第5話
「おはよう、レベッカ。今日もよろしくね」
翌日の早朝、アンリエッタの部屋に入ると、いつも通りの彼女がいた。
寝間着姿でも、すっぴんでも可愛らしいアンリエッタの姿に、レベッカは少し嬉しくなる。
昨日のことは杞憂だったのだろう。きっと急いでいたのだ。
はい! と元気良く返事をするレベッカに、アンリエッタが優美に微笑む。
そのあとアンリエッタのメイドと一緒に、テキパキと彼女の用意を済ませると、ふぅーとレベッカは息を吐いた。
「じゃあ、行ってくるわね。あ、そうだ今日はあなたもついてきて」
アンリエッタは部屋に残ろうとしたメイドを指さす。
「ちょっとお願いしたいことがあるの。それからレベッカ、わたくしが帰ってくるまで少し待っていてくれるかしら。部屋には貴重品とかもあるもの、誰もいないと心配だわ」
「わかりました!」
聖女の白い衣装を美しく着こなしているアンリエッタを見送る。
部屋にひとり取り残されたレベッカは手持ち無沙汰になり、虚空を仰ぐ。
聖女の部屋はどこも同じ広さは同じだけれど、部屋の内装は聖女それぞれ違っていた。
五歳の頃から成人になるまで暮らす部屋なので、各自好きに部屋の内装を変えたりしているのだろう。
レベッカの部屋は五歳の頃から変わっていない。アンリエッタの部屋は貴族の令嬢らしく、装飾品などで飾り立てられている。
なにもすることなく暇だと手が疼いてしまう。掃除したいけれど、部屋の中のものを壊してしまうとレベッカに弁償はできないし……。
うーんと唸りながらも、レベッカはなんとか衝動を押さえつけて、アンリエッタの帰りをじっと待つことにした。
◇
レベッカが自分の部屋に戻ると、テオはまだ寝ていた。
そのテオの体がピクリと動く。
「テオ、朝だよー!」
体を揺すって起こすと、くーんと悲しげな声を上げながら起きたテオが、掌に鼻を押し付けてきた。その目はどこかぼんやりとしているようで、まだ覚醒には至っていないみたいだ。
いつもより少し遅い食事だけれど、クッキーをあげるとちまちまと食べ始めた。
クッキーを食べ終わった頃を見計らってポーションの瓶を出すと、テオの動きが止まる。犬だから正確な表情はわからないけれど、どこか眉を潜めているようでもあった。
「これ、ベンジャミンさんからもらったんだけど、飲む? クッキーにかければいいかな」
テオが思いっきり首を振っている。人間の言葉がわかるわけがないけれど、クッキーにポーションをかけるのはお気に召さないらしい。
瓶のままだと飲みづらいだろうし……。
レベッカは皿にポーションを注ぐと、それをテオの前に置いた。
テオは恐るおそるといった様子で、ポーションを舐めはじめる。
「ポーションって、美味しいのかな?」
傷薬や栄養剤として使われるポーションは、とても高価で平民には手が出せない代物だ。レベッカも飲んだことがないので、味がわからない。
高価なポーションを与えるほど、ベンジャミンはテオを大切にしているのだろう。
テオは渋々と言った様子で、ポーションを舐めていた。
◇◆◇
騒ぎが起こったのは、夕食前だった。
聖女たちが暮らす離宮での食事は、離宮の食堂でとることが決められている。食事の時間も決まっていて、朝昼晩と食堂が解放されている間に、食事をとるのが鉄則だ。
廊下で悲鳴を聞いたとき、レベッカは食堂に向かっている途中だった。テオにはミルクとビスケットを与えたし、次は自分のお腹を満たす番で、うきうきとしながら食堂に向かっていたからその悲鳴を聞いてビクッと飛び上がってしまった。
「どうして……っ。ない、ないわ。どこに行ってしまったの?」
通りがかったばかりの部屋の中から聞こえてくるようだ。
しかもこの部屋はアンリエッタの部屋。声も彼女のモノだった。
「どうしました?」
部屋を覗くと、ゾクッと背筋が凍った。たまたまだと思うけれど、部屋の中にいる三人の瞳が一斉にレベッカに向いたからだ。
部屋の中に入ってきたのがレベッカだと気づいたアンリエッタが表情を和らげる。
近づいてきたアンリエッタは、いまにも泣きだしそうな顔をしていた。
「レベッカ、聞いてちょうだい。たしかに朝まであったはずなの……あったはずなのに」
ここまで取り乱しているアンリエッタは初めてみる。
「落ち着いてください。なにがあったんですか?」
「あの、あのね。前にレベッカに見せたブローチがあったでしょう」
「ブローチ?」
「おばあ様の形見のブローチよ。大きなルビーが嵌っているの」
おばあさまの形見のブローチ。
たしかに、まえにアンリエッタからそのブローチを見せてもらったことがあった。赤いルビーがキラキラと輝いていてうっとりとするほど綺麗だったから、よく憶えている。
「そのブローチが、なくなったのよ」
アンリエッタが言うには、今朝まで確かにあったらしい。だけど、夕食前にそのブローチを見ようとしたら、いつも保管していたところから消えていたのだそうだ。
「私がいけなかったのよ。宝石箱にしまって、きちんと鍵をかけていれば、盗まれることなんてなかったのに」
「盗まれたのですか?」
「ええ。きっとそうよ。宝石がひとりでトコトコと歩いて行くわけがないでしょう?」
それもそうだ。でも、いったい誰が?
首を捻っていると、アンリエッタに名前で呼ばれる。
「そういえばレベッカ。朝、部屋の中にひとりだったわよね」
その言葉に、なぜだが胸騒ぎがする。
確かに今朝、アンリエッタを見送った後に部屋の中で待っているように言われた。
だけど部屋のなかの物に、無断で触れたりなどしていない。
「ち、違うのよ。疑っているわけではないの。……でも、確証がほしくて」
「確証、ですか?」
「ええ。親友のあなたが、そんなことするわけないとはわかっているの。レベッカのことは信用しているから、絶対にありえないって。……でも」
アンリエッタの声はいまにも消え入りそうだった。潤んだ目で見られて、レベッカの良心が痛む。少しでも彼女の気が晴れるのであれば、力になってあげたい。
「わかりました。アンリエッタ様の気が済むまで、私の部屋を調べてください」
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