第39話 高村の話
釣りの話が終わる頃には缶ビールも空いてしまった。すると高村は今度はロング缶とコップをふたつ持ってきて話を続けた。
「それで姉貴はサッパリ釣れず坂部翔樹が一匹釣ったそうだなあ」
珍しくフルネームで言われて「どうした」と聞くと、さっきまで姉貴がいて、お前のフルネームを訊かれたそうだ。そうか此処では坂部で通していたから知らなかったようだ。
「明日から翔樹さんって呼ばれるかもしれんぞ」
「それはないだろうさっきプイと怒って行ってしまったのに」
そう謂えば千里さんは大丈夫だと請け合ってくれた。
「中々お前が戻ってこないので姉貴はしびれを切らして部屋へ行っちまったぞ」
お陰で千里さんといったい何を話していたのかとっちめられた。
「典子さんの事だ」
高村がビクッと身構えた。
「どうした」
「どうもしない、それで典子がどうした」
呼び捨てかと問えば、小さいときから兄弟同様に育てられたから姉貴同様に喋っていたそうだ。
「じゃあ美紗和さん同様に仲がいいんだなあ」
「子供の頃はなあ、だがおじいちゃんが特別扱いし始めてから少し距離を空けるようになった」
どうやら祖父は亡くなった兄を想って、大きくなるとその様に分け隔てたようだ。
裕介は祖父の尊厳を一身に背負わされてきた話は、着いた日に美紗和さんから聞かされた。到着早々裕介は美紗和さんに坂部の相手をさせて夕方まで家族会議をしていた。そこで亡くなった祖父については聞いていたが、典子さんに付いては何も知らなかった。第一に今日まで典子さんとは上辺の話だけで込み入った話はしていない。美紗和さんや千里さんに圧倒されて典子さんの影が薄かったのだ。
「じゃあおじいさんはいつからそのようにしたんだ」
彼女は高校を卒業して大学へ行きだしてからだ。そこで男でも見付けたのか? 高村は首を振った。見つからなかった、いや、見付ける気がなかった。
「どう言うことだ」
祖父は典子が高校を出るとそろそろ相手を見付けて欲しいと願うようになった。死の直前に兄と約束した通りそれを実行に移し出したのだ。だがどうしても典子に全くその気がないと解ると、美津枝さんの二の舞だけは避けようとした。あの時の典子は世間を知らないがその内に浮き世の実態を知れば、美津枝伯母さんのようにはなってほしくなかった。
「そこで千里さんを見付けて典子さんに婿養子を取るのを止めて他家へ嫁げるようにしたのか」
「おじいちゃんは兄との約束を深く考えれば伯母さんのようにはさせたくない典子には家庭を持たせて多くの孫に囲まれた余生を送らすことだと考えて千里さん同様にそんな人を探した。幸いなことに祖父には幅広い人脈があった」
「それで典子さんは何処へ嫁いだんだッ」
坂部は典子さんの気持ちを何処まで、みんなは本気で考えていたのだと、込み上げる怒りを抑えきれずに訊いた。
「知ってるんだろう」
「それは俺には云えない」
「どうしてだ知っているのに云えないのかそれとも知らないのか」
どっちでもないと云ったきり
「高村、お前、俺を此の家に誘った本当の理由は家の跡取りのゴタゴタに巻き込まれている典子さんを何とかしたいからじゃあないのか」
「その典子が最近になって高校時代の友達から相談を受けて困っているんだそれで今は何も言えないんだ」
最初に注いだロング缶の半分を高村は飲み終えると、典子の友達でなくその友達に頼んだ相手が厄介な女だと謂ってきた。
気を逸らすな! と坂部が云っても目は宙を浮いている。
「その厄介な相手とはお前も知ってる女だ」
ウッ? 此処はお前の郷里で俺には知り合いはいないはずだ。
「大野に来てまだ日が浅いのに此の家以外に知り合いなんて居るわけないだろう」
「お前に壺を売り付けた女だ」
あの和久井佳乃子が、こっちへ来て小石川希実の家に泊まり込んで、高村にアプローチして来たらしい。それで暫く出掛けていた。その気がないのならほっとけばいいが、どうやら典子さんを通じて高村に近づいて来たようだ。向こうがその気なら、こっちも暇つぶしにここ暫く会ってみたが、そろそろ退屈してきたときだった。虐げられた人々に手を差し伸べるのを信条とする高村に、あの手この手と秘策を繰り出して、上前をはねる女に対して本当にそうなのか。あるいはもう相手の術中に、はまり込んでしまったかも知れない。そうなれば坊ちゃん育ちの高村には、典子さんより先に坂部は、対処する必要に迫られた。
「本当にあの和久井が越前大野に来ているのか」
どうやら和久井の伯父さんがやっている陶芸教室で、楽茶碗に似た凄いのが出来たと謂われて会いに行った。見た目はよく似ていたが、高村は祖母と伯母が茶室で茶道をやっていて古美術品に詳しい。陶器に詳しい者なら一目見て、矢張り偽物だと見抜ける代物だった。
だがルイ・ヴィトンやエルメス、ザ・ノース・フェイスなどの、偽物の舶来品と知って買う人が結構いる。それなら茶器だってそれに似せた物を持つのも一考だ。そこであたしは此の陶芸家のファンだと、自己主張して一服の茶にひとときを優雅に過ごせる、と和久井の奴が売り込みに来たそうだ。
「あの大学で強引な
「どうも和久井は俺の弱点を探り出して近づいて来たんだ」
高村が謂う弱点は典子さんのようだ。大学では邪険にされたので、何とか近付きたいと和久井が、高村家の中では典子さんが裕介を自慢にしていたからだ。
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