第三話 あり通ひの約束
三日後。
「
あたしは、ちょうど他の女官と
立ち止まり、一緒に歩いていた女官に先に行くよう、目配せをする。
今は無手である事を残念に思いながら、くるりと後ろを振り向くと、真剣な顔の石上部君八十敷がいた。
武人らしい風貌。
背は高く、肩幅は広く、全体ガッチリと筋肉がついて、顔は眉が太く、男らしい精悍な顔立ちだ。
口元を引き締め、眼差しに浮ついたところはない。
「金輪際近づかないで、と言ったはずよ。」
冷たく言うと、
「そんな、そんな冷たくしないでくれよ……。」
八十敷は、困ったように視線を下げた。
はっ、とあたしは威嚇するように息を吐いた。
(冗談じゃないわ。また来るとは思わなかった。何を考えてるのかしら?)
たしかに、
(ああ、やだやだ。)
仕える主である、
でもそうでないなら、あたしは、
間違っても、婚姻の為にいるわけではない。
その事を、この
あたしの事をちっとも知りもしないで、
傲慢な鼻っ柱を言葉の鉄拳で砕いてやった。
これでもう近づいてくることはあるまい、あたしも早く忘れよう。
そう思っていたのに。
「オレはおまえに恋したんだよ。おまえを妻にしたいんだ。一生大事にする。おまえに、オレの
(
ちょっとその言葉の甘やかな響きは耳に残ったが、あたしは、ふん、と鼻で笑った。
「あたしはあんたに恋してない。
たしかに、
だからって、あんたが望めば、どんな
変わり者と思ってもらってかまわない。
あたしには、あたしの夢があるの。婚姻はしない。」
「二十歳になっても、誰とも婚姻しないつもりか?」
慎重に八十敷が訊いてきた。
あたしはうつむいた。
上級女官は、ほとんど二十歳で婚姻をする。
「……そこまでは思ってないわ。」
「なら……!」
「まだ四年ある。それまではしない。」
「なんでそんなに、婚姻したくないんだ?」
「夢があるのよ。あたしは女官として、大きくなりたいの。」
あたしは悲しくなって、目をつむった。
あたしの夢。
……椿売。
……
二人は黄泉に渡ってしまった。
あたしの夢は、今や血も肉も削げ落ち、白骨を荒野にさらしているようなものだ。
きっと叶わないだろう。
さらには。
女官は婚姻したら、その家の
「鎌売。」
はっ、とあたしは顔を上げた。
いつの間にか近づいていた八十敷が、心配そうにあたしを見下ろしていた。
「そんな悲しそうな顔をしないでくれ。
オレは、本当に、おまえに恋してるんだ。
オレは、婚姻したとしても、おまえの夢の邪魔はしない。
女官でいたいんだな?」
こくり、とあたしはうなずく。
「
婚姻しても、そこから、
「女嬬になってないのに?」
女嬬の人数は限られている。
女嬬ならば、婚姻後も、
「ああ。だから、オレの妻となってくれ。」
(……悪い話ではないかも。女嬬でなくても、婚姻後も、女官を続けられるなら……。)
急速に心が動いた。
「オレは他に妻も
これから先も、鎌売以外の妻も
おまえの危機には、この命をかけて、おまえを救う。
鎌売、オレのこの想い、受けてくれ。」
……どうせ、二十歳になれば、
それなら……。
「……二十歳になったら、あんたでも良いわ。」
渋々、そう言うと、にかっ、と八十敷が笑った。
「もう一声!」
「……は?」
何を言いだすのだろうか。
あたしは目の前の
八十敷はにこにこと笑っている。
「その条件なら、何も二十歳まで待たなくても良いだろう。
オレは、すぐにもお前を妻にしたい。」
(変な男!)
あたしは、一歩石畳を下がった。
「大人しくあたしが二十歳になるまで待ってれば良いじゃない!」
「お前が恋しい。待てない。
お前が恋しすぎて、今にも、
なあ……、どうしたら、もっと早く妻になってくれる?
なんでも言ってくれ。なんでもするよ。」
二十歳より早く婚姻するのなんて、ごめんだわ。そう言って、この婚姻自体をやっぱり断ろうか、とも思ったが、
───なんでもするよ。
その言葉に、ふと心が動いた。
「じゃあ、あたしに一日一回、会いに来て。毎日、ずっとよ。」
ちょっとした悪戯心である。
八十敷は、こくっと頷いた。
「いつまで?」
「いつまでなんて、決めないわ。
あたしの気が済むまでよ。」
「待ち合わせ場所は?」
「そんなのも、決めない。あたしは普通に生活してるから、あなたがあたしを見つけて、毎日、顔を見せて。あり
「……厳しい条件だな。」
「やらなくても良いのよ。そしたら、あたしが二十歳になるまで、きちんと待つことね。」
「……やる。」
思案顔だった八十敷が、朝日が照らすように笑い、ぱっとあたしの両手をとった。
(あっ! 何するの。恥ずかしいじゃない!)
「鎌売……。オレは心からおまえを恋うている。それをいついかなる時も、忘れないでほしい。」
八十敷はじっとあたしを見つめながらそう言って、顔に微笑みをたたえたまま、
「また明日、会いに来る。
と、手を離し、くるりと背をむけ、石畳の道を迷いなく歩いていった。
(て、て、手を握りやがって、この野郎……。)
八十敷を心のなかで、つい乱れた言葉遣いで批判しつつ、あたしは驚きで口を半開きにし、無言で八十敷の背中を見送った。
広い肩幅。力強い足取り。明るい笑顔。真剣な眼差し。
(……あたし、なんで、婚姻を、あっさり認めちゃったんだろう?)
自分の言動が、自分でも不思議で、あたしはパチパチと
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