【三皿目】日向明日馬《ひなたあすま》

「今日の料理は何かしら?」

 片付け終えた月見里やまなしがカウンターに座ると、笑みを浮かべながら、流星りゅうせいに聞いた。



 流星りゅうせいは既に準備していたらしく、月見里の前に差し出した。

「ハンバーグ定食だ」

 それは先程出された物と同じ物である。



「いただきます」

 月見里は手を合わせて割り箸を割ると、ハンバーグを一口大に切り、口に運ぶ。



 すると、デミグラスソースの香りが口一杯に広がった。

 月見里はしっかり味わいながら、一口、また一口と箸を進める。



「ごちそう様でした」

 綺麗に食べ終えたが、特に何も起こることはなかった。

 流星りゅうせいは、額を手に覆い奥歯を噛み締める。



「くそっ!なんで月見里だけ成仏しねぇんだよ!

これでもう962皿目だぞ!!」

 先程までヘラヘラと笑っていた表情が、怒気へと変わる。


 それもその筈で、流星りゅうせいは月見里だけが一番好きな食べ物を見ることができず、思い付いた料理を調味料を変えたり作り方を変えたりと、途方もない作業を一年近くも繰り返して来たのだ。



 そして962皿である今回もまた、失敗に終わったのである。




◇◆◇




 それから半時間程経った頃。

 外は真っ暗闇にぼんやりと満月まんげつが浮かんでいる。

 辺りに人気はなく、一つの黒い影だけが、月明かりが照らしている。

 タッタッタッタッタッと、赤い髪の少年の軽快な足音が響く。



「じゃあ暖簾下げて来るわね」

「ああ」

 ハンバーグを食べ終わった月見里が店の外に出る。



 ザン!

 刃物が何かを斬る音と同時に、目の前に鮮血が広がった。

 そこには二人の影があった。

 どうやら、斬られたのは月見里ではなかった。



「やっと追い詰めた」

 ギラリと化け物の血がついた、銀色の刃が光る。

 それは一人の化け物に向けられていた。

「安心して成仏させてやる!」



 銀色の刃が上空を舞う。

「ダメっ!!」

 月見里が止めに入ろうと叫ぶよりも早く、赤髪の少年の手が止まった。



 いつの間にか、自分の前に黒い影が立ちはだかっていて、自分を目掛けて攻撃して来た化け物の手が、その人物の目と鼻の先で止まったのだ。



「これだろ?あんたが今一番食べたい物」

 丼の中身は小麦色の麺と、白濁のスープ。

 そう、丼の中身は豚骨ラーメンだ。



 化け物はたじろぎながらも、口を開けてみっともなくダラダラと涎を垂らしている。

「食えよ、腹減ってんだろ?」

 言われて急激に腹が減って来たのかス、と手を伸ばす。



 「あ、危ねぇっ!」 

 すかさずもう一度刀を降ろうとしたが、すぐにそれは無意味な行動だと分かる。

 伸ばしたその手が掴んだのは他でもなく、流星りゅうせいが差し出した箸だった。



 箸を受け取った化け物は、ズルズルと音を立てながら食べ始める。

 少し太めのストレート麺に、濁った豚骨スープ、具はチャーシュー、煮卵、もやしと言ったシンプルな豚骨ラーメンだ。



「食ってる…」

 普通死んだら飯なんて食えない筈なのに。

 最後のスープを飲み干し、丼を盆に戻すと、それが合図のように、カッ!と突然暗闇を白い光が包み込むと、中から40代くらいのサラリーマンの男が現れた。



 サラリーマンの男は、目を細めてまるで思い出を馳せるかのように、架空を見つめている。

「このラーメン、俺が初めて働いた時に食べたラーメンなんだ。それまでは飯なんてまともに食ってなくてさ。

それで、初任給だったから格別でなぁ。死ぬ前にもう一度食いてえと思ってたんだ」



「次に生まれ変わって来る時は、もっと美味いもん食えよ」

 男は、一瞬目を見開いたが、すぐに目を閉じ、この世の未練を絶ち切ったような、晴れやかな笑みを浮かべて「ああー…」

 と、短く返事をすると、すぅっと天へと旅立って行った。


 成仏した証である。



 呆然と立ち尽くしながら、赤い髪の少年は一部始終を見ていた。

 初めて見る光景ではないのに、いつ見ても不思