第十七話 鎌売の秘密 其の二
「か、
……美しさを鼻にかけない、気立ての良い
あたしは
「
しかし、広瀬さまは指一本、あたしに触れた事はございません。
広瀬さまが、お兄様を亡くしてらっしゃる事はご存知ですね?
あたしは以前、お兄様、
その昔を
「嘘よ!
「
あたしは、かっ、と目を見開いて
ごくり、と
「宇都売さま。あたしと、広瀬さまの間の気配を思い出してください。
あたしと広瀬さまが男女の色を匂わせた事が、一度でもあったでしょうか?
真実とは、おのずと明らかになるものです。
ですが……、僅かでも疑いを残す事は、宇都売さまに仕える身として不本意です。
広瀬さまに直接お伺いしましょう。」
「えっ……?」
前と後ろから───つまり、宇都売さまと大田児の口から、同時に驚きの声がでた。
宇都売さまは、
あたしは女官の名を呼んだ。
「
今すぐ
今宵の
「はい!」
あたしは、す、と後ろを振り返った。
そこには、信じられない、というように、唇をわななかせた
あたしは、にぃ、と口の両端を釣り上げてみせる。
「ふ、このように出るとは思わなかった?」
愚かな
「覚悟しておくがよい。」
あたしの低い静かな声を聴いて、大田児は紅で赤い顔を、さらに真っ赤にさせた。
夕餉。
広瀬さまは宇都売さまの部屋にいらして下さった。
「なんだ。馬鹿らしい。」
広瀬さまは一笑にふした。
「全て
これから先も、鎌売を呼ぶことがあるだろう。
だが、手は出さん。
───なあ、鎌売、もし私が手をだしたら、いかがする?」
「恐れながら申し上げます。頬を張り倒します。」
「わははは!」
広瀬さまは
「笑い声、初めて聞いた……。」
と呆然とし、女官一同は微妙な空気になり、しきりに目配せしあった。
大田児は、一人、顔を強張らせて、冷や汗を
すぐに笑い終えた広瀬さまは、いたずらっぽく口に笑みを刷いた。
「それでも、私が止まらなかったら?」
「舌をかんで死にます。
あたしは心も身体も
あたしは堂々と言いきった。
ほぅ……、と皆がため息をもらした。
女官の
広瀬さまは、ほんの少し笑い、
「幸せ者め。」
小さくつぶやいたあと、いつもの冷たい表情に戻った。
「さて、疑いは晴れたか? 宇都売。」
「はい。あの……、はじめから疑ってなど……。」
宇都売さまはうつむき、もそもそと小声で言った。
このままでは宇都売さまが可哀相だ。
「宇都売さまは
これは大田児の
大田児が、ぎくり、と身体に緊張をみなぎらせた。化粧紅はすっかり落ちているのに、顔が赤い。
広瀬さまは冷たく大田児を見た。
「ほう……、鎌売は私が女嬬に推した女官。
どのような罰が良いか……。」
「広瀬さま。不要です。
これは女官のこと。
女嬬であるあたしが始末をつけます。」
あたしはピシャリと言う。
今度は、皆、しん、と静まりかえった。
広瀬さまは肩をすくめ、
「そうか。」
とだけ言った。あたしは宇都売さまを見て、
「あたしに始末をお任せいただけますか。」
と確認をとった。
こくり、と宇都売さまは不安そうな目で頷いてくださった。
あたしは大田児の赤ら顔を見据えた。
「大田児。明日の朝一番に
「そんな……! こんな事で、あたしに女官を辞めろって言うの、鎌売っ!?
帰れるわけないじゃない!
母刀自になんて言えば良いのよ!」
「お黙り!
あたしは女嬬です。
あたしの決定に逆らう事は許しません。」
「広瀬さまのお情けで女嬬にしてもらったくせにっ!
おまえが女嬬なんて認めるものか!
おまえなんかあの火事で一緒に焼け死ねば良かったのよ!
あたしは白い怒りの炎でくらくらとした。
あたしは知っている事がある。
知っていても、一女官では、今までどうにもできなかった。
女嬬となった今では違う。
遅かれ早かれ、この
あとは時期を
「……おまえ、
嘘つきめ。」
「あはははは!」
「見たのよ。」
あたしは、さっと右手を振り上げ、容赦ない平手で大田児の頬を打った。
「きゃあっ!」
「おまえは嘘をついている。
あたしにはわかる。
敵と味方の区別もつかず、味方のあらを探し続け、攻撃しつづける
信頼のない女官に、ここに立つ資格はない!
去れ!
縄で縛られたまま生家に送りつけられたいか!」
「わ───っ!」
(終わった……。
久君美良は無実であると、証明まではできない。手段がない。
あたしに出来ることは、ここまでだろう。
(
なぜ火が出たかは、わからない。
でも絶対、久君美良じゃない。
久君美良が火をつけたって皆に信じられたままじゃ、椿売も、黄泉で嫌な気分だったはずだ。
(あたしを見守っててね、二人とも。
あたし、女嬬として、頑張るから。)
皆、静まりかえるなか、
「見苦しいところをお見せしました。」
あたしが宇都売さま、広瀬さまに礼の姿勢をとると、宇都売さまは、肩から力を抜いて、
「頼もしいのね、鎌売……。」
と満月のような美しい笑顔で褒めてくださった。広瀬さまは、
「見事。」
と一言だけ口になさった。
あたしは広瀬さまを見る。
広瀬さまもあたしを見た。いつもの、感情のこもらない、心の冷えた目で。
───昨晩のことを思い出す。
広瀬さまとの約束を果たした夜を。
あたしは、広瀬さまの
「……もう広瀬さまとは逢わない、意氣瀬さまに知られる前に別れると、今ここで
椿売は、両手を握りしめ、胸にあてて、沈黙したのち。
たてないわ。もう逢わないという
あたしは驚きました。
そこで、もう逢わないと一言いえば、久君美良はひいて、問題なく事は収まるはずでした。
椿売もそれはわかっていたはずなのに、広瀬さまと別れることを拒否したんです。」
ぐっ、と広瀬さまの喉が奇妙な音をたてた。広瀬さまの目尻が赤くなる。
「椿売は……、どのような様子で……。」
「凛と立ち、目は強く光り、久君美良を
口調は静かで、淀みなく喋りました───………。」
あの時だけだった。椿売が、あたしの前で、広瀬さまをどうしようもなく想ってるとわかる言動をし、涙を流したのは……。
全て話し終えると、広瀬さまは、
「話してくれた事を感謝する。今宵はもう、下がれ。」
と苦しそうに胸を抑えながら、言った。
あたしが部屋を出た途端、
「おああああ…………!」
と
……ワガママ
だから、
広瀬さまの表情に生気が満ちるのは、あたしが椿売の話をしている時だけ。
きっと、皆、驚くだろう。
この広瀬さまの表情を見たら……。
広瀬さまは、ずっと、椿売だけを恋うている。
もう、お忘れください。
そう言うべきなのであろうが、あたしは言えない。
椿売の友であり、椿売の話で女官を続けさせてもらったあたしの口からは。
───
この
……こんな残酷なこと、宇都売さまには、とても言えない。
宇都売さまに忠実でありたいあたしの、たった一つの、口にできない秘密であった。
女官を辞めさせられた
縁談には苦労するだろう。
鎌売の知ったことではない。
それ以来、大田児を見ることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。