第12話

 ここ数日傍にあった温もりが無くなって、いまいちぐっすり眠れないまま朝を迎えた。

 テオドールからは十時には迎えに行くと言われているので、顔を洗って服に着替えてから向かった食堂で、レベッカは信じられない経験をする。


「おはようございます、レベッカさん。良い朝ですね」

「レベッカさん! よかった、行ってしまう前にお会いしたかったんです!」


 数人の聖女たちに囲まれたのだ。しかもそのほとんどが、いつもレ悪口を言っていた貴族出身の聖女だった。

 その聖女たちの顔には友好的な笑みが浮かべられている。「寄生虫」と蔑みに満ちていた視線を投げてきた、昨日までとは大違いだ。

 彼女たちはレベッカの前に並ぶと、一斉に頭を下げた。


「レベッカさん。いままでの非礼をお詫びいたします」

「私たちはいままで、あなたのことを誤解していたようです」

「まさかアンリエッタ様があんな人だったなんて。人の神聖力を盗む泥棒だなんて思いませんでした」

「きっと先日のアンリエッタ様なのブローチの件も、あの人が嘘を吐いていたんだと思いますわ」

「ええ、ええ。それにいつも言っていましたものね、レベッカさんの陰口を」


 その言葉に、胸が重たくなる。

 アンリエッタがレベッカのことをよく思っていないのは、昨日の時点で嫌というほど身に染みていた。

 けれど、それは目の前の聖女たちも同じだ。彼女たちも普段からレベッカのことを「寄生虫」だとか言ってきたのを、忘れることはできない。


「レベッカさんの神聖力はとても強力だと聞きます。だから大魔法使い様の最愛に選ばれたのですよね?」

「羨ましいですわ。でも、レベッカさんなら当たり前だと思います!」


 彼女たちの謝罪に対してレベッカは何も言っていないのに、彼女たちはもう許されたかのように接してくる。いつも悪意を向けてきていたのに、顔には友好的な笑みを貼り付けている。


 その日は、食事中も食事の後も、似たようなものだった。

 とっかえひっかえ、聖女たちが謝罪と称してすり寄ってくる。

 その度にレベッカは、本心を隠す笑顔で応対した。あと少しで神殿を後にするのだから後腐れがないほうがいいと思ったのだ。



    ◇



 五歳の頃から暮らしていた部屋の中に別れを告げると、レベッカは神官に連れられて本殿にある応接間――ではなく、中庭に来ていた。

 なぜ中庭に連れてこられたのかはわからないけれど、そこにはもうすでにテオドールとベンジャミンが待っていた。


「昨日ぶりですね、レベッカさん。お会いしたいと思っていました」

「……昨日ぶりです」


 昨日会ったばかりなので特に懐かしむこともないと思ったけれど、レベッカは挨拶を返した。

 テオドールはレベッカの持っている荷物を見て、目を見開く。


「荷物はこれだけですか?」

「はい」


 レベッカの荷物はとても少ないものだった。貴族出身の聖女とは違い、平民の聖女の荷物はこんなものだ。

 テオドールは、それはもうたいそう嬉しそうに破顔した。


「それなら、これからいろいろなものを揃えないといけませんね。レベッカさんはどんな色が好きですか? 花とか、あ、好きな食べ物を聞いてこいと料理長から言われていたんでした」


 レベッカの手を握り、テオドールは跪く。


「僕はまだレベッカさんのことをなにも知りませんからね。これからいろいろ知って行きたいと思っているんですよ。レベッカさんは、どうですか?」

「私は――」


 正直まだ戸惑っている。こんな急に最愛に選ばれて――それも、大魔法使いの最愛で、戸惑わない方がおかしい。

 だった時はビスケットやクッキーしか食べなかったし、朝は弱いし、散歩は苦手だけれどレベッカの陰口をたたく聖女たちにはぶつかっていく――そんな姿に救われたりはしたけれど、まだテオドールのことはよく知らない。


