第36話
夕方の6時、打ち合わせのためにDNKのオフィスへやってくる風神雷神の二人を待つ。
二人は社外の人なので今日は来客用の会議室だ。社内の人だけで使うところとはまるで違い、観葉植物が置かれていたりとおしゃれな空間に仕上がっている。
新と二人で先に会議室に入って待っていると、不意に新が「風神雷神ってビジネスカップルなんですか?」と尋ねてきた。
「戸高はそう言ってたな」
「へぇ……ああ言うのって演技をしているうちに本当に好きになっちゃったりするんですかね。風香ちゃん、すっごく可愛いじゃないですか。私だったら仕事のこと忘れてガチ恋しちゃいそうですよぉ」
「仕事のことは忘れないでくれよ……」
「あはは……例えですよ、例え。ちゃんと私は仕事のことも忘れずに――はわっ!」
新は勢いよくノートパソコンを閉じ、その場に突伏する。
「ど……どうしたんだ?」
「いっ、今の言い方だとまるで私が職場に好きな人がいるけど仕事を忘れずに頑張ってるみたいじゃないですか!」
新は突っ伏したままチラチラとこっちを見ながらそう言う。
「何だよそれ……」
俺が呆れた顔で返すと新は頭をかきながら顔を上げる。
「あはは……最近SNSでバズってたんですよ。真似してみたくて」
「そうなんですか? そんなの初めてみましたよ?」
急に会議室の入口から声がする。視線を向けると、戸高が一人で立っていた。
「い……いつからそこにいたんだよ……」
「私達がビジネスカップルなのか? ってところからです」
「序盤じゃねぇか……」
つまりずっと俺に気配を悟らせなかったということ。初めて会った時から格段に成長しているんだろう。
「あ、そうだ。ビジネスカップルだってバレちゃうと冷めちゃうので秘密にしてくださいね、ヤマダさん」
戸高は可愛らしく人差し指を立てて自分の口元に添えてウィンクをする。
会議室に入ってきたのは戸高一人だけ。てっきり雷河と二人で来るものだとばかり思っていたがどこにもいないようだ。
「雷河はいないのか?」
「はい。今日は私一人です。始めましょうか」
戸高は背負っていたリュックからノートパソコンを取り出す。
新と3人で会議室に籠もりコラボの企画会議の開始だ。
「すみません、こんな遅い時間に」
戸高は心底申し訳無さそうに眉尻を下げてそう言う。
「いや、良いんだよ。さっさと話を決めないと社内の説明とか承認に時間がかかっちゃうからな」
「へぇ、大変ですねぇ」
「ま、慣れればそうでもないよ。それで……配信でコラボしたいって話だったよな?」
戸高は笑顔で「はい!」と答えて話を続ける。
「DNK公式チャンネルってまだ他の配信者とコラボしてないじゃないですか。非公式には前にご一緒していますし初めてなら私達が良いと思うんです! 御社のチャンネルの視聴者層と風神雷神の視聴者層は被っていないのでお互いに新たな視聴者を取り込めるはずです!」
「視聴者層なぁ……あんまちゃんと分析してなかったからファクトがないな。新、そういうデータって出せるのか?」
「配信サイトから取得できますね。戸高さん、後でメールで風神雷神の方の概要データも送ってくれますか? それをガッチャンコして社内説明で使いたいので。こっちで鉛筆なめなめするので生データじゃなくていいですから」
「が……ガッチャンコ? 鉛筆なめなめ?」
戸高は未知の語彙が出てきたとばかりに眉をしかめる。
「あー……えぇと……」
「新、お前も染まってきたな。ビジネスおじさん用語をナチュラルに使いだしたら終わりだぞ」
俺はたまらず笑いながらそう言う。高校生の戸高からしたら何のことやらなんだろう。
「それ、面白いですね! コラボの動画企画でどうですか? 私が知らないおじさんビジネス用語の意味を推測したり、逆に課長さんが知らない若者言葉の意味を推測したりする企画とか」
戸高が別の方面から食いついてきた。こっちは企業名を背負っているのであまり過激なことは出来ない。このくらいマイルドな企画なら上も説得しやすいだろう。
「面白いな。良いんじゃないか?」
「そういえば……介泉さんってINTPっぽいですよねぇ。知ってます? これ」
新がまた訳の分からないことを言い始める。
「何の用語だ? プロトコルか?」
TCPにICMP。Pで終わるアルファベットの羅列でプロトコルを連想してしまうのは職業病だろう。
「そういうのじゃないですから……」
新が苦笑いしながら突っ込んでくれる。
「私はINFJでしたよ」
「えー!? そうなの!? 私はENFPだよ!」
「あー! 分かります分かります!」
何故か女子二人は意気投合している。
「で……今のは何なんだよ」
「MBTI診断ですよぉ!」
「あれか? 体重と身長で計算するやつか?」
「それはBMIですって! うーん……確かに。これ知らないなら介泉さんでも企画が成り立ちそうですね」
新的にはいけると判断したようだ。BMI診断が何なのかはさておき、若者の感覚でいけると思ったなら信用してもいいだろう。
「そうですね。課長さん、今のは思いつきの企画ですけどもう一つやりたいことがあるんです」
「やりたいこと? なんだ?」
戸高はニヤッと笑って立ち上がると、アルファベット3文字をホワイトボードに書いた。並んでいるのはN、T、R。
「あー……これは何のプロトコルだ?」
俺は意味を理解しつつも、念のために新に尋ねる。
「え? うーん……成田空港の空港コードですか?」
新の言いぶりからしてガチで知らないらしい。いやまぁ知らないなら知らないでいいんだけど。
「そりゃNRTだろ……」
「あっ、そうかそうか……何ですか? NTRって」
新の質問に戸高は微笑みながら答える。
「寝取り、ですよ。課長さん、風神を雷神から寝取って欲しいんです」
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