13:ギムレット

「姉貴が、生きて……?ッお前、よくもそんなことを……!」


「……生きている、という表現は、あまり適切ではないかもしれません」


「は……?」




「社内でもごく一部のものしか知らない機密事項です。現CEOの娘、クラヴィス様の姉であるイアナ・カガミ様は……」




それから彼女が語ったいくつかの事実は、クラヴィス君にとってはあまりに屈辱的かつ、沸騰したヘドロのような憎悪の念を抱かせるに足るものだった。









イアナ・カガミは生きている。

だが、彼女の肉体はどこにも存在しない。


彼女は生かされている。機械の中の魂として。


「幹部クラスの社員にしか知らされていませんが、事実です。イアナ様は……。正確には、イアナ様のは生きています」




酷たらしい言い回しだが、そうとしか言い表せないのだから仕方がない。イアナ・カガミは身体を失った状態で無理矢理この世に繋ぎ止められているらしい。


「姉貴が、そんな……」


「クラヴィス様は、MP社の事業をご存知ですか?」


「……義体だろ。他に何かやってたか?」


「はい。MP社は居住区管理などの業務に用いる補助AIの開発も行っています。最近MP社で開発されたニューラルネットワーク技術は、実際のところ……人間の脳をそのまま機械に繋ぐ技術なんです」


それはAIじゃなく、ただのIでは?


「あぁ、つまり、こういうことかい?人間の脳を奴隷のように働かせてる、と」


「はい。人間の脳に似せたAIを新たに開発するよりも、脳をそのまま電子回路に繋ぐ方が簡単ですから……」


大戦以前は、ほぼ人間の脳と同等の思考能力を持ったAIが存在していたらしいが、生憎と今はもうない。いや、正確には、


じゃあ、どこにあるかって?

それは愚問だろう。


シングは完全な無機物だが、社会性を持つ生物のような振る舞いを見せる。ヤツらの悍ましい鳴き声も、人間に理解できないよう工夫されたシングの言語だ。


AIの知能水準を人間の脳を基準に表すのは難しい。ポケットに収まるサイズのブリッジ端末は、ボクよりも素早く暗算が出来る。だがボクのように手足を動かしたり、グラスを呷りつつ酒場の喧騒に耳を傾けたりはできない。知能のベクトルが違う。


ヤツらが厄介なのは、その両方のタイプの知能を有しているからである。




「……お前ッ、姉貴のこと嘯いて、オレを騙くらかすつもりじゃないだろうな!」


「クラヴィス君、落ち着きたまえ。ボクたちは既に予想以上の成果を得たんだ。苦悩するのは家に帰って一杯飲んでからでも遅くない。どのみちMP社には行くんだ。真実はキミ自身の目で確かめられる!」


彼の刀を持つ手が震えている。気持ちは分からないでもない。スラム育ちのボクでも、家族という存在の重みは知っている。ボクにとっては……あのひとがそうだった。


「……お前、知ってることはそれだけか?」


「はい」


「ウソじゃないだろうな?」


「はい。……姉に誓って」


随分なシスコンだな。あからさますぎるが、信用しても大丈夫なのだろうか?大丈夫か、可愛いし。そもそも、詐欺を仕掛けるときはまず女の子からオトす主義のボクが、女の子のウソを見抜けないはずもない。


それよりも、クラヴィス君の精神状態が心配だ。




「キミ、先に帰ってもいいぞ。後始末はボクがやっておく。まずは落ち着け」


「……悪い、そうさせてもらう」




クラヴィス君は素直にこの場を立ち去った。こればっかりは仕方がない。そのうち酒でも奢ってやるか。

奢る金がないから借りるか。クラヴィス君から。


……さて、どうしてくれよう。

言うまでもないが、姉妹二人をこのまま放置するわけにはいかない。


「それじゃ、キミたちにはしばらく……。監禁されてもらおうかな」


「ッ……!」


「そう顔を強張らせなくていい。もちろん、お二方の怒った顔も美しいが。安心してくれたまえ、ボクはキミたちを今さら痛めつけたりしないさ」


妹の方……ヒルドは比較的素直だ。姉を持つ者同士、クラヴィス君に思うところもあったのだろう。


姉のカーラの瞳からは依然として敵愾心が感じられる。これはいけない。おそらく、いやほぼ確実に、姉が何か面倒事を起こした場合、妹もそれに追従するからだ。


「なあ、教えてくれるかな。カーラ。キミがボクをそんな目で見る理由を。MP社の敵だからかい?それとも……」


「……」


「何か言ってくれないかい?コミュニケーションの初歩だよ、ホラ。どんな些細なことでもいい、キミの意思を知りたいんだ」




「……スラムのネズミ如きに聞かせる言葉は、生憎持ち合わせがなくってよ」


「むぅ……」


「……プッ」


これはひどい。〆に唾まで吐かれた。

ありがたいことに、顔面に命中。


「なんと、実に素晴らしいじゃないか!唾液分泌機能付きの全身義体か!なかなか豪勢な身体を使っているんだねぇキミは!」


人間の唾とは若干成分が違うソレを、ボクはカーラの目の前で舐めてやった。


「……なあ、ボクたち、仲良くやれそうじゃないか?」


「ハ、ハァ……?」


「ボクも全身義体なんだ。人体に元々備わってる機能も大体引き継いでる」


「突然なんの話を……」


「ボクはねぇ、カーラ君。正直、スラムをとことん貶すキミの態度に少しウンザリしてるんだ」


「貶されて当然でしょう?こんな掃き溜め……」


「うんうん、その通りだ。ここはクソッタレの街だし、住んでる人間も大概がクソ野郎だ。……っと、言い方が悪かったね。ボクがキミにウンザリしてるのは、スラムを貶したことじゃあない。スラムとことだ」


「……?」


「スラムにもボクのような全身義体はいるし、クラヴィス君のように正義感溢れる男もいる。美味い酒を作るバーテンダーもいれば、蚊も殺せないほどに優しい男だっている。……『人間』としてそれらを見た時に、上層民との違いは?」


「……ッ」


「ってオイ、そこで言葉に詰まっちゃダメだろう。ボクが言うのもなんだが、下層民と上層民の違いなんざ山ほどあるぞ。教養とか、財力とか……」


とはいえ、だ。


「だが、MP社のCEOがそうであるように、下層民にも上層民にも、反吐の出るクソ野郎はいるものだ。上層民のクソ野郎は無駄に金を持っているから厄介だね」


「……アナタ、結局何が言いたいの?」


「うん、そうだねェ。ええっと、スラムのことを貶したって構わない。貶されて当然の場所だからね。ただ、そこで思考を止めちゃあつまらないだろう?貶したいなら、常に情報をアップデートして最新の貶し方を模索したまえよ」


無理解はこの世で最ももったいない行為だ。それに、何かを批判するためにはそれを知り尽くす必要がある。


「あと、もう一つ。……上層民にもクズがいると知っていれば、わざわざスラムに出向かなくても手軽に人を殴れるだろう?」


「クズ?CEOは確かに冷徹な方だけど、そんなものでは決して……」


「いやぁクズだ。うん。キミが言いそうな反論をいくつか思い浮かべてみた。そうだな、例えば……。上層民と下層民の命は価値が違う、とか?倫理的に見れば明らかに間違った考えだが、経済的に見れば正しい……ようにも思える。実際のところ、どの視点から見てもニール・カガミ氏のやり方は間違っている」


受けられる教育の質の差や居住環境などのせいで、先天的な能力と後天的な能力共に差が生まれるのは事実だ。だからといって、スラムの住人を間引くのはマズい。


「ニール氏はスラムにMODを売り捌くことで、サイト5のリソースを搾取しつつ、世に混乱を招き販路を拡大することを目論んでいる……。と見るのが自然かな?コレはちといただけないねぇ。なにせ、自分で自分の首を絞めているのだから」


MODが蔓延れば治安は悪化する。

治安が悪化すれば人は減る。……難しい理屈じゃない。ただ死人が増えるだけだ。もともと治安は最悪なんだから。


人が減るとどうなる?

つまり、肉壁が減るとどうなる?


「シングが蔓延る今の時代、どんな理由があっても同族殺しは重罪だ。そこに貴賤は関係ない。共通の敵がいるだろうに、味方の足を引っ張るとはねぇ。ま、これも人間のサガか」


仮に、スラムの民の犠牲によって、優秀な未来の指導者が生まれるのであればまだマシだった。現実には、次世代に何も託そうとしない一部の富裕層がたんまり美味い汁を吸う。




というのが、スラム側の言い分。


……ボクとしては、美味い酒が飲めるのならば、なんだっていいのだが。それが飲める店はスラムにある。だからスラムの味方をする。




「あぁっと……。随分と説教臭い長話をしてしまった。だが、ボクが気になるのはひとつだけだ。カーラ、キミはなんのために生きている?」


「哲学?ちょっと、よしてよ」


「さっさと答えてくれたまえ。キミの妹さんのように」


「は?」


「さっきの、聞いてたろう?ヒルド君は『姉のために生きている』とハッキリ言ったぞ」


このご時世、生きる目的、というより、生きることが目的になっている人間も多い。ヒルド君はむしろ珍しいタイプだ。




「……わたくしもよ。生きる理由なんて、しいて言うならヒルドのためよ。それが何?」


「妹のためなら、幹部をスラムに放り込むような上司のために働くと?」


「……CEOは人を見極めるのよ。この裏事業は社外秘。実務すらも信頼のおける人間にしか任せない」


「その割にはあっさり吐いたね?」


「彼の信頼は利益によってのみ裏付けされている。……命の危機に陥ってまで会社に尽くすなんて、よく考えればバカらしいわね。そもそも、わたくしたちはスラムの住人が束になってかかってきても返り討ちにできる戦力を有していたから、命の危機なんか考慮しなくてよかったのよ。……今回の件、アナタがイレギュラーなの」


「分かってくれたかい?では、事が済むまではMP社には戻らない方がいい」


「……そうさせてもらうわ」


「ほう、潔いね」


「ウチは実力主義なのよ。わたくしも社内じゃそれなりの地位だったけど、ケンカも口論もアナタに負けたんじゃ、もうネズミ呼ばわりなんかできるわけないじゃない」


「まあ、事実として、ボクはあまり褒められた人間ではないからね。ネズミ呼びでも構わないが、もしその気があるならこう呼んでくれ。ボクはアラン。アラン・ヴァーディクトだ。よろしくカーラ」


「……よろしく、アラン」


ほうら、な?仲良くなれたじゃないか。








「ただいま。マレィ、何か作ってくれ」


「……ん。……そろそろ来ると思ってた」


「相変わらず勘が冴えてるなぁマレィ。カクテル作りの腕も最高だ」


一仕事終えた身体に染み渡るリンゴの香り。ボクはリンゴの風味が好きだから、いつもこれを飲む。ちなみに、マレィは同じ酒を作ることはしない。悪い意味ではなく、毎日客の気分に合わせて微妙に味を変えてくれるのだ。今日のは甘味がよく感じられる味わいだ。仕事終わりにピッタリ。


大戦後の世界では、コーンなどの使い道が多い野菜や果物以外は大抵が希少資源と化してしまった。農業や畜産は主にサイト4で行われており、また遺伝子改良による増産も成功しているが、その生産量はなんとか総人口を賄える程度。最下層民の街であるここサイト5では常に誰かが飢えている。……食料の供給自体は足りているはずだが、現実として略奪が起こる。欲望に際限などないのだ。


酒も、多く出回っているのは質の悪い合成酒。古き良き醸造酒などはかなり貴重だ。


……まあ、マレィは仕入れが上手だし、いくつか自家栽培している植物もあるから、こうしてボクが美味い酒にありつけているわけだが。




「……クラヴィス君は何を飲んでるんだい?」


先ほどから俯いたままグラスを呷る男に声をかける。先に帰っていい、と言ったのだが、家に帰らずここで飲んでいるとは。


「アランか。……何と言ったかな、この酒は」


「ふむ?じゃあ、ちょっと一口……」


グラスの香りを嗅いだ時点で酒の種類は察しがついたが、せっかくの機会なので一口飲んでおく。


「これはギムレットだね。古き良き名酒だ」


「……オレはそういうのに詳しくなくてな」


彼の表情は陰になっておりよく見えない。だが、ボクと目を合わせようとしないあたり、まだ心の整理がついていないのだろう。


……少し、賭けに出るか。




「ならばマレィのレシピをあらかた制覇したボクの話を聞くといい。そもそも、カクテルには色々な名前があってね。ボクが今飲んでいるのは『スノーホワイト』という。シードル……リンゴの風味がよく効いている」


「オレのは?」


「『ギムレット』。材料はジンとライムジュース。シンプルだが、刺すような味わいがある」


「へぇ……」


この酒にはちょっとした逸話がある。


「……ギムレットには早すぎる、という言葉を知ってるかい?」


「なんだ、ソレ」


「大戦前に書かれた小説の有名な一文だ。ブリッジにアーカイブが残ってるから暇なら見るといい。……有名な、別れの言葉だよ」


「……ッ」


小説の題は「長いお別れ」。

現在使われている共通語の大元になった言語で書かれているため、読むのにはさほど苦労しないだろう。


そして、ここからが重要だ。

ギムレットは単なる別れの酒ではない。


「そのお話では、ギムレットは主人公とその親友にとって、友情の証だった。二人はいつもギムレットを飲みながら友と語らった。だがある日、お別れの時がやってくる。主人公は友を偲びギムレットを一人飲む……。なんてことにはならなかった。彼は友との再会、そして変わらぬ友情を信じていたからね。つまり、ギムレットが意味するのは大切な人との別れでもあり、再会でもある」


「……本はあまり読んでこなかったな。ブリッジで読めるのか」


「暇潰しには丁度いいよ。さて、そういうわけだから、お話の結末は自分で確かめてくれたまえ。……キミと、キミの大切な人との再会を応援するよ。いつか盛大に祝杯を挙げようじゃないか」


マレィがそこまで考えて酒を出したとは思えない。レシピだって、小説のソレとはまったく違うだろう。だが彼女は酒に関して一流だ。ひょっとすると運命なんてものが介在したのかもしれないし、酒の神の気まぐれかもしれない。あるいは終始ボクのこじつけか。




いずれにせよ、クラヴィス君の顔から陰りは消えていた。

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