咲かない花に種子はつかない

中等生

咲かない花に種子はつかない

 花屋の客には必ず恋人がいる。偏見だが事実だと、僕は思っている。

 今日はクラスメイトの女子がやって来た。その子は前々から僕が気になっていた子だったのだが、彼女はドライフラワーのアクセサリーを一つ購入すると、嬉しそうに帰っていった。

 あれは僕が作った自慢の作品の一つだった。それを選んでくれたことはとても嬉しかったのだが、あの横顔は単に良いモノを見つけた時の表情とか、そういうものではなかった。見せたい人がいる人特有の、幸せそうな横顔だった。

 ここに来る人々は皆、必ず自分以外の人のことを考えている。花を手に取った時の頬の動き、花弁を見つめる時の瞳。そのどれもに、迷いと期待がある。無感情で花を見つめる人を僕は今まで見たことがなかった。

 ある日、一人の少女がウチの花屋にやって来た。彼女は桶に浸かった花や、ドライフラワ―のアクセサリーをじっくりと見た後、何も手に取らずに帰っていった。僕はその時、桶の水を変えたりしていたのだが、彼女の顔を見た瞬間、強烈な違和感に襲われた。

 花を見る彼女の顔に、おおよそ感情といえるものが映っていなかったからである。

 あくる日もまた、彼女はやって来て花を見つめていた。失恋をした女性が傷心を癒すために花を買うことは珍しいことではない。そういう人は大抵、疲れ切った表情か、反対に無機質な、人為的に作り出した無感情さが滲んでいる。しかし、花を見る彼女の顔にはそのような様子も一切感じさせなかった。何のために見ているのか、誰のために見ているのか、自分のために来ているのか。わずかばかりの手がかりも、僕は得ることができなかった。

 そこで僕は、いつも店の奥にいる店長にこの話をしてから、彼女の姿を一度見て欲しいと頼んだ。翌日、相変わらず無表情のまま花を見つめる彼女の姿を見ると、店長は一言、「あーね」とだけ言って、すぐに店の奥に引っ込んでいった。仕事終わりに店長の元へ行くと、業務連絡の最後に、店長は「あれは蝶々だよ」とだけ言って、花束作りを再開した。

 あくる日も、そのまたあくる日も。彼女は花屋に来て、花を見つめ続けた。感情に起伏がなく、当然ながら声も聞いたことがないので、僕は段々、彼女が本当に蝶々の生まれ変わりなのではと思い始めていた。

 僕と彼女が初めて会話したのは六月の頭。梅雨に入り、突発的な豪雨に見舞われることが多くなった頃のことだった。その日もまた彼女はここへやって来ていた。

 湿気が酷く、湿度調整に難儀していたところ、急にゴロゴロという音と共に大量の雨粒が降り注いできた。僕は急いで隣接している店長の家の窓を閉めに行き、それから外に出していた桶などを店の中へ入れていると、横で小さく「あ……」と消え入るような声が聞こえた。

 振り返ると、あの少女が傘立てを見つめたまま黙って立ち尽くしていた。

(傘盗られたのか)

 不憫に思った僕は一旦店内に戻ると、自分の傘を掴んで入口に走った。

「あの、良かったら使ってください」

 僕がそう言って差し出すと、それまで傘立てに向けられた彼女の瞳が初めてこちらを向いた。

「え……」

 その時初めて彼女の顔に、人間らしい鮮やかな表情が現れた。僕はそれまで彼女を妖怪とかそんな人間離れした存在のように感じていたのだが、感情という人間味を得た瞬間、急に彼女に愛着のような、そんな親しみを抱いたのだった。

「気にしないで下さい。雨酷いんで」

 僕が何度もそう言うと、彼女も仕方ないと思ったのか、おずおずと傘を手に取ると申し訳なさそうに開いて駅の方へ歩いて行った。

 二回目の会話は、彼女に傘を返してもらった時だった。

「あの……ありがとうございました」

 彼女は店に来ると、レジ前に居た僕に真っ先に向かって傘を渡してきた。

「あ、いえいえ」

 笑顔のままそう答えると彼女は小さく一礼して、またいつも通り無表情のまま花を見始めた。先ほどまであった年相応の恥じらいや緊張といった色は、今はもうまるでない。吸い込まれそうな黒い瞳は、今度は棚の上に置かれた赤いバラの花をじっと見つめていた。

