第9話 高村邸に着く

 高村や小石川から聞かされたがあの無人駅には驚いた。そしてそこに停まっているのは場違いなバブル期の高級車のシーマだ。この座り心地の良い車でこれからこの町とは掛け離れた世界へいく。此の車に不釣り合いな田舎道をシーマが導いて行く高村の告げる混沌とした世界とはどんなもんなんだ。

 ハンドルを持つ大場が、裕介坊ちゃんと言いかけてさん付けに切り替えた。

「どうした」

 と高村が窓から開花したばかりの稲穂を眺めたまま面倒くさそうに答えた。

「この車の車検がもう直ぐですがどうしますか、結構費用が掛かりますが」

「どうしてそんなことを俺に訊くんだ」

 向き直った高村は大場に向かって言った。

「今の大旦那さまも何も返事されないし、聞いたまでですが」

「別に乗り心地は悪くないし、しかも此の風景に良く溶け込んでいる、第一ばあちゃんも何も言わないのならそれで良いんじゃないか」

 聞かれたついでに他に何か変わったことはないかと訊ねた。

「特にありませんが大旦那さまも」

 と言いかけて、高村はその言い方はおじいさんが死んでからはおやじは禁句にしたと咎めた。

「そうですね。昨年からは社長と呼んでますが、こうして裕介さんとは暫くご無沙汰されてツイうっかりしました」

「俺が家を空けたからってそう気分が変わるもんじゃないだろう、まさか家の中もまた昔のままじゃないだろうなあ」

「それはもう社長は先代が亡くなられてからは、家の中で余り敬語を使うな普段通りにしろと言われてますから」

 それでも時々ごちゃ混ぜになる大場を注意してこれを何とかしたいらしい。

「だから坂部、お前を我が家に招いたのはそんな形だけの古い家風の是正にあるんだ」

 と高村は強調して坂部に家と家庭の話をした。

「坂部の家は三十坪もないんだ。しかも家の建坪はそれより狭いそこに今は七人住んでるどう思う」

 今まであの屋敷の庭を手入れしてきた大場にすれば「どうでしょうね」とあの庭より狭い家はピンと来ないようだ。

「まあそんな感じで最初は戸惑っても気にするな、これはおやじの方針でもあるんだ。家の者はまさに籠の鳥で、ちやほやしていてはこれからの世界では思いやられるとおやじは克之に子供が出来ると孫の将来のために変えたんだ」

 着いたぞと高村に言われて、もう目の前にはこんもりとした小山のような森が見えてきた。その森に包まれるように長い土塀が続く建物が姿を現してきた。

 周囲も鬱蒼とした木々でその土塀も所々遮られて見分けがつきにくかった。入り口は塀の切れ目の石柱に取り付けた鉄柵の扉が観音開きになっている。車を降りた大場が両扉を内側に押し開けた。此処で高村たちは車から降りて再び車庫に向かって動き出した車を見送って戸を閉めた。どうやら祖父が居た頃は戸を閉めるのも大場の仕事だったようだ。

 さあ行くかと疎林の間に敷かれた石畳が、緩く弧を描きながら続く登り坂の先にある玄関を目指して二人は歩き出した。やがて和洋折衷の屋敷が見えてきた。

「祖父はこの道さえあのシーマで上がらせたんだ」

「じゃあ大場さんはあの鉄柵の開け閉めをしてここまで来て車を車庫に入れていたのか」

「勿論それ処か大場さんは祖父が出掛けるときは車のドア前で待機して開け閉めをしてから車を発進させるんだ。だから動かず栄養だけ取って、おまけに頭だけカッカッさせてどやし続けて、それで脳溢血で祖父は倒れたんだ。それでおやじは自分でやれることは自分でやれと俺たちに言っているんだ」

 家の中へ入るまでにこれだけの説明をして高村は玄関のドアを開けた。

 そこには細かい石が埋め込まれた広い三和土たたきが有り、靴を脱いだ上がり口には大きな屏風が視界を遮っていた。その隙間から顔を出すと細い身体に長めの髪が波打つように揺れながら廊下の向こうから若い女性が遣ってきて、あらっお帰りと迎えてくれた。

 この人が典子さんかと訊ねるとやはりそうだった。彼女も坂部を確認すると奥へ案内した。振り向くと高村の姿はなかった。

「裕介さんは此処から自分の部屋へ行かれました」

「勝手にか」

「だって自分の家ですもの」

 と吹き出すのを躊躇うように典子に言われた。それもそうだが、今は彼奴あいつしか俺を知るものはいないのに、置いてけぼりをされて心細くなった。しゃあないこの女の後をついて行くしかなかった。左側が台所と食堂になっていた。彼女は右側へ行くと広い庭が見えて明るい日差しが差し込んできた。池のある庭に添って長い廊下が奥まで続いていた。突き当たりで庭を囲むように右側の階段を上がると奥の部屋へ案内された。そこは八畳ほどの和室だった。

「この下は茶室で普段は使いませんので勝手に入らないように。階段を上がらずに反対方向に行くと離れになっていて用のない時はあたしはそこに居ますからごゆっくり」

 と部屋を出ようとするのを呼び止めた。

「高村、いや、裕介は何処に居るんだ」

 典子は廊下に出て手すり越しにL字型に囲まれた庭の右側、さっきまで庭に面して歩いた二階を指差して、手前の部屋で、その隣がお姉さんの美紗和さんの部屋だと説明した。

「その隣にも部屋がありますね」

「あれは結婚される前まで克之さんが使っていた部屋で今は何もない物置です」

「良かったらそっちの方が賑やかそうだなあ」

「でも他の部屋は夏になれば結構遊びに来られますから此処は静かでいいですよ、それにこの奥の部屋は洋室で書庫になってますから何か調べ物をするには持って来いの部屋で先代のおじいさまが書斎に使ってました。その書斎から庭に出られますから」

 なるほど此処でのんびりしろと云う高村の配慮か。

「それでは夕食時に皆さんに裕介さんから紹介されますからそれまではごゆっくり」

 と典子さんはサッサと出て行った。



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