 だから――。


「私もテオ様のことを知っていきたいです。好きな食べ物とか、好きな花とか、好きな色とか」

「同じですね」


 テオドールはレベッカの手の甲に口づけをすると、立ち上がった。


「それではこれから空の散歩なんていかがですか?」

「空の散歩ですか? いいですね、一度空を飛んでみたいと思っていたんです!」

「それでは参りましょう。ああ、荷物はお預かりしますね」


 レベッカの荷物を受け取ったテオドールの手の周りがほのかに瞬いたかと思うと、そこにあったはずの荷物が無くなっている。

 驚いていると、テオドールが苦笑しながら教えてくれた。


「転移魔法です。実はあの時も――その、人間の姿に戻った時も、転移魔法を使って自宅のクローゼットから服を召喚してたんですよ」

「すごいです! だったら瞬間移動とかもできますか?」

「もちろんですよ。なんといっても僕は大魔法使いなんですから!」


 魔法は大得意です、と握りこぶしを作っているテオドールの瞳がとてもキラキラしていて――なんだか犬みたいと、レベッカは思った。

 頭を撫でようとして思わず差し出した手を、テオドールが取る。

 

「それでは空の旅に参りましょうか」

「はい!」


 テオドールは繋いでいない方の手をレベッカの腰に回す。そのふたりの周りがほのかに輝いたとき、神官と話していたベンジャミンの悲痛な声が響いた。


「テオドール様、なにをしているんですか!」

「空の旅に行ってきます。ベンジャミンはそのまま仕事場に行ってくださいね」

「いや、そうじゃなくって!」


 レベッカの体が地面から少し浮き上がる。体が軽くなる浮遊感に感動をしていたのも束の間、なぜか全身が一気に重くなった。あ、と思ったときには重力に逆らうことなくレベッカはの体は寝転がるように地面に落ちてしまい、青空を見上げていた。


「ああ、もう言わんこっちゃない。レベッカちゃん大丈夫? 怪我してない?」


 もしかして魔法が失敗した? 

 事実、失敗していた。のちにベンジャミンから聞かされた話なのだけれど、人間の姿に戻ったテオドールは、昨日レベッカと別れた後も、ひっきりなしに魔法を使っていたらしい。まだ人間に戻ったばかりで、魔力が安定していないのにかかわらずだ。


 ベンジャミンはずっと懸念していて、テオドールに「魔法はほどほどにしてくださいね」と口酸っぱく言っていたのに、浮遊魔法という高度な魔法を使おうとしたことにより、テオドールはまた獣化したのだ。


 寝ころぶレベッカの元に、長い銀色の毛の犬――いや、狼が近づいてくる。その体の大きさはレベッカと同じぐらいだった。

 鼻先を長い毛が通り過ぎて、くすぐったい。近くにきた銀狼は、まるで謝るかのようにレベッカの手をペロペロと舐めた。


 その姿に、レベッカは悲鳴を上げた。


「か、かわいい!!」


 体を起こすと、銀色の狼に抱き着く。本当にはこの姿を見た時から、全身の毛を味わい尽くしたいと思っていたのだ。その毛に埋もれて寝ていた時もとても至福だった。


 だから銀狼が大魔法使いだということも忘れて、レベッカはモフモフを堪能した。


 そしてハッと我に返った時には、もう遅かった。

 銀狼が恥ずかしいのかレベッカから大きく顔を逸らしている。ベンジャミンと神官も、目を点にしていた。


 レベッカはコホンと咳ばらいをすると、芝生の上から立ち上がる。


「て、テオお家に帰るよ」

「……えっと、レベッカちゃん? そっちは離宮だよ?」

「だって、テオ様の家、知らないし」

「うん。じゃあ、いまから案内するよ。テオドール様もいいですよね?」


 そっぽを向いたままの銀狼が、顎を下げる。その銀色が少し赤くなっているような気がした。


 


【完】

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落ちこぼれ聖女の私が、わんこ系大魔法使いの最愛になりました。 槙村まき @maki-shimotuki

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