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夏休みに入った。
生徒たちは部活や休暇を満喫しているが、教師には仕事がある。仕事といっても、書類の確認・訂正だが。加えて、あなたは部の顧問をしていないんだから、と他の先生の仕事も割り当てられてしまった。そして不幸にも私は仕事が遅い。この夏休みに休暇はとれないだろう。
驚いたことに、彼女は夏休みの間も学校に来ている。教室で、弁当を持って、ずっと学級文庫を読んでいる。時折、ノートに向かって宿題か何かをやっているようだが、基本的に、ずっと読んでいる。
追い返す正当な理由もないので、何も言わないことにした。幸運にも、補修などで校舎への生徒の出入りは多い。
流石にずっと彼女を見ていたら仕事が終わらない。できるだけ仕事に集中する。といっても書類の誤りが無いか確認するだけの仕事なので、色々と考え事をしてしまう。
一番の気掛かりは、彼女が学級文庫を読破してしまうのでは無いか、という事だった。
本棚は全部で五段。まだ八月に突入していないのにも関わらず、彼女はたったいま、上三段の全ての本を読破した。
九時から十七時まで八時間の威力は半端では無いようで、一日当たりの読書量は今までよりも飛躍的に増えていることが、本の交換に来る頻度からも分かる。
このペースなら、残りの二段も八月中に消化されてしまうだろう。
そして、この貸し借りも終わる。
自分は思ったよりもこの関係に依存している、と先日の失敗に際して気づいた。自らが選んだ本への二年間の無関心は、思ったよりも私の心を蝕んでいたらしく、彼女からの絶え間ない関心が正直、とても心地良い。
これを終わらせたくない、その思いから一時は、本を追加しようとまで考えたが、やめた。
追加する本を選んでみたのは数日前だった。選ぶ場所は当然、自宅。棚から溢れた本が玄関前までびっしりと積まれている、本のために家賃を払っているような家である。
足の踏み場に気を付けて、吟味する。彼女が気に入ってくれそうな本を探すのは、とても楽しかった。
ふと、本へ伸ばした手が止まる。
──この感情は二年前、新任で学級文庫を選んでいるときに感じたものと同じだ。
あの時も生徒に喜んでもらえるようにと、嬉々として選んでいた。その結果がどうだ?
放心しながら、選んだ本たちを眺めているとさらに自分への嫌悪が湧いてくる。その並びは明らかに恣意的で、彼女が読みたいであろう本ではなく、自分自身が彼女に読んで欲しい本が我が物顔で並んでいた。いや、本に罪は無いのだ。しかし、読み古された自己啓発本や、女性向けの恋愛小説をあの本棚に収めることは、自分には出来なかった。
結局何をしても裏目に出る。そう悟った私は、もう何もしない事にした。
こんな珍妙な本棚から手に取ってくれたことだけでも感謝するべきなのだ。潔く、彼女の読破を祝おう。そう心に決めた。
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