第49話 越前海岸を走る

 この日は朝食を終えると、どちらからの誘いでもなく自然と、美紗和さんの運転で二人は屋敷を出た。美紗和さんの赤いコンパクトカーは、軽快に大野市から山間部に入り福井市を目指した。

 初めての二人きりのドライブなのに、話題は今一番気になる典子さんと高村に集中した。亡くなった祖父のやろうとしていた事に、一番深く関わったのは、おそらく此の二人に今は絞られて来たからだ。

 その中心に居た典子さんに話が偏ると、どうしても尻切れ蜻蛉になってしまう。それでも肝心の祖父との遣り取りを聞き出さないと話は進まないが、躊躇ためらい勝ちな典子さんをもっと追い詰めたいが人情的に無理があった。

 此処はナイーブな典子さんより、ある意味で図太い高村に迫った方が、効果が見出せそうだ。しかし高村は典子さんになると、肝心な事にはのらりくらりと躱すと予感できた。

 車は福井市、鯖江市、越前市の各市内を抜けると山間部に入る。此処からは単調な一本道になり、福井の各市内から郊外に抜けた辺りで、一度は坂部のハンドルさばきを見てみたいと、彼女は新米ドライバーの講習を兼ねて交代した。運転が代わった車はそのまま越前海岸、国道三百五号線通称漁り火街道を走っていく。

 この道を走ると荒々しい岩が続く海岸が目に次々と飛び込んでくる。激しい海岸線とは裏腹に見慣れてくると、車内は単調な雰囲気に包まれ出した。

 何処どこかスッキリしない高村家は、祖父亡き後の典子さんの処遇で大きく揺れている。その根源はハッキリ決められない典子さんにある。典子さんはお母さんのように気丈でもなくナイーブだから、高村がどう助言するのかそれに掛かっている。

 若い頃に家出を繰り返した美津枝さんは、果敢に挑むがその娘は、マイナス思考が強くて落ち込むと自虐的になる。そこを上手く調節しながら、彼女自身の気持ちを引き出すには、言葉以上の行動に走るしかないのかも知れない。

「さっきの話だけどおじいちゃんはあたしたちには嫁に出したと言いながらも本人は何処にも行かずに暫く身を隠したのねそれで子供が出来て帰って来た。いったいその子は誰の子なんだろう」

「戸籍を取り寄せてみれば」

「ここまであたしたちには伏せているんだからおそらく父の欄は空白でしょうね」

「そうか」

 そこで典子さんに祖父が暇を出した経緯を聴いてみた。

 典子さんを他家に嫁に出したと言って、一年以内に祖父は引き戻している。勿論その時は典子さんは乳飲み子を抱えていた。その辺りは伯母の美津枝さんと同じだが、違いは乳飲み子が男の子か女の子だった。

「美津枝さんの子が典子さんでその娘さんの子が利貞ちゃんか」

 その前からおじいちゃんの待遇は相当変わった。美津枝さんは自由にさせたが、典子さんには当家に相応しい躾と教育を施した。

「婿取りと言うがそれじゃあ最初の他家へ嫁がしたと謂うのは何だったんだろう」

 今まで判った状況から云えるのは、典子さんが妊娠したから、おじいちゃんはいっとき外へ出した。何処どこへ預けたかは美津枝さんは知らないと言い張るが知ってるはずだ。

「それは全ておじいさんが計らったようね。そこまでしたのはお腹の子が男の子と判ったからでしょう女の子なら今度こそおじいちゃんのお眼鏡に適った所へ盛大な披露宴をして送り出したでしょうなんせあとは千里さんがいますからね」

 これが美紗和さんの推理で坂部にも異論はなかったが、問題はそこまでして遺訓に拘る意義が解らない。

「それがあの蔵に眠っているのよ最後の越前大野藩主とおじいちゃんの高祖父が交わした文書の中に埋没しているのよねでもその鍵を握っているのがおばあちゃんだから此の人を何とかしなきゃあね」

 みんなはどんな内容かは知らないが、そんな遥か遠い昔の覚え書きなんか此の際、反故にすれば良い、と謂う意見が祖母以外は占めていた。そんな紙切れに一族が縛られるのは金輪際こりごりらしい。それを家族一同でどう折り合うかで今まで議論していた。

「そうか、それでおばあちゃんは蔵を開放してくれそうなの?」

「どうも亡くなったおじいちゃんの言い付けを守っているというかそれに凝り固まって見境もなく前後の周囲の流れに乗ってはいけないと一人ぼやいているようなの。でもひとついい話があるわよ。どうもおじいちゃんは利貞ちゃんが生まれてからその産みの母親である典子さんの言いつけは守るようにおばあちゃんには言い遺しているのよ」

「なら話は簡単だ典子さんからおばあちゃんに鍵を譲って貰えば良い」

 その典子さんが何もしないからみんな苦労しているらしい。問題の典子さんは何のために四年間大学で余計な修業を習わされたか。でも利貞ちゃんが生まれることに依って、その苦労に脚光が浴びて来れば考えも変わってくる。覚え書きは直系に跡継ぎが出来ない場合のみ開封するように定められている。おばあちゃんもそれには異議を挟んでない、いや、昭和の人間には差し挟む余地はなかった。

「こうすれば。利貞ちゃんの言いつけで蔵を開放すると言えば誰も逆らえないのじゃないか」

「まあ四代目の当主には誰も逆らえないけれど、でも、まだやっと二つになった子には無理が有るでしょう」

「四代目のご生母様が居るでしょう」

「じゃあ矢っ張り鍵を握っているのは典子さんか……」 

 隆起海岸による、奇岩断崖が続く岩場を、波が洗う越前海岸は夏でも人がいない。その海岸道路を颯爽と走り抜ける車には思案に暮れる二人が乗っていた。


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