第2話 情報収集1

 晴れてロン家の奥方に就職した私ですが、この家についてよく知っているわけではありません。

 表面上をさらりとは知っていますが現時点の内情とは全く違うようですし。

 勤勉というより堕落に身をゆだねていたいのですが、放置してもよろしい気配はしません。年下の夫が頑張っているのに惰眠をむさぼって遊び歩くのもしばらくは控えるつもりではあります。

 相手の態度次第ですけれどね。


 朝食後、書斎を強襲すると旦那様が読書にふけっていました。意外に本を読む方なようなんですよね。元婚約者のほうは全く読まない、眠くなると笑ってましたっけ。読みやすい本をいくつか進呈しましたが、読んでいただけたかは不明です。

 彼については思い出すとなんだか殴り倒したい衝動が……。

 婚約破棄と駆け落ちとどちらのほうが私の傷は浅かったんでしょうか。


「……なにしにきた」


 少々物思いにふけっている間に旦那様は私のことに気がついたようです。

 怪訝そうというよりなにか慌てたような態度ですが、昨日のことを少しは気にしているようです。まあ、謝罪にきたくらいですから、悪いことをしたとは思っていらっしゃるのでしょう。

 しばらくはその気まずい思いをしておいてもらいたいものです。


「領地のことを調べに来ました。

 事前情報とは乖離していましたので」


「……侯爵から聞いていない?」


「匂わせ程度で全く。徹底した情報閉鎖でもしたのか、仕事のつてでもこの状態は察知できませんでした」


「フリュイテ嬢でも調べられないとは思えないんだけど」


「私の周りだけなら出来るんじゃないかと思うんですよ。知ってごねられると父が困るでしょうし」


「面倒が多すぎるからわからなくもないが」


「いえ、持参金増量と嫁入り道具の追加を要求します」


 金も道具もあればあるほどいいという発想は、姉たちの夫には不評です。生まれも育ちもよい貴族の娘らしくもないと。

 ただ、父はそのいいようにたいそう立腹していたようで、館への出入り禁止を言い渡されることになりました。祖母、つまりは父の母がそういう思想の人だったのが遠因のようです。なお、祖母と私は仲良しでした。5年ほど前に亡くなりましたが、個人遺産を私にいくつか残してくれました。


 さて、旦那様はどうかと言えばぽかんとしたように見返してきて、目があったなと思ったらぐふっと咽てました。


「そ、そうだね。うん。あなたならそうだ」


 面白そうに屈託なく笑うのがひどく眩しいもののように思えました。


「好きに見ていいよ。

 書斎も書庫ももうあなたのものだ」


「ご配慮ありがとうございます」


「……あのさ」


「なんでしょう」


「その、昨日は」


「なんでしょう」


 済ました表情で見返すとぐっと旦那様は言葉に詰まったようです。ええとあのそのと意味もない言葉を連ねて。


「本」


「はい?」


「ちゃんと片付けて。悪くなる」


「……はい。直します」


 結局出てきたのは謝罪ではなく、私にとって痛いところでした。寝相が悪いわけでもありませんが、寝落ちして変なところが折れ曲がって涙したこともあります。

 気落ちしますね。これはやはり、読んだ後片づけてくれる方を募集すればよいのでしょうか。


「あの、旦那様」


「な、なに!?」


「旦那様が片付けてくださってもいいんですよ?」


「それは寝室に入っていいってこと?」


「ええ、旦那様ですし」


「できるかっ!」


 しばしの沈黙の後、立ち上がって叫ぶくらいに拒否されました。おやおや、面白い。

 まあ、悪趣味なからかいはこのくらいにしておいたほうが無難でしょう。


「では自分でがんばります」


「……そうしてくれ」


 旦那様は疲れたようにどさっと椅子に座りなおして、読んでいた本を手に取りました。

 仕事の本か書類の束かと思っていれば普通の本でした。平易な文で読みやすい冒険譚として子供向けに人気な一冊です。


「ジャカースの冒険ですか」


「悪い?」


「私も好きですよ。続巻をお持ちでなければお貸いたします」


「揃っているからいい。

 先の話とか、絶対、絶対にっ! 言わない」


「そこまでいじわるはしませんよ。これでも読書家のはしくれです。

 ネタバレは大罪です」


 従兄に楽しみにしていた本の結末を言われて以来のトラウマです。5歳くらいの出来事らしいのですが、未だに許せません。


「そう。わかってくれたならいい。

 しばらくは誰も来ないはずだから好きに探して。僕の主観が入らないほうがいいだろうし」


「わかりました。ありがとうございます」


「……べ、べつに」


 機嫌悪そうにそういうと旦那様は本に視線を落としました。邪魔はしないほうが良いでしょう。

 私はいくつかの書類に目星をつけて部屋に持ち帰ることにしました。ちょうど、旦那様の補佐をしている方たちもやってきたところですし。


「では、また」


 一応、声をかけたんですが、返答はありませんでした。

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