第4話 高村の噂
噂を聞いて昼に学食で高村と顔を合わせると、二人は和久井の話になった。坂部はいつもの日替わりメニューで、高村は相変わらず値の張る物を食べていた。
「どうしてあの女が名乗っただけで逃げ出してきたんや」
高村にすれば和久井おろか、坂部が聞き込んだ小石川希実と謂う女も、初耳で全く見識がなかった。それでその時に一瞬お前の顔が浮かんだそうだ。
「それで俺を疑ったんか」
「すまん、悪かった」
高村は素直に頭を下げた。此処が彼の憎めないところかもしれない。まあ知り合って数ヶ月ではそれ以上の良さはまだ見つからない。
「それで和久井はまだ校門前で頑張ってるんか」
「流石にもうサークルの勧誘をやってるもんはもうおらんよ」
それでひと安心と謂うところらしい。そこで坂部はまだ知らなかった高村の実家について質問すると、突然過ぎて変な目で見返された。
「そやかて此処では俺は高村、本当にこの大学ではお前しか知らん、今のお前しか……、そやのに和久井はそれ以上にお前の事を知ってるから質問しただけや」
そう言われると坂部の質問は切なく聞こえる。此処で高村はさっきと同じように又すまんと素直に頭を下げられた。付き合ってまだ間がない坂部に実家の事情聴取をされて普通なら一蹴されてもおかしくないのに、高村は何度も頭を下げてきた。これには坂部もこの男を大事にしたいと謂う思いが俄然と湧いてきた。
高村は気付いていたが、何処までもそしらぬように聞いてくれる坂部に、ある時期から実家の話はしていない。お互いにそれで良かったが、高村の郷里から来たと言う小石川希実の話が和久井から伝わると坂部は堪えきれなくなった。
「判るかこの気持ちが」
あの女の方が俺よりお前の実家をよく知っているのがやりきれない。しかし高村にすればその程度なら地元の者はみんな知っている。地元でも親や兄弟の関係は見た目以上には知らないから俺は気にしていない。だからお前もそれがどうしたと言い返してやれば気持ちがすっとするんじゃないかと思った。そう言われて、そうだ気にするほどの女じゃないと坂部は気を取り直した。
そんな高村の噂が蔓延するサークルの催し物には会合にも坂部は行かなくなった。そうは云ってもあのサークルはそんなに頻繁に集会をやっていない。入学早々は新入部員募集のためか頻繁にコンパを催していたが、新人の流入が止まった頃からコンパもパッタリと止まっていた。それでも月に二回の会合をやっていたが、梅雨頃から行ってなくて、もう七月も初旬にさし掛かっていた。
そうなると流石に和久井も気になったのか、講義が終わった帰りを狙ったように呼び止められた。誤解を防ぐためなのか和久井の横には見知らぬ女が居た。はて? 隣の女はサークルでは見かけない女で、そっちに気を取られて立ち止まった。すると「どうして最近は顔を出さないの」と掛けられた言葉を振り切るように歩き出すと、同行しながら更に言われると此の前の決意は次第に鈍ってしまった。彼女に気がないのは分かっていながらどうしても話したいと喫茶店に誘われた。
席に着くなり「気になってるでしょう」と此の人が小石川希実さんだと紹介された。彼女は同じ大学だけれど伯父さんがやっている陶芸教室で知り合ったが、高村を見付けるまでは北陸地方から来ている田舎の子と云うイメージしかなかった。それが入学早々勧誘した坂部が親しそうに一緒に歩いている高村を見て和久井は驚いた。この時たまたま一緒だった小石川希実が「嘘やろう隣に居るのは高村さんや、しかも同じ大学に来てるんや」と言われてあたしは彼女から高村の話を聞いてびっくりした。
それから和久井はサークルに顔を出さない坂部を探してやっと今日捉まえたのだ。
「あの高村と同郷だという人が此の人なのか」
坂部の言葉に軽く頷くと小石川は「田舎ではみんな話す切っ掛けがないのにもうお友達なんて羨ましい」と言われた。
高村家は地元ではちょっと知られた良家で、そんな人とどうしてお友達になれたのか小石川は席に着くなり真っ先に訊かれた。
「別にあいつはそんなにお高く留まってなくて普通だよ」
「都会ではそうだけれど、狭い田舎では直ぐに町中の噂になっちゃうから迂闊に声も掛けにくいらしいわよ」
和久井が言った。
「そう、特にあの高村家の人間にわね、後でみんなに何を言われるか分かったもんじゃないもん」
「実家の方ではどうだか知らないが、裕介はそんな人間じゃない」
「希実ちゃん、それって
「確かにこの人の言うとおりね、田舎で見た裕介君も学内で見た裕介君も見た目は全然変わってなくて、でもまだ喋った事もないからどうだろう、でもインテリには変わりなさそうね」
確かにそうだ俺にも、もっとも勉強しろと強要されている処が玉の瑕だが、言葉に重みがないのは、矢張りあの男の寛容な精神が行き届いているからだ。
「裕介は傍目にはインテリっぽいけれど、僕が見る限り何処か抜けてるとこもありそうな雰囲気を漂わせている処を横目で一度捉えたが、あれは単なるなんかの息抜きにすぎなかったんやろうか」
と独り言を云ったが、それに和久井は嗤った。
「まだ三ヶ月そこらでそんな奥深い人間の心境が判るほど世の中は甘くない。人は全て腹黒い、それを一生隠し通せる人が聖人なんや」
と云われるとあの嗤いの後に言った言葉の重みに疑念が生じた。
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