第11話 千里

 高村との話はいつ終わるのだ、とまた同じ質問をしてしまった。それに美紗和は親が典子さんに持たせた桃を「せっかくあなたのために差し入れてくれたのだから」と勧められて食べ出すと、隅にある冷蔵庫から麦茶を用意してくれた。和室のこの部屋には不釣り合いの冷蔵庫だが、今では物置になった二階の兄の部屋から、あたしと千里さんとで運び込んだようだ。

千里ちさとさんって誰?」

「兄の克之の奥さんだけど、兄や裕介は時々冗談交じりにせんりって呼んでるわよ」

 どうもこの千里さんも亡くなった祖父のお気に入りだそうだ。彼女は福井市内のデパートに居たところを祖父に見初められて、兄と交際して三年ほど前に結婚した。つまり亡くなった祖父は、自分の意にそぐわない息子の利忠としただの長男に千里を推薦した。

「その~、兄弟二人の名前も古風だけどお父さんの利忠はもっとも古風な名前で何だか昔の大名みたいな名前ですね」

「そうなのよ、それは越前大野藩土井家の七代目藩主の名前なのよ」

 と田舎では良いけれど、見知らぬ人ばかりの都会では、余り語りたくない名前だそうだ。どうやらこの家では、昨年なくなった祖父の影響が、今も尾を引いている。裕介はそれをどうするか、家族を交えて議論している。

「それで美紗和さんは僕が退屈しないように話し相手に来てくれたの」

「冗談じゃないわよあたしはそんなお人好しでも暇人でもないわよ」

「じゃあどうして此処へ」

「裕介が今日明日帰るのなら良いけれど長く逗留するから誤解のないように下で今議論している内容を少しは耳に入れてやれと頼まれたのよ」

 用意された桃は、スッカリ食べ尽くして、二人は麦茶を飲んでいる。

「それで下には誰と誰が居るんだ」

「あたしの両親と兄と弟」

「千里さんは?」

「千里さんはあなたと違って関わりたくないから多分居ないと思う」

「俺も関わりたくないんだけれど」

「勝手な人ね、じゃあどうしても裕介の誘いに乗ったのよ」

 ここへ来た以上はその話に乗ってあげないと、そして裕介に付いて来た以上は、何か結果を残さないと、それがお世話になったこの家に対するお礼になるとまで言われてしまった。これに参ってしまい少し考えると、真に受けてそんなに難しく考えないでひと夏を愉しめばよいのに、堅物な人なのねと笑われてしまった。

 そんな坂部を見て美紗和は祖父の話を少し語ってくれた。

 あたしの名前は美紗にするつもりだった。でも世間で活躍している人を見て印象が良くないのか、もう少し穏やかな娘にと和を美紗のあとに付けたらしい。

「そうかそれは良い、僕も美紗って名前の人はどうも気が強そうで、実際に美紗和さんは喋り方が穏やかできつい言葉も溶け込むように耳に入ってくるようで沈んだ気分も良くなりますからその名前合ってますね」

「あらそう」

 兄と弟からはそんな事は一度も言ってくれないと本人はぼやいている。それは身内だから言うのが邪魔くさいのか、もしくは今更取って付けたようで照れくさいんだ。それが本当に仲の良い兄弟の証しだとも言った。

「そうかしら、あたしには思ったことは思ったときに兄でも弟でも言って欲しかった。後でそれが間違いだと気付いても訂正できないように」

 と意味ありげに棘のありそうな嗤いを含ませた。

「それってどう言う意味ですか」

 今までは常識で通用していた物が福井の大学へ通うようになると、一事が万事全く通用しないのに気が付いて唖然とし。

「裕介の話だとあなたも似たような田舎暮らしから大学へ通うようになったのでしょうそれで驚かなかったの」

 田舎と言っても家計に追われて毎日安売りを目当てに、方々に自転車で走り廻って交渉していたから世間には疎くない。それでも此処では世間とは事情が違うからあなたも結構知らない事が多いと言われた。

「じゃあお相子か、そうなれば、君だってそう変わらんだろう」

「まあいいわ、此処から隣の書斎を抜けて庭に出られる方法を教えときますから少し歩きましょう」

 此処から庭に出る方法を教えると、美紗和は廊下に出て隣の書庫兼書斎の部屋に入った。でかい机が正面窓側に鎮座して、その周りは全て書棚になっていた。此処が我が家の図書館だと言って、草履を履いて片隅の小さなドアを開けた。家屋に沿って外側に張り出した縁が在り、そこから下の庭に出て驚いた。まだ奥にも庭が広がっていて、この建物だけが池に面した庭に突き出ていた。この庭の造りは平安時代の寝殿造りを真似たけれど、流石にあんなに広い庭は無理なので、片方だけ真似た造りにしてあった。だから来客が庭を観賞しながら茶を嗜むように、一階の茶室が庭に突き出て作られていた。その二階は付け足しだと言われて、じゃあ僕は付け足しの部屋にいるんですか、と居候の身分もわきまえずに言ってしまった。これには変な顔をされると思いきや、其れもそうねと同情されてしまった。

「でもあの部屋が一番見晴らしが良くて台風が来れば真っ先に飛ばされそうになるところだから反対側には廊下でなく板敷きの縁側になっているのよ」

「そう言われても障子しかなかった」

「あらっ、その障子を開ければ縁側でアルミサッシの窓がありそこから池と庭が続いているのが見えるのよ」

 そうか、とまだ見ていない奥の庭へ行きかけると、そこから離れに繋がっているから、と反対方向の今朝、典子さんに先導された庭を眺めていると、やっと探したぞと裕介がやって来てくれた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る