21:ゴースト・イン・ザ

ニール氏にとっての家族は、人格や記憶に依存するものではなく、ただ当人の認識にのみ由来する呼称だったらしい。


そうでなければ、ルキナ・カガミの脳がこうして兵器に搭載されているはずがない。


彼の言う人類種の進歩とは、人間の定義についてまるきり独断したものだ。


だが、ボクは今、人間の可能性を目の当たりにしている。




『お母さん……!』


『……久しぶり、ね』




イアナさんの呼びかけに、機体から返事が返ってくる。先ほどは無機質な合成音声として聞こえたそれも、慈愛の念を感じさせる声に変化していた。


「こんなことが、あるのか……?」




『あなたたちの……おかげよ。脅威排除プログラムを……止めてくれた……』


「……好い人だ、貴女は──。知己を得られて光栄だが──あまり話す時間はなさそうだね」


『そう……ね。すぐに……追手がくる……。私のことは構わずに……逃げ……』




声は弱々しく、今にも遠くへ旅立ってしまいそうな儚さを含有している。それでも、彼女は最後まで意思を表し続けるつもりだろう。




『イアナ……。貴女も……逃げるのよ……』


『お、母、さん……。わたしは、ここから動くことができないの』


『いいえ……貴女は動ける……。動かしてみせる……!それが、私の……勤めよ』




何を考えている……?

というか、どうやって彼女の意思が現出したんだ?さっきの攻撃で脅威排除プログラムが実行不能になったその隙を突いたのか?


いや、そもそも彼女の意思が残っていたのが驚きだ。


脳のほぼ全てを機械化された上、人格や記憶に関する部分をカットされた彼女は、言うなれば戦闘特化の生体AI……。そのはずだった。




「機能代償、か……?」


「……なんなんだ、それは?」


「人の脳は、一部が破損しても、別の部位がその役割を担うことがある。──右脳が損傷し半身不随となっても、左脳が機能を代わって再び身体を動かす、ということがあるらしい。……スミシィから聞いた話だが」


改造された脳の、わずかに残った生身の部分が引き起こした現象だろうか。


それとも、置換された機械部分が彼女の自我を修復したのか。


……ニール氏がこの結果を予測していたかは分からないが、確かなことはひとつだけある。これは、間違いなく彼女の意思が生み出した結果だ。そうあるべきだ。




『この機体の胸部には……。コアが格納されている……。開けられるのはだけだったけど……。今なら、私も……!』




機体の胸部が音を立てて変形する。分厚い装甲の向こう側に、手提げ鞄サイズのコアが見えた。


あんなもののなかに、彼女が……。


『私を、そのブリッジ端末に……接続して』


この部屋にある端末はひとつだけ。

イアナさんが囚われているソレだ。


考えている暇などなかった。彼女の意思の限界も、企業の追手も迫ってきている。残り時間の猶予は少なかった。


ボクは、コアを機体から外した。


「……何をするつもりなんだ、母さん」


返答はない。コアにはスピーカーもマイクも備わっていないから、おそらく聞こえていない。ただ、生体反応を示す青いランプが点滅するだけだ。




「──キミがやるべきだろう。クラヴィス君。──母君の願いを、叶えてやったらどうだい?」


「あ、ああ……」




父によって裂かれた母娘の絆は、息子によって再び撚り合わせられた。コアとブリッジの接続が済むと、しばらくの間、静かな空気の中にボクたちは佇んでいた。




彼女は、おそらく……。




『お母さん……!ずるい、ずるいよ、そんなの……!』




コアの生体反応が弱まっている。




『イ──アナ……。貴女には──弟と……新しい──友人が──』




ルキナさんだ。彼女の娘と同じ場所にいる。


声はブリッジ端末のスピーカーから。今にも消えてしまいそうな響きを奏でる。羽虫のようなノイズに圧されながらも、人間の、ヒトとしての命の輝きを、放っていた。




『お母、さん……?』




『貴女には──新しい身体が……。少し狭い──けど……。それ──で……。貴女──は……自由──に──生き……』




コアの生体反応が消失した。

脳機能が完全に停止したのだ。


奇妙な確信があった。


彼女が何を為そうとしていたのか、ボクには、なんとなく察しがついてしまっていた。ボクが好いと感じるひとはいつもそうなんだ。他人のために自らの命を投げ打ってでも行動で切る気高さを持っている。




「……イアナさん。貴女を動かしても構わないだろうか?」


『……』


「例の機密保護プログラムは、無効化されたんだろう?」


『お母さんが、代わりに……。保護プログラムの執行先を変更して、それで……!』




やはりか。


イアナさんを縛っていたプログラムの対象を変え、身代わりとしてシステムに排除される。それが、母君の最期の意思だった。


既に元の形を失っていたはずのルキナ・カガミの脳から、人間として、母としての意思が湧出したのだ。それなりのロマンチストを自負するボクに言わせてもらえば、これこそが魂、というヤツかもしれない。ゴースト・イン・ザ・マシーン機械の中の幽霊。皮肉でもなんでもなく、文字通りにそうとしか言いようがない。




「それじゃ、クラヴィス君。──姉君を助けてやれ」


「ああ……」


クラヴィス君がブリッジ端末の付近を探すと、先ほどのコアと似たような形状の物体が見つかった。おそらく同じ規格なのだろう。これが……。




「──やるべきことは、分かっているだろう?」


「……ああ。姉貴のために、母さんが命張ってくれたんだ。もう迷わないさ」




バカ正直なクラヴィス君がそう言うのだから、やはり、迷いはないのだろう。凄まじい胆力だ。いちいち死者を弔う暇がないこの世界だが、彼はそのことを理解した上で、然るべき時に弔意を表す。


彼はコアを携え、先ほどまでルキナ・カガミの肉体として動作していた機体に近づいた。


母の願いによって牢獄から解き放たれた娘が、母の想いと一体になる。皮肉にも、人間性を捨て去ることで進化を目指したニール氏の目的地への道が、他ならぬ人間性によって拓かれた。


屍のようだった金属の塊に、再び光が宿る。




『……不思議な、感覚』


「ヒトの身体とはだいぶ勝手が違うだろうが──ひとまずそれで脱出しなければいけない。……さて、ここでの目的は全て果たした。行こうか」




『待って。さっきの攻撃で、排熱部の調子が悪くなってる。このままだと熱暴走オーバーヒートしちゃう、けど……』


阿修羅のように取り付けられていた武装が、腕ごとパージされる。身軽になった機体なら、熱暴走の心配はなさそうだ。




「そろそろ下の連中も追い付いてくる。ボクたちの出口はその窓だ。……イアナさん。ちょっと頼みがあるんだが」


ボクの意図を伝えるのに、言葉は不要だった。




『ええ。二人とも、しっかり掴まってね?』




久方ぶりの外の空気だ。

サイト2で最も高いビル。そのさらに上をボクたちは飛んでいる。




軽い方が高く飛べる。


彼女の人生は、普通とは言い難いものだったが、これから自由に埋められる余白がある。


クラヴィス君も、先ほどから見えた眉間の皺がすっかりなくなっている。


……腕が吹き飛んだ甲斐があるというものだ。









その日、サイト2は混乱の渦に飲み込まれた。大企業の崩壊、街中に響く轟音。そして上空を舞う謎の機械。




それが新たな動乱の幕開けであることを、まだ誰も知らなかった……。




……なんてのは勘弁願いたい。


なにせ、今日は随分と苦労した。全身が焦げ付いてるし、腕も片方吹っ飛んでる。


しばらくは、ゆっくりしよう。


新たな友も得た。こういう日は酒が美味い。

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