第5話 高村の噂2

 テーブルの前にはまだ余り減ってない珈琲が三つ並んでいる。さっき吐いた言葉が何処へ消えたのかも解らないぐらいに、快活に隣に居る女と喋り出していた。話を盗み聞きするわけではないが目の前で喋られると自然と否応なく耳に入ってくる。しかもそれが友人の高村に関することなら知らぬ間に耳を欹てて聴いている自分が居た。

 話を要約すると高村の家は戦前から続く大地主だったが、戦後の農地改革で田畑の殆どをなくしたが山林だけは残った。戦後の復興期にはその木材が飛ぶように売れて戦前の賑わいを取り戻して、今は静かに越前の山あいに溶け込むようにその屋敷はある。

「どれぐらい」

 町中でなく山裾に抱かれるように建っているお屋敷ですから敷地はハッキリとした広さは解りませんが建物は百坪ぐらいだそうだ。

「何で解るの」

 町の工務店が改装を何回か頼まれてそこで伺いました。でもそんな物はどうでも良いとにかく高校時代はいつも朝は同じ電車に乗り合わせても、高村はいつも空いた席に座ると本を読んでいた。後で気付くと彼のためにいつもその席が空けてある。

「何で」

 解らないけれど田舎の二両編成の電車でも、あたしが乗る頃には結構席は詰まっていた。

 でもそうやって見ているのはあたしだけやない。同じ高校生の中にも何人か他にも居た。もっと居たかもしれないが残りは無関心を装っていた。でも年寄りが席の前に来ると、裕介君は必ず一番に席を譲っていたから、育ちの割には融通の利く子やと傍目には見えていた。

「何で声掛けへんかったん」

「だってみんな同郷の子ばっかりで迂闊に云えんそれで世間の均衡は保たれていたんや」

 あの家には三人子供が居て裕介君は末っ子で上に姉と兄が居るが、男連中はそのお姉さんに夢中になっている。お姉さんも器量良しでみんなほっとかへん。

「そんな一家にみんなは見て見ぬ振りをしてやり過ごしているからあたしもこれ以上は裕介君には近づけへん」

 と高村の噂話はそこで終わった。

「そう言う訳やさかい小石川さんなら向こうもご近所の手前、困るけれどあたしが高村さんとお友達になっても問題はないでしょう」

「それで今日呼び止めたのは俺とどう言う関係があるんだ」

 これは今一度和久井佳乃子の気を惹くチャンスだが、何かが邪魔をしてこんな言葉が喉元を我が物顔で通り過ぎてしまった。矢張りこの場は高村を思う気持ちがまさったようだ。

「だから高村さんとお友達になれば私もあなたともっと深く付き合えるでしょう」

 そのように言われると、また未練がましい気持ちが紆余曲折してくる。これが最初に高村に指摘された幼い頃の愛情の欠如から来ているのかと思うと情けなくなった。

「だからあなたと高村さんの結び付きを私はもっと協力して上げたいの」

 それは余計なお世話だと云いたいが、なぜかその言葉は込み上がってこない。それどころかある程度の満足感さえ伝わって来た。これではハッキリさせたくないのか、そこが煮え切らないまま時間だけが通り過ぎてゆく歯がゆさから適当に突き放してしまった。

「僕に協力を仰ぐより直接高村に云えば良いんじゃないですか」

「此の前はあたしの名前を出しただけで彼は走って逃げた人をどうやって話せるのよあなたが余計な事を言わなければ聞いてもらえたのに」

 和久井は自分の素行を差し置いて、それじゃあこうなった責任は俺にあると言わんばかりだ。まああんな壺を相手の身なりで勝手に値段を付けて売り付ける女に云っても無意味だ。

「もう話はこれで終わりだ」

「それでいいの小石川さんからもっと高村さんの事を訊かなくてもいいの」

「ああ、直接高村に訊けばいいんだその方が此の人よりもっと詳しい事が解ってくるからさ」

 と云いながらも腰は重たかったが、和久井の媚びを帯びたような顔を見て、高村と同じように急に飛び上がるようにして店を出た。

 壺を買ってから和久井との接点を求めていたが、この日から坂部は正反対の行動を取った。  

 和久井は坂部のアパートは知っているが、高村のワンルームマンションは知らない。それを幸いに学食でなく高村の部屋を訪ねる機会を増やした。そこで夏休みが来ると高村はこの町の夏は堪えきれんと、田舎へ秋まで籠もると言って坂部を誘ってきた。坂部にすればそんな敷居の高いお屋敷は肩が凝るから最初は気乗りしなかった。そこでうちの姉はお前の付き合ってる和久井佳乃子なんか目じゃないぞ、と言われて俄然気分が急展開して同行することにした。

「お前を誘うにはこれが一番効き目がある」

「そう言う訳じゃないが……」

「郷里に居る姉の風貌を聞いて誘ったら二もなく乗ってきたのがその証拠だろう」

 と高村は笑っていた。

「一つ返事で決める処をみるとあの和久井佳乃子と謂う女とはあれから上手くいってないようだなあ」

 厄介払いのように言う処をみると、高村もあの女は気に入らないようだ。

「第一にお前も俺もひと夏を福井で過ごす事は和久井には知られたくない」

 どうやら向こうは勧誘した頃の意気込みは何処へ行ったのか、あれから一向にサークル活動には熱が入らない、と言うより完全に冷め切っているようだ。そこで高村に更に冷やかされた。

「熱が冷めたのはどっちだ向こうかお前か」

「自然消滅だ」

「嘘をつけ! 休戦中何だろう」

「休戦中、なら三十八度線は何処に有るんだ」

「男女の関係にそんなハッキリした境目がないからひと悶着が起こるのだ」

 と云って高村は更に高笑いした。



 

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