【十九皿目】肉じゃが
「ごちそうさまでした」
二人は食べ終えると、行儀良く手を合わせた。
今時の子供の割には礼儀がなっていると、忠平は少し感心する。
忠平は、闇夜のように真っ黒で苦味と酸味が入り交じったコーヒーを一口飲む。
「それで、俺に一体何しろってんだ」
「俺と一緒に来て欲しいところがあるんです」
来て欲しいところ?と、少し考えると、さっき言ってた店とやらだろうかと聞く。
流星はそうだと頷く。
半信半疑であったが、どうやら本当の話らしい。
全く、自分の女房は人が良いにも程があると閉口した。
どうしたものか、と頭を掻くとここまで来たなら仕方ないと諦めて、着いて行ってやることにした。
忠平は残ったコーヒーを一気に飲み干す。
咳を立ち行くぞ、と言わんばかりに会計に向かって歩いて行く。
ズボンのポケットに雑に突っ込まれた折り畳みの財布を取り出し、会計を済ますと二人を急かすように店を後にした。
◇◆◇
流星はなんとか忠平を店に連れて来ることに成功し、安堵の息をつく。
まさかあんな嘘を信じてくれるとは思っていなかったのである。
改めて
道中もブツクサと文句を言われながらも、まぁまぁと嗜めながらもここまでついて来てくれたのだ。
店は住宅街の中にあるとは言われたものの、本当にこんなところにあるのかといよいよ疑い始めたその時、その店は現れる。
ここです、と言われて忠平は顔をあげると、目の前には本当にその店があるではないか。
「流星軒…」
忠平は店の名前を呟く。
その店は、どこか懐かしい感じのする店構えだ。
流星が扉を開けると、出て来たのは女性である。
その女性が、亡くなった妻そのものだったからだ。
「久し振りね、忠平さん」
女性は優しく微笑む。
「和子、お前生きてたのか…?」
忠平はまるで信じられないと言わんばかりに和子《を見つめている。
いや、生きてる筈がない。
病院で看とり葬式も終えた筈なのだ。
動揺して立ち尽くす忠平を流星が早く入るようにと、背中を押す。
ぎこちなく足を踏み出すと、言われるがままカウンターに腰を下ろした。
「一体どう言うことだ?なんでお前がこんなところにいるんだ?確かに死んだ筈じゃあ…」
食いぎみに聞いて来る忠平を、流星が嗜める。
「奥さんは死んでます。それは間違いありません」
じゃあなんで見えるんだ、と聞かれると、ちょっと長くなりますけど、と前置きしてから説明する。
だが、荒唐無稽な話に幽霊なんてまるで信じてなかった忠平は、頭を抱え込んでしまった。
◇◆◇
この世には自分が知らないことがあるのだな、と言うところに忠平の思考は落ち着いた。
と言うか落ち着くしかなかった、と言った方が正しいだろう。
それよりも妻ともう一度会えたことの方が忠平は嬉しかった。
「久し振りね。まさかこんな形で再開するとは思わなかったわ」
「元気だったか…って言うのも変な話だな」
と二人は暫く他愛もない会話をしながら再開を喜び合った。
小一時間程経った頃、流星が本題を切り出した。
「奥さんを成仏させる為に、一緒に食べて貰いたい物があるんです」
「食べて貰いたい物?」
その時、ふと鼻腔を嗅いだことのある香りがくすぐった。
甘くて香ばしい醤油の香り。
流星はそれをカウンターではなく、テーブル席に置くと、こちらに来るようにと手招きする。
なんだなんだ、と戸惑う忠平より先に和子が座った。
「せっかく
忠平は驚いた。
こんな子供が料理なんてするのか?と、言わんばかりに。
忠平はため息を付くと仕方ねぇなぁ、と悪態を付きながらも椅子に座った。
忠平は箸を取り、じゃがいもを一口大に切る。
少々荒っぽく口に放り込むと、ふわりと優しい甘さが広がる。
美味しい、忠平は素直にそう思った。
そしてこうも思った。
流星が作ったにしては、妻が作った味とそっくりだった。
「不思議だ…。和子と同じ味がする」
和子はふふっと笑って、
「だって私が教えたんだもの」
と言った。
つまり流星は、たった一回で和子のレシピを修得したと言うことである。
大したものだ、と思ったが自分ができなかったから悔しいのか、口には出さない。
実は忠平は和子が死んだ後全く料理人なんてして来なかった。
だから、自炊しようと試みたが、同じように作っても何故か同じ味にならなかった。
忠平ずっともう一度、妻の料理が恋しかったのである。
その時、ポタリとテーブルに雫が零れた。
流星は驚いて、思わず目を丸くする。
あのちょっとひねくれた頑固爺が、突然泣き出したのである。
それからはただただ黙って目の前の料理を貪った。
最後の一口を食べると、柔らかい光が和子の周りを包む。
「なっ、なんだ、この光は?!」
忠平が驚いていると、ふわりと温かい感触が頬を伝う。
妻が寂しそうに笑っている。
「一人にしてごめんなさい…。もう行くわね…」
その言葉を最後に和子は消えて行った。
待ってくれ!と手を伸ばしたが、その手が和子に届くことはなかった。
◇◆◇
「世話になったな」
忠平の声色は、最初に会った時から比べるとほんの少しだが柔らかいトーンに変わっていた。
帰ろうとする忠平に、流星は一枚のメモを渡した。
そこには、肉じゃがのレシピが記されている。
「和子さんが教えてくれたんだ。良かったらどうぞ」
忠平は先程までなら悪態でもつこうもんだったが、素直に受け取った。
「それから、一つ謝りたいことがあるんです」
流星が申し訳なさそうな顔をしている。
なんのことか、忠平には察しがついていた。
「あの話、実は全部嘘なんです。忠平さんをここに来させる為に、和子さん達と考えました。騙してすみませんでした」
しかし、忠平はふん、と鼻で笑って、
「そんなこととっくに分かってらぁ」と言った。
それこそ嘘か真か分からないところではあったが、流星は、はははっとおかしそうに声をあげた。
◇◆◇
忠平が去った後、店内は異様な程静かだった。
流星あれからカウンターに座ってずっと黙りこくっている。
片付けを終えた日向は、冷たいカフェオレを両手に流星に差し出す。
流星はさんきゅ、と気の抜けた返事をした。
流星の隣に腰を下ろして、カフェオレを一口飲むと、おもむろに話出した。
「静かだな」
「そうだな」
「こんなに静なの久し振りだわ」
流星が乾いた笑い声を上げると、カフェオレを一口飲んで、
「
なんだか母さんみてぇだったな」
と寂しげに言った。
流星は和子さんに母親の面影を見ていたようである。
日向が、ふと流星に視線を向けると、頬が涙で濡れている。
だが日向は気づかなかったことにして、カフェオレを飲み天井を見上げて、溜め息を付いた。
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