 彼女が来なくなったのは夏が過ぎた頃のことだった。花の季節が変わり始めた頃から、何となくそうなるのではないかと僕は思っていたのだが、その予想通り向日葵がちょうど枯れ始める頃に彼女はこの店を訪れなくなっていた。

「蝶々。最近来ないね」

 四葉のクローバーを小物に付けながら、店長がある日ボソッとそう呟いた。

「ええ。そうですね」

 僕がそう答えると、店長は一言「うん」と言ってから懐に手を入れると、僕に一通の手紙を投げてきた。

「? 何ですかこれ」

 手紙を取りながら店長に尋ねると、彼はクローバーをいじったまま、こちらを見ずにこう言った。

「今朝、郵便桶に入っていた。多分、君宛てだろう」

 店長から休憩をもらった僕は、隣接している彼の家に上がって封を切り、手紙を読むことにした。恐らく几帳面な人柄であろう、端正な字で綴られた手紙の内容はこんな文章で始まっていた。

『拝啓 愛しい人へ』

 その瞬間、僕はそっと手紙を閉じた。

 僕はラブレターを受け取ったことがない。けれど、僕はラブレターが嫌いだった。

 僕は遠回しに想いを伝える輩をあまり好ましくは思っていなかった。それは自分にとって良い事であれ悪い事であれ、直接言って欲しいという気持ちが強かったからだ。僕は告白をする時はいつも誰にも言わず、本人に直接伝えていた。時にそれはつまらないだの迷惑だのと、友人や告白相手の友人から言われることがあった。しかし僕はそのスタンスを曲げたくなかった。自分が嫌いな手法で、自分が恋をしている相手に関わりたくなかったからだ。

 かく言う訳で、僕は一瞬、このラブレターを読まないまま、店長の家のゴミ箱に捨てようかと考えた。しかし、書き手の気持ちを考えると、そのような行為は酷く非道なものだとも思った。ゆえに僕は再びこのラブレターを読むことにしたのである。

『拝啓 愛しい人へ

 空から吹く風も日に日に熱を失い始め、徐々に秋の近づきを感じつつあります。突然のお手紙、申し訳ございません。私は隣町に住む、小蛹(こさなぎ)という者です。

 あなたの住所も分からず、郵便桶に直接投函致しました愚行をどうかお許しください。この溢れる想いの届け方を、このような形でしか思いつかなかったのです。

 ずっと前から、あなたに恋をしております。

 私をあなたの恋人にしてください。敬具』

 手紙はそれだけで終わり、封筒の中には僕が作ったドライフラワーのアクセサリーが一つ、ポツンと入っていた。初めて読んだラブレターの感想は、嬉しさとか、そういう明るいものではなかった。ただただ想いを一方的にぶつけられたような、他人の日記を読むような罪悪感と羞恥心が体に残るだけだった。

 しかし、内容は確かにラブレターだったが、肝心の名前がどこにもなかった。学校の靴箱と違って、想い人の郵便ポストを間違えるなんてことはないだろうから、恐らく僕か店長のどちらか宛てでポストに自ら投函したのは間違いない。だが、インターネットで全世界が見れるこの時代に、家は分かるのに住所が分からないなんてことはまずありえないだろう。そうなると、家の持ち主である店長ではなく、唯一の店員である僕にこの手紙を送るべく、花屋の郵便ポストに投函したと考えるのが自然だ。店長もそう考えて僕宛てだと判断したのだろう。

 手紙を小さく折り畳んでポケットにしまうと、僕は再び業務に取り掛かった。その日はお客がいつもよりも多く来たために仕事に奔走され、すっかりラブレターのことなど忘れていた。家に着いてエプロンを洗っていた時に、ポケットから出たくしゃくしゃになった手紙を見て、その時ようやく僕はラブレターをもらったことを思い出したのだった。

 あくる日。学校から帰って花屋に向かっていると、見覚えのある後ろ姿が僕の前を歩いていた。白いセーラー服に肩で切り揃えられた黒く艶やかな髪は、すぐさま僕の脳裏にあの少女の姿を思い出させた。

「あの!」

 肩にカバンをかけたまま走った僕は、彼女の後ろに近づくと少し大きな声で彼女に声をかけた。

「……?」

 突然呼び止められ、前を行くセーラー服の少女は不思議そうにこちらを振り返った。眠たげな二重に透き通るような白い肌。間違いなく店長に蝶々と呼ばれた、あの女子学生だった。

