第4話
神官に呼び出されて応接間に赴くと、そこにはベンジャミンがいた。
「テオはどう? 元気にしている……ようだね」
テオはベンジャミンの姿を見つけると、一目散に向かってお腹にダイブする。テオを預かってからまだ五日しか経っていないけれど、飼い主が恋しいんだろうな、とレベッカは微笑ましく眺めていた。その実は、ベンジャミンがテオから攻撃を受けていただけだったのだけれど。
「用事はいいんですか?」
「いや、今日はテオの様子を見に寄っただけなんだ。だからもう少しだけ、テオの面倒を頼むよ」
「もちろんです!」
食い気味に答える。犬っぽくない犬だけれど、それでもテオの面倒を見るのはここ数日の楽しみになっていた。
いなくなるのは寂しいと思っていたので、ベンジャミンに言葉に安堵する自分がいる。
「あの、ところでテオのことなのですが、少し気になることがあるのですが」
テオはひとしきりベンジャミンにじゃれつくと、レベッカのもとに戻ってきた。
「テオなんですけれど……いま、成長期ですか?」
「え?」
ベンジャミンの目が丸くなる。
「あの、この間引き取った時よりも、大きくなっているような気がして」
最初に出会った頃は腕にすっぽり収まるほどの子犬ぐらいのサイズだった。
けれど、あれから成長して、いまではすっかり中型犬ぐらいになっている。毛のふわふわ感は前よりも上がっていて、顔を擦り付けるのにとても最適だけれど、いくらなんでも成長のスピードが速すぎる。
犬ってこんなに早く成長するんだっけ? と首を傾げてしまうほどに。
「ああ、そうだね。いまテオは絶賛成長期だから……その、まだもう少し大きくなると思うよ」
「え、まだ大きくなるんですか!?」
テオの犬種はいったいなんだろう。銀色で毛はふさふさとしていて、もう少し大きくなるということはゴールデンレトリバーとかの大型犬だろうか。
「うん。あ、でも建物内には入りきる大きさだから、その点は心配しないでね」
「え、建物内に?」
いくら神殿の建物は本殿も離宮も快適に暮らせるように広く作られているのに。
いったいテオは、どれだけ大きくなるんだろうか?
「そうそう、これは追加のクッキーとビスケットだよ」
「ありがとうございます。……でも、これだと栄養が偏りませんか?」
「そういうと思って、ポーションも用意しておいたんだ。これにはひと――犬の成長に良い栄養が入っていてね、一日ひと瓶だけで一日の栄養が摂れるですか?」
「もちろん。テオにはこれが必要だと思うからさ」
「わあ、ありがとうございます。ベンジャミンさんはテオを大切にしているんですね」
「も、もちろん。なんていったって、テオは大切な師――家族だからさ!」
口ごもりながらも、ベンジャミンは温かみのある笑顔で答えた。
家族。五歳の頃から一度も会えていない家族のことを思い出す。弟や妹は元気で過ごしているだろうか。両親は相変わらずだろう。
聖女に選ばれるとその家庭に毎年報奨金が支払われる。それは聖女の働きにより上下して、神聖力の少ないレベッカの家には少額しか振り込まれていないはずだ。それでも平民にとっては大金なので、普通に生活をするぶんには困らないはず。
十年の月日は長いようで、あっという間だった。
「レベッカちゃん、どうしたの?」
懐かしいことを思い出していて、ついぼんやりしてしまったからだろう。ベンジャミンの言葉で我に返る。
「……すみません。家族のことを思い出していました」
「そうか。五歳の頃から、ずっと会えていないんだもんね。……家族に会いたい?」
ベンジャミンの問いかけに、迷わず首を振る。
「いえ。もうあれから十年も過ぎていますから。妹や弟も私のことは憶えてないと思います」
「でも、ご両親には会いたいんじゃないの?」
「両親は――」
ぐっと堪えるように、首を振る。
「会いたいとは思いません」
「そうかー。まあ、家族といっても、いろいろあるだろうね」
そう呟くベンジャミンは、どこか遠くを見ているようだった。
足元に温もりを感じて見下ろすと、テオが体を擦り付けてきている。まるで、自分がいるぞ、と言っているかのようだった。
「うん。いまは、テオが家族みたいなものだよね」
いままでの生活は忘れて、神殿を家だと思って暮らすように。
神殿に入ってからすぐに神官から伝えられた言葉だ。
貴族の娘ならともかく、平民のほとんどが帰る家のない――あっても、貧しい家庭が多かったので、当時のレベッカも神殿を家だと思って暮らしていこうと心に決めていた。
そんなたった五歳の少女だったレベッカも、それからしばらくして神聖力を失うと、周りから蔑みや憐れみの視線に見られて、居心地の悪い思いしかしなくなった。
唯一アンリエッタと一緒にいるときは安心できたけれど、それでも家族というよりも友達でしかない。
でもいまは毎日テオと一緒にいる。預かっているだけだけれど、ここ数日はいままでの重みを感じない日々だった。
「――って、ごめんなさい、ベンジャミンさん。テオは、ベンジャミンさんの家族なのに」
「いやいや、良いよ。テオも家族だって言われて喜んでいるはずさ」
しゃがんでテオと視線を合わせる。長い銀色の毛の中に掌を吸い込ませるように撫でる。
「ベンジャミンさんのもとに戻るまででいいから、家族になってくれる?」
もちろんだと、テオの瞳がそう伝えてくるようだった。
◇
「悪いね、レベッカちゃん。帰りも付き合ってもらっちゃって」
「いえ。テオも家族と離れるのは寂しいでしょうから」
魔法使いは神殿では貴賓扱いになる。王宮魔法使いなのであればなおのこと。だから本来ならベンジャミンの帰りを見送るのは神官の役目でもあった。
だけど神官が急遽呼び出しを受けて、レベッカが替わりに見送ることになったのだ。ベンジャミンがそれを望んだこともあるけれど。
因みにテオは見送っている間、他の聖女に迷惑をかけるわけにいかないので、応接間で待ってもらっている。不服そうに鼻を鳴らしていたけれど、聖女だけならともかく多くの人が行きかうところで他の人間に飛びかかられるのは困る。ベンジャミンにそれとなくテオの行動について話してみたが、彼もそんな行動をする理由がわからないと苦笑いをしながら答えた。
軽い雑談を交わしながら歩いていると、前方からメイドを一人連れたアンリエッタが歩いてきた。目が合うと、アンリエッタの水晶のような水色の瞳が大きくなる。
「レベッカ。それに、その制服は王宮魔法使いの方ですか?」
「ベンジャミンと申します」
「わたくしはアンリエッタ・シーウェルです。よろしくお願いします、ベンジャミン様」
「シーウェルといえば伯爵家だ。ということは、あなたが筆頭聖女ですか?」
「ええ、そうですわ」
白い聖女の衣装の裾を掴み、お辞儀をするアンリエッタは、まさに貴族令嬢の様な振る舞いだった。ウェーブのかかった金髪に、水晶のような水色の瞳。笑みを浮かべたら、年頃の少年ならその頬を染めるだろう。
だがベンジャミンには効いていないみたいだ。
代わりにレベッカにとてもよく効いた。
やはりアンリエッタ様は美しい。レベッカが惚れ直していると、その水晶のような瞳がじーと自分に向けられていることに気づく。
「アンリエッタ様?」
「……レベッカ、言いにくいのだけれど、隠していることないかしら?」
「隠していることですか? 特に、ないですよ」
なにかを秘密にするようなものをレベッカは持ち合わせていない。テオのこともアンリエッタには伝えてあるし、いったいどういう意味なんだろう。
「そう。ごめんなさい。わたくしは神官様に呼ばれているのでもう行くわね」
神官に呼び出されているということは、魔法使いと会うのだろうか?
聖女は――特に神聖力の高い聖女は、定期的に魔法使いにあって、最愛を探す。
現在の筆頭聖女のアンリエッタも、レベッカと同じで十五歳だ。神聖力が雀の涙ほどしかないレベッカと違って、そろそろ最愛が見つかってもおかしくない歳。
「ベンジャミン様も、ごきげんよう」
「こちらこそ」
アンリエッタはいそいそと、その場を後にした。
その後ろ姿が、どこか遠く感じた。
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