第38話千里の話

 確かに千里さんは随分と人の心を見抜けそうな人だと思う。亡くなったおじいさんも多分そこに目を付けたんだろう。坂部にしても、千里さんから美紗和さんに対して、適当でない対処法でも、その話に乗って仕舞いそうだった。

「大場さんに美紗和さんは果敢に攻めてますよと云われたけれどもそれはどう謂う意味なんだろう」

「誰に」

「私にだけれど本当はどうなんですか」

「それじゃあさっき聞いた話とは少しのニュアンスの違いでなく確定でしょう大場さんは誇大されずに彼女の考えを言ったまででこれは遠からず当たっている」

 これはあたしの直感だと言ってうふふと笑った。

 此の人の直感は高村家の亡き祖父よりも鋭いかも知れない。なんせ亡き祖父は三代目に代わって次男ながらも二代続いた家を盛り立てている。その一番の泣き所は早くに亡くなった三代目の後継者問題だろう。なんせ直系に男子はなくて、傍系には次々と男の子が生まれていた。このままではもと藩主の土井家から認められた家系が保てず、近親交配は今は民法により禁止されている。そこでいとこまでなら大丈夫と、傍系の男の子を直系の子と養子縁組みして正式な血統を保つ手立てを考えていた。

「それでどうして千里さんなんです」

「あたしに男の子が生まれれば祖父は本家に養子に出す予定だったが典子さんに男子が生まれてご破算になったからもうあたしは当てにしなくて良くなったの」

 赤の他人から養子を取るより、傍系から取れば血統は守られる、と祖父は考えて此の人なら理解してくれる、と千里さんを選んだ理由だと思われる。

「なるほどあれほど血統に拘る祖父が全く拘らない千里さんならばと思った。それにこれは高村から聞いた話だけれど実際に直系の伯母さんとは上手くあしらっているそうですね」

「あしらうなんて人聞きの悪い話ね」

「その千里さんをしてもおばあちゃんが血統に拘る理由を謂わないと高村は言っていたけれど……」

「裕介さんは知らないんでしょう亡くなったおじいちゃん以外は」

「そんな、じゃあおじいさんが亡くなった今日ではもう誰も知らないんですか」

「そんなことはないわよ、おじいちゃんから全て聴きました。初代の利房さんと土井家との間で交わした覚書が蔵に保管されているのをけれど蔵の鍵はおじいちゃんからおばあちゃんに譲り渡されて今それを引き渡すように口説いているの」

 祖父も此の覚書の存在については、三代目の利寛が亡くなる前に聞かされて、保管されている蔵の鍵を預かった。ただ此の覚書は高村家の直系が完全に絶えて仕舞ったときに開封して、続けるかどうか判断するように申し渡されていた。だから覚書の内容は初代を命名した人しか知らない。開封するには直系である典子さんが残っているからだ。それで祖父は色々と考え、克之の嫁を探した。傍系に男の子が出来ればもはや覚書を開封しょうと、典子さんには自由恋愛をと他家へ嫁がせることにした。

「矛盾する。それじゃあ自由恋愛ならどうして急に他家へ典子さんを嫁がしたのか。典子さんはいったい何処へ嫁いだんだ」

 祖父のやったことは矛盾だらけだ。

 千里さんが聞いた話では遠い親戚らしい。相当の結納金を先方に渡したそうだ。それを家族は誰も知らない。もっとも伯母さんの娘だからと謂っても、家族同然に育ったのだから先方の詳しい事情ぐらいは話しても良いのだが。祖父が黙っている以上は、息子の利忠でさえ知る余地はなかった、と考えるのが妥当だろう。

「それを知っているのは裕介さんだけなんです」

 なぜ此の女はそれを知っているのだろう。問題は誰からいつ知ったかだが。生前ならおじいさんからか、しかし、息子や克之が知らないのにその妻が知るか? いや、千里さんなら祖父は伝えたかも知れないが、まさか典子さんの心情を察する高村には、おじいさんは絶対に謂う訳がないが。

「なんで高村が知ってるんだ」

「典子さんが話したから」

 これには絶句した。幾ら高村が庇ったとしても、あれほどに我が身を引き立ててくれる祖父の意向に背くはずがない。それでも敢えて話をしたとすればいつからか。それは高村から聞くしかないだろう。千里さんも不思議そうな顔をすれば知らないのだろう。

「美津枝さんは?」

「伯母さんは何も知りませんでもおじいちゃんが亡くなれば典子さんが話したかも知れませんけど」

 これには驚いた。おじいさんが千里さんには教えていた。これでおじいさんは、彼女に相当の信頼を置いていたことが解った。それなら祖父亡き後は、彼女ならもう話しても差し障りがないように見えるが。それでも彼女がまだ口を閉ざす理由が他にあるのか聞く前に察したように、もう子供を寝かす時間だと言って食堂を出た。坂部は残された疑問を知る為に、いよいよ二階の自室にいる高村を訪ねた。

 此処は板敷きの廊下といい、欄干のような凝った手すりから見える庭園を眺めて入ると、彼の洋室は異様な感じを受ける。だがそこに佇む高村は凡庸な人間だ。絨毯が敷き詰められた床に置かれたローテーブルの前に腰を下ろした。彼は冷蔵庫から缶ビールを二つ取りだして、つまみのナッツ類と一緒にテーブルの上に置いた。そこで姉とは上手く行っているか訊かれた。先日に美紗和さんと一緒に行った鮎釣りの話をした。これには高村も、姉からおとりの鮎の付け方を何度も教わったなあ、とさっき大場さんから聞いて坂部を冷やかした。その彼女とのなごやかな話を坂部は引き継いで喋った。



 

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