「すみません。これ、落とされませんでした?」

 僕はそう言って淡い紫のハンカチを差し出した。

「……あ」

 彼女は傘立ての前にいた時と同じように小さく声を漏らすと、こくん、と小さく頷いて差し出したハンカチの上に手を置いた。

「ありがとう、ございます」

 ぎこちなくお礼を言った後、カバンにハンカチをしまった彼女だったが、すぐに立ち去ろうとはせず、何やら言いたげにこちらを見上げてきた。

「? どうかしましたか」

 僕がそう尋ねると、彼女は一瞬何かを躊躇したようだったが、すぐに目を伏せて、再びその眠そうな瞼を上げて僕の方を見上げた。

「あの。あの、あの花屋の店員さんですよね」

「え? ええ」

「そ、相談なんですけど……」

 

 その後、彼氏に送る花束を店で選んだ後に、彼女は満足した表情で帰って行った。花を選んでいた時の彼女の顔には以前のような無感情さはどこにもなく、恋をする人間の、鮮やかな色を含む笑みが何度も浮かんでいた。

「久しぶりに来たね。あの子」

 彼女が帰った後、そう言いながら珍しく店長が店の奥から出てきた。

「ええ。何でも、彼氏に花を贈りたかったみたいで」

 バケツに水を入れながらそう言うと、店長は何やら深いため息をした後に、小さく背伸びをした。

「お前。どうして蝶々が花に近づくか知ってるか」

 珍しく口数の多い店長に不思議に思いながら、僕はバケツを洗ったまま適当に答えた。

「蜜を吸うためじゃないですか」

「何故蝶々は蜜を吸うんだ?」

「生きるためでしょ」

「いいや違う」

 蜜を吸うことが快楽だからだ、と煙草を吸いながら店長は答えた。

「生きるためなら蝶々は敵が近づいても花から離れようとはしないだろう。蜜を吸うことが『生きるため』に、カテゴライズされるならそれは敵に相対した時も続けるはずだ。それこそ拍動や羽ばたきのようにな。しかし彼らは蜜を吸うことを敵が来ただけで中断してしまう。中断するぐらいなら元からない方がマシだ。生物の中には生殖だけを目的とし、摂食器官を排除した生物もいる。進化の過程でそんな種がいる中、蝶々は蜜を吸うという行為を子孫に残した。それは何故か。蜜を吸うことが彼らにとって快楽だったからだよ」

「飛ばなきゃ死んでしまうでしょう。ガバガバですよ。ソレ」

「死を前にしても続けること以外を『生きるため』とは言わない、と俺は言いたいんだ」

 それを括るには「快楽」が一番だ、と店長は煙草を吸いながら言った。

「敵を前にしても腹は減る。だから腹が減るのは生きるため。しかし、敵を前にしたら飯を食うことなどできない。だから飯を食うことは快楽のため。人間も同じだ。敵を前にしても湧きあがるのは性欲。できないのは交尾だ」

「急に何ですか」

 面食らって僕がバケツから顔を上げると、心底つまらなそうな顔で店長は僕の方を見ていた。

「もう少し蜜ぐらい、吸わせてやったらどうだったんだよ」

 ふぁあ、と店長は大きな欠伸をすると、再び店の奥へと引っ込んでいった。

 

 あの日から度々、彼女は店を訪れるようになっていった。花を見る時の彼女の顔は以前のような無感情の表情ではなく、嬉々とした、色で例えるなら黄色のようなそんな顔ばかり浮かべていた。一度、彼女は彼氏さんらしい人物と来店したことがあったが、その時の顔が妙にあの傘立てで話した時の顔と似ていて、僕は一瞬、「ああ、そういうことか」とも思ったが、気にすることもなく再び業務に戻っていた。だが流石に彼氏さんが少女の名前を呼んだ時には、心臓がドキリとした。

 そういう訳で今年もまた、向日葵の枯れる季節になっていた。僕はいつも通りバケツを洗っていたのだが、今日はどういう訳か、お客が一向に来ようとはしなかった。

「来ませんね。お客さん」

 僕が店の奥にいる店長にそう言うと、店長は向日葵の種を掻きだしながらのんびりと答えた。

「ああ。少し向こうに新しい花屋ができたらしい。きっと全部吸われてるんだろうな」

「えらく呑気ですね。この店大丈夫なんですか」

 店長は俯いたままだったが、ふと手元を止めてこちらを見ると「はは」っと小さく微笑を浮かべた。

「敵がいてもこの店しかないからな」



 

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