鳥は悪意か
おはこんばんにちは。
山の日。祝日。今日もネタバレ大盛りでよろしくお願いします。
さて、塔の中には人間と可愛いわらわら達の他に、恐ろしい住人たちがいます。
ペリカンにインコ、そしてアオサギ。
ただの鳥たちではありません。
人語を操り、文明を築き、主人公たちに襲い掛かってきます。
怖いです。
塔の中では、殺生が許される者と許されない者が存在します。
鳥は前者、許される者達です。
ペリカンはわらわらを食べ、インコは人間を食べます。
自分は、鳥=悪意だと考えます。
命を取る側は、取られる側からすると悪意を持った存在です。
生きるために仕方がない、なんて理由は食べられる側からは関係の無い話です。だって死んでしまうから。
塔の中では、殺生を許される条件は生きていることだと思います。だからペリカンはわらわらを食べ、インコは人間を食べるのです。それは、キリコや眞人が魚を食べるのと同じだと思います。
自然はそうやって循環し、保たれるものです。
本来であれば、(大叔父様の計画では)そのバランスは保たれるはずだったのではないでしょうか。
しかし、どこかで崩れ、海の魚は減り、鳥は増殖した。
ペリカンが生まれるはずの命を食べ、インコが増殖し続けることで加速度的に世界は崩壊へと向かったのだと思います。
大叔父様が世界の崩壊を悪意のせいだと考えたことも納得できます。
しかし、本当にそうでしょうか。
本当に悪意のせいで世界は崩れたのでしょうか。
悪意がなければ世界は崩れないのでしょうか。
私はそうは思いません。
鳥という悪意は必要だったと思います。
眞人の傷もまた、自己保身の為の悪意だと言えるでしょう。傷をつけて帰れば、父が学校に乗り込むことも、同級生がどういった立場になるかもすべて分かった上での行為だったと思います。
人間は誰しも悪意を持っています。
それは消すことができないと思います。
悪意とは自己を優先し、生きるために必要なことだとだからです。他者にパンを配り続ければ自分は飢えて死んでしまいます。
ただ、行き過ぎた悪意が破滅を呼ぶことは歴史から想像に難くありません。
戦争のように大勢を巻き込み、無意味に命を奪う悪意は許されるものではありません。インコは塔の中で増え続けた結果、外の世界へ手をかけようとしました。行き過ぎた悪意は文明を破壊し、自分たちが生きている世界自体を壊してしまいました。
その点、眞人は上手く折り合いをつけたように思います。
自分の中の悪意を認識し、思考し、受け入れました。
見て見ぬふりをして無意識に振り回す方が簡単ですが、付き合っていくことを選びました。だからこそ、ナツコやアオサギのことも受け入れられたのだと思います。
自身の弱い部分を知ることは、他者と共存する上で、最低限必要なことだと思います。(大人になると特に)
悪意という弱点から逃げようとした大叔父様と向き合った眞人。
どちらが正しいかは分かりません。
ただ、未来へ向けて踏み出せたのは眞人だと、私は思います。
>>>next 印象に残ったシーン
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