4:絶世の美少女
「彼女は『人間』だった。つまり、知的好奇心をヒトの形に固めて作ったような生物ではなかったよ」
ボクが挨拶をすれば返してくれた。時々眠そうな目を擦り、かつて普遍的に流通していた「コーヒー」と呼ばれる嗜好飲料に思いを馳せたり。入手困難なソレは、多くの研究職員にとって夢のような効果を発揮してくれるらしかったのだ。
飲んでみたいよねえ、と彼女はぼやいた。
かと思えば、その次の月にはコーヒー豆の栽培設備を整え、何食わぬ顔で芳醇な香り漂う液体を口に運んでいた。
「随分としおらしい顔ができるんだな」
「……気のせいだろう」
「……」
「さぁて、クラヴィス君。キミは『天才』と聞いてどんな人物を想像する?」
「頭が良い。妙な言葉遣いで話す。他人に遠慮しない。身だしなみに気を遣わない。酒を浴びるように飲む。色恋沙汰に興味がない。総評、まともじゃない」
「ぷっ、あっはははは!なんだい、ソレは?キミ、随分面白い定義を持っているんだね」
「アンタのことだよ、アラン。オレが運転してるってのに、横から割って入ってハンドルを勝手に回しドリフトかますヤツがまともなわけないだろ?」
それは、だって、暇だったし。
「……うん、なるほど。キミ、勘違いしているよ。第一に、ボクの言葉遣いはそれほど妙じゃない。それに今時遠慮など流行らない、ボク以外も大勢そう思ってる。身だしなみと酒に関しては何も言えないが……。色恋沙汰には興味があるとも」
「ほう?色気のない格好してるクセにか?」
「ボクはロマンチストでね。相対する人間の本性を覗き見るために、まず会話がしたいのだよ。太古より人間社会を支配してきたのは、見た目から得られる印象と声の印象だとボクは思う。では文字はどうか?これもまた違う。本心ではない。ヒトというのは、自分という個を外部に出力する営みを、ペルソナを被った状態でしか行えないのだから」
「ペルソナ?」
古い言葉で「仮面」という意味。
「外行きのお化粧、本心に被せる仮面……。なんとでも言いようはある。ボクは『ヒトの個を確定するファクター』と呼ぶが」
なにせ本心とペルソナの境目が曖昧だからね。仮面という言葉を借りた単語ではあるが、他所行きの顔と自分だけの心、二つが異なるものだと証明する方法はどこにある?
「話が逸れた。あ、最後にもう一つ」
「なんだよ?」
「ボクは解体屋のむさ苦しい男よりも、毎晩美味い酒を作ってくれるマレィのがよっぽど大好きだ」
「マレィって……。こないだアンタが飲んでた店の、店員の女の子か?」
「そうさ。あぁ、思い出すだけでも……!彼女がシェイカーを振る時の横顔!あれこそ究極の美と呼ぶのに相応しい!」
「アンタ、完全に恋する乙女だな。オレの想像を遥かに超えてた」
「乙女?おいおい、ボクは男だぞ」
「……え、は?」
「全身義体の都合上、女体型の方が便利なんだ。胸部スペースの確保とか、ボディの耐久性能だとか……。趣味じゃなく、実用的な理由だぞ?」
「そ、そうか。その割には声や見た目なんかも……」
「その辺は先生のサービス。ボクは気に入ってるけどね。神々しさすら纏った白銀の髪に、宝石のように美しい翠玉の瞳!絶世の美少女と呼ばずしてなんと呼ぶ!ちょいと儚げな表情を浮かべれば大抵の男はオトせるのだよ!これがまた酒代毟り取るのに便利でねぇ」
「……世の中、広いなァ」
「ボクなどまだ優しい方だ。昔、よく顔を合わせていた齢八十の爺が、ある日からグラマラスな美女になっていたことだってある」
「そんなこともあるのか。長生きしてぇのは分かるが……」
「ま、キミはボクを理解できないし、逆も然り!ボクはマレィのことを理解できないからこそ、もっと知りたいと思い焦がれる。人間は酒のようなものさ。交わるたびに堕ちていく。だのにやめられん。だから愉しい」
相手の心を聞く。
ヒト種の本能に根付いたコミュニケーションという行為にロマンを求めるなら、そういう言い方をするべきだろう。
「……さて、これでボクが天才でもなんでもない、ただの美少女であることは理解できたね?」
「あぁ、そういえばそんな話だったか」
「天才とは何か?……人間というのは二元的に表せる存在ではない。つまり、運動能力が低いか高いかとか、頭が良いか悪いかとか、そういうシンプルな構造では説明できない。それは分かるだろう?」
凹凸に優劣はない。
ひっくりかえせば凸凹だ。
「高いか低いかではないのさ。天才というのは、あらゆる角度から見てシャープな構造を持っている。時代を穿つような尖りっぷりさ」
「人間的に尖ってる、ってことか?ならアンタはソレに当てはまるじゃねぇか」
「ボクは天才ではないと言ったろう。ボクにはたまたま機械を弄る才能があって、たまたま機械弄りが好きなだけさ。時代を変える力はない。その点彼女は……」
「さっきから彼女、彼女って。誰なんだソイツは?」
「……彼女の存在は、決してシャープなものではなかった。時代を穿つ力ではない。しいて例えるなら、時代そのもの。一本の針の上に人間が立とうとしても足裏を痛めるだけだが、何千本と並べた針の上になら裸足でも立てる」
「いやだから誰なんだよ、彼女って。名前を言え名前を」
「なあクラヴィス君、まだ着かないのかい?もうだいぶ走った気がするんだが……」
「あと小一時間はかかる。アンタがオレにちょっかいかけなきゃもっと早く着く」
「ふぅむ、ならボクは寝る。着いたらボクを起こさないようマレィの店まで運んでくれ」
ボクは瞼を閉じた。
視界の情報をシャットアウトするだけでも脳は休息する。見ると言う行為にはそれだけリソースが割かれているのだ。
彼女のことを思い出したくなった。
こういう時は眼を閉じるに限る。
「注文が多いな。つーか待て、結局のところ誰なんだよ、お前の言う彼女ってのは──」
車体が揺れる。
急ブレーキだ。
「ッ!?掴まれェ────!?」
「おい、おいおいキミィ!言うのが遅っ」
フロントガラスの向こう側、あと数秒後にボクたちが存在するであろう位置には、ヤツがいた。
「シングだ。おお、スカベンジャー型か」
「ああ、幸か不幸か、アルファが一体……。遠目だったから断定はできないが、おそらくさっき俺が見つけたヤツだ!」
区分としては最も手頃な相手とされるアルファでも、油断はできない。それに、ヤツらは大概群れている。
『──ギ──ギィ──ヴルルルル──』
現代の人智を超えた小宇宙的機械構造の軋みが、血に飢えた野良犬の声に似た音を立てる。
見た目もさながら野良犬のよう。
もちろん、普通の犬には六つの眼に見えるセンサーカメラなどついていないし、背部にスタンショック機能付きの触腕が生えていたりもしないが。
「見たまえ。ヤツの口元……。我々を追う前にご馳走を戴いてきたらしい。なるほど、実にスカベンジャーらしいな」
センサーカメラの下で蠢く、路地裏のゴキブリのソレより数段おぞましい形の捕食口!
赤く錆びついた箇所には、新鮮な生物由来の液体が付着していた。
口なき者たちの尊厳のため、そして、ヤツらの燃料源になるのを防ぐため、任務中の死者には適切な処理が推奨されている。が、誰も気づかないほど土深くまで埋めるか、骨も残らないほど焼くかでもしない限り意味はない。どのみちヤツらは餌を求め彷徨う。じゃあ死体よか生きてる人間の方がマシだ、と言わんばかりに、現場じゃあ簡単に弔ってすぐその場を離れるのが当たり前だった。
「ふむ……。例のメカクレ君が持ってた
ふと、この災難の引き金として推定されるに足る十分な根拠を有した仮説を思いついた。
「キミ、ちょっとポケットの中確認したまえよ」
「ああ?……ん、なんだコレ」
親指ほどのサイズの発信機らしきものが、彼のポケットから飛び出した。
「チッ!バカだねぇキミは!まったく笑えるよ!今すぐそれを壊せ!」
「はぁ、なんなんだよったく!」
「匂い袋さ!アイツ、しっかり仕込んでたのか……」
タイミングは、おそらく車内。
あの惨たらしい殺人が発生する以前だ。
最初から交渉する気などなかったのだろう。
道中シングと接敵した時点でボクたちを置き去りにでもして、自分は報酬を全額受け取る、と。
「……しかしあのメカクレ君、匂い袋の仕組みについては知らなかったのだろうね」
「ん?」
「匂い袋でシングをどうやって誘き寄せているか知っているかい?」
「……そういう電波を発信してる、とか?」
「うむ、その通り。そしてシングに最も検知されやすいのは『救難信号』。非常時に人間が使う周波数をヤツらは学習している。いくら変更したところですぐに解析されるので、管理官たちは高度に暗号化された救難信号発信機を使用するよう奨励した」
ゆえに、正規品の発信機はサイズがデカく高価なのである。
「闇市で流通している質の悪い匂い袋は、単に暗号回路を外しただけの発信機だったりするわけさ。キミが持たされてたヤツとか」
「……てことは」
「ああ、そうだ。増援が到着するまで約一時間、引き寄せられたシングを二人で壊して壊して壊しまくる。生き延びるにはそれしかない」
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