8:必要悪
「朝っぱらからご苦労なことだな、アラン」
「職を求めてさまよう浮浪者やゴミ箱を漁るガキどもを見ながら飲む酒は美味いねェ!彼らが豊かに幸せに暮らせるようになればもっと美味いに違いない」
「性格が良いのか悪いのかはっきりしてくれ」
「国家や都市は民の豊かさに支えられる。豊かさってのはつまり、美味い飯と良い酒のことを言う。ボクはこの掃き溜めみたいな街が豊かになってくれることを切に願ってるんだよ」
「オーケイ。性格はクソってことで変わりなしか。ま、朝っぱらから酔っ払ってるヤツがまともなわけはないしな」
「ボクは酒じゃ酔わないぞー」
「なら、アンタはどうしてクソにたかるウジ虫みたいにウニャウニャしてるんだ?」
「んー、雰囲気、といったところか。空気に酔うのもまた一興。てかキミ、かわいいな。酩酊状態をウニャウニャと呼ぶか。そうかそうか」
「やかましい!大体なァ、皆が起き出して仕事に向かう時間帯に酒飲んでる、いかにも自堕落そうなヤツが雰囲気を語るな。ほら、行くぞ」
「ったく、キミは優しさに欠けているねぇ。僕の優雅なひとときを邪魔して楽しいかい?」
「今日の朝イチからMODの出処を調査しようとか言い出したのはアンタだろ、ほら行くぞ」
なぜ過去のボクの指示に従わなければいけないのか。人は成長する生き物なのだから、今のボクが一番偉いはずなのに。
「ここ数日の調査で候補は絞れた。あとはとっ捕まえて洗いざらい吐かせるだけだ。お楽しみの時間だぜ、ほら、早く立てって」
「……今やろうと思ってたのに」
「ガキかアンタは。ハァ……。オレは先に市場に行ってる」
バーのドアの向こうへ踏み出した彼に、ボクは怠けた声で呼びかける。
「そのまま解決してくれてもいいよ〜」
「絶対来いよ、アラン。でなきゃマレィさんに言いつける」
振り向き様に彼が言った言葉は、ボクにとって死活問題であった。
「グッ、早くもこの店の力関係を把握したか」
クラヴィスを見送ったのち、ボクはグラスの底に残ったオリーブ……に似た遺伝子改良果実を齧ってから重い腰を上げた。軽量素材だから実際は軽いのだけど。
◆
「怪しいヤツの最終候補をリストアップした。足で稼いだ情報やマレィの店に流れた噂が元だから、本職の持っている情報には劣るだろうけど、今回は事足りるだろう」
「おぉ、すごいな。どうやってこんなデータを集めたんだ?」
「ああ。マレィの店はあの辺鄙な一帯では珍しくブリッジを置いてるからね」
ブリッジ。
このクソッタレな世界における数少ない希望の架け橋。
大戦以前はインターネットと呼ばれていた世界的通信網の残骸をなんとか再建したもの。転じて、接続用の端末であるブリッジノードを慣例的にそう呼ぶ。
我々を繋ぐほぼ唯一の架け橋。
義体化技術の進歩によってパーソナルデータは個人の肉体と容易に紐付けられるようになった。ブリッジに個人を認識させれば、各種手続きからポルノ探しまでなんでもできる。もちろんアーカイブに存在するのは、大戦後に生まれた情報か、比較的良好な状態でサルベージされた大戦前のわずかなデータだけだが。
ブリッジの端末は主に企業連の施設に設置されているが、個人でも所有することは可能だ。もっとも、実際に持っているのは富裕層か一部の物好きエンジニアくらいだが。マレィの店にあるのは物好きのボクが手に入れたヤツ。個人用の携帯デバイスもあるにはあるし、ボクも持ってはいるのだが、無線通信はシングのせいで混線するため、まだ復旧の目処が立っていない。現状はちょっと便利なメモ帳でしかない。
「ボクはソフトウェアよりハードウェアが専門だけど、企業連程度のセキュリティを突破できないほどバカじゃないからね。怪しいヤツの個人情報くらいは抜き取れるさ」
「バレたらマズくないか?」
「間違いなくサーチアンドデストロイされるね。だがバレなければ良い話だ。それに、ブリッジなしで捜索するとなると十倍は時間がかかる」
ハイリスクハイリターンの期待値は、どう足掻いてもボクが賭けざるを得ない状況を容易く作り出すのだ。
「というわけで、クラヴィス君も目を通してくれ」
「わかった。レナード、グレコ、ロンバルド、アレハンドロ……。噂で聞いた顔がいくつかある。裏社会のちょっとした有名人も多いな」
「ああ。MODを取り扱える商人は少ないが、彼らであれば十分あり得ると思い調査した」
「なるほど。じゃあコイツらを順番に当たって──」
「いや?違うよ?今日会うのは一人だけだ」
「……は?」
狐につままれたような顔をしているが、当然だろう。
「ブリッジに痕跡を残すようなヤツがMODを売れるわけがないだろう?幸い、ボクが目をつけた闇商人の中で、ブリッジにほとんど痕跡を残していない者を一人だけ見つけた。実在する人物である、ということ以外は何も分からない。名前すら、ね」
「そ、そうか……」
「まさかキミ、この資料に載ってるバカどもを相手する気でいたのかい?面白い冗談だ。彼らなどザコだ。ボクたちが本気でかかれば組織ごと潰せるぞ」
「……」
自信過剰ではない。事実である。
ボクたちの戦闘力を端的に表現するなら、少数精鋭という言葉が最適である。全身を義体化したボクと、大戦前から伝わる武術を会得しているクラヴィス。市井のゴロツキには負けないだろう。
それをしないのは、彼らがある種の必要悪だからだ。
コントロールされた暴力は優れた統治手段である。事実、企業連も機動部隊を持っているし、富裕層には私兵を侍らせているヤツもいる。
あらゆる資源が不足しているこの世界では、暴力を有するものは搾取する側に回って生き延びようとする。弱者が生き延びるためには、それを黙って見ているわけにはいかない。なればこそ、相互扶助と権力への反抗を目的とした非合法の集団が誕生するのは合理的といえる。
「……趣味で正義のヒーローをやるのを止めはしないが、自重しろよクラヴィス君」
「急に何の話だ?」
「今の君、見るもの全てを八つ裂きにしそうな顔だったよ。復讐が楽しいのは分かるが、秩序の過度な破壊はやめておいた方が身のためだ」
「秩序?」
「……キミ、ここの生まれじゃないんだったか。なら知らないのも無理はないか。秩序だよ、裏社会の秩序」
「ヤツらは弱者を踏み躙る外道だろう。それがどう秩序に繋がる?」
「まるで上層の住人みたいな考え方をするね。この最下層の街では、何かトラブったら企業連の治安部隊よりもファミリーを頼った方がいい」
理由は、つまりそういうことだ。
下層民が頼るべきは富裕層の援助を受けた暴力装置ではなく、同じ下層民が結託して作った自治暴力である。
「キミが嫌いなファミリーどもは、下層のならず者たちの受け皿にもなっている。そして、ならず者が餌にするのは、当の受け皿でさえも受け止めきれなかった正真正銘のクズ野郎だ」
クラヴィスはボクのことを仇敵でも見るかような眼差しで刺す。
「いくら取り繕ったってヤツらはクズだ。オレの姉貴はアイツらに嬲られ、ああも無惨に……!」
「それは、その。すまなかったね」
「アラン……。いや、いいんだ。オレだって子どもじゃない。ヤツらの必要性は理解した。だが姉の件はオレにとって、理屈でどうにかなる話じゃないんだ」
「ああ、分かるよ。過去を清算することの重苦しさならボクも知っている。だがクラヴィス君。今、迂闊に裏社会にケンカを売るわけにはいかない」
「大丈夫だ。……必要悪。少しムカつくが、今は絶対に手を出さない。アンタに迷惑はかけないぜ」
「……なんだっていいさ。手を出さなければ」
ヤツらのことを安易に必要悪と呼ぶのはボクだって癪だ。だがそれも所詮は括り方の話である。全くもって悪とは言えない活動を行う裏組織だってあるのだから。
そもそも、普遍道徳が失われた世界で正義だの悪だの語ることがまず矛盾している。彼らを必要悪と定義するのも、正義の基準を大きな一つの社会に委ねてしまう場合の話であり、そもそも企業連の統制から離れている彼らは果たして悪なのか?もはや「別の正義」と言っていい段階ではないか?
ああ、いけない。また思考の渦だ。
「とにかく。今から向かうのは、ブリッジにほとんど痕跡が残っていない闇商人の所だ。確実に新たな手掛かりを掴むぞ。髪の毛一本でもいい、手ぶらで帰るわけにはいかない」
「任せとけ」
ここで失敗すればもう二度とヤツを追えなくなるのだから。
「……そういやクラヴィス君。キミがこうもMODに執着する理由を詳しく聞いていなかったね。さっきの……姉貴、と何か関係があるのかい?いや、話したくなければそれでも構わないよ。ボクは弁えてるからね、いろいろと」
「アンタが常識人ぶっても今更なのはともかく……。話しておくよ。オレの腹ん中を知ってた方が、アンタも安心するだろう?」
ふう、とひと息入れ、クラヴィス君は過去に想いを馳せた。
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