第41話 美紗和の話

 廊下に出ると、隣の美紗和さんの部屋が気になり、立ち止まったがもう十時前で、この時間に寄るには微妙な間柄だった。しかしプィと食堂を出て行った真意を確かめるには、丁度良い時間帯でもあったが、断りの決定打が怖くてやり過ごした。

坂部は部屋に戻ると高村が、此の家に招いた真の意味を探り始めた。

 高村は品物の目利きは良いが、世間に揉まれていない彼と、坂部では人間がひと味違う。和久井の持つ物を見分けられても、あの女の真意は見分けられない。そこで高村は坂部が適任と踏んだ節があるから同席を頼んだのだろう。高村の本音は和久井に典子さんを利用されないように護るのが本来の目的だろう。そこで口の堅い親族間に風穴を開けて、亡くなった祖父の本当の目的を坂部を通じて探る。それは高村が典子さんの為にも、是非とも必要だと考えたのだろうか。

 スッカリ頭が覚めてしまったと、持ち込まれた冷蔵庫を覗いてみた。中はまさしく旅館の冷蔵庫のように、食糧が乏しくて殺風景でスカスカで奥の殺菌灯が寒々と点って見えた。これなら高村の部屋を出るときに、少しは持ってくるべきだったと後悔しても近くに店はない。有っても見知らぬ土地で、しかも夜中に歩ける距離じゃなかった。 

 寝るには早過ぎると外へ出て庭と夏の夜空を眺めていたら、プィッと食堂を出て行ったままの美紗和さんが顔を出した。彼女は眠れないのならおいでよと手招きしてくれた。矢っ張り千里さんが言った通り待っててくれた。

 此処も洋室に誂えてあった。入るなりクロス張りの床に座って、ローテーブルには焼酎と氷が置いてある。テーブルには珍しく刺身が載っていた。それに目がぱっちり冴えると、千里さんからの差し入れだと言われた。どうもそれで誘ってくれたようだが、隣の弟の部屋から中々出てこないから、一人では食べ切れずに誘ったのだ。それもそのはずで、此の前に半日潰して一匹しか釣れなかった。幾ら大場さんでも新人に手を焼くからと、千里さんは当てにしないで、夕食の食材をいつも通り買ったようだ。大漁はいいけれど、お陰で夕食に買い込んだ刺身が残った。千里さんは、あなたが来るからと、二人分持って来たようだ。美紗和さんはそれを返さずに、そのまま受け取る処は、流石に千里さんの勘も鋭かった。

 坂部はテーブルの前へ座ると、作った焼酎の水割りを差し出しながら「待ちくたびれたわよいったいあの弟と何を話したのか」と言われてしまった。

「典子さんが困ってる話を聞かされた」

 それは初耳だと美紗和さんは身を乗り出したが、手に持った焼酎の水割りもそのまま突き出されて、そっちは丁寧に払いのけた。

「それで裕介は典子さんにのめり込んでるの?」

 此処暫く裕介は、毎日どこかへ出掛けていたのは、そのためかとため息が溢れる。

「何か思い当たる節でもあるんですか」

「有るわよ。弟は昔から近所の犬が寂しがっていれば遊んでやるし日照りが続くと水をやりに行ったりと幾らご近所でも隣の家までは百メートル以上も離れているのよ」

 それが高村の少年時代だそうだ。大きくなっても近くに困っている子がいれば、せっせと話を聞いてやっていた。だから裕介が相談に乗るのは今に始まったことではない。珍しいものでもないのに、いったいいつ何処で話し込んでいたの、と酒の肴のように相手にされた。

「じゃあ典子さんとは昔からそうして困りごとを引き受けていたんですか」

「それは最近よなんせあたしと五つほど離れていれば中学生までは大人と子供だけれど高校生になると裕介の方が典子さんの背丈を遥かに超えてしまった辺りからでしょうそれでどんな相談を受けていたの?」

「典子さんの高校時代に色々と身の上を訊いてくれた友達からの頼み事だけれど彼女一人では手に負えなくてそれで高村が聞いたそうだ」

「へ〜え、そうなの」

「そう謂うのはよく有るんですか」

「有るわけないでしょう」

 どうやら兄弟同様に育てられたのは中学生ぐらいまでで、思春期に入る頃には祖父に依って厳格に分けらて、それからはそんなに付き合いはしなくなった。朝も顔を合わせればおはよう、でなくおはようございます、と急に挨拶まで替えられて、まだ中途半端な子供なりに美紗和も裕介も苦労させられた。

「そんな間柄に引き離されたから高校時代の典子さんの相談相手は真由さんって謂う同級生しかいなくなったけれど真由さんは就職して典子さんはいよいよ祖父とマンツーマンで四代目の婿養子を取る為に躾の厳しい禅寺のような仏教系の大学に行かされたのよ美津枝伯母さんのような気性ならもうとっくに家を飛び出していたけれど……。福井と謂えば曹洞宗の総本山永平寺が有りますからその系列の大学でしょう」

「そうなるとあの慈悲深い精神の持ち主である裕介が指をくわえて見てられないだろうなあ美紗和さんはコッソリ何処かで典子さんと彼奴あいつが真剣に話しているのを見たことは……」

「そんなの有るわけないでしょうおじいちゃんが亡くなってからは見かけたけれど……」 

 おそらく大学を卒業すれば結婚が目の前に迫ってくるから卒業が迫ってくれば相当困っていたのだろう、いや、苦しんでいたかも知れない。同じ屋根の下で暮らしていれば高村も家族も目にするはずだ。そんな見て見ぬ振りする家族も、高村には典子さん以上に堪えられなかったのだろう。祖父が亡くなって典子さんの立場は、好転するかと思えば全く宙に浮いてしまったのも頭痛の種だろう。


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