い頃に姉弟として喧嘩や寝起きを共にした者以外には、判りづらい何かを掴んだようだ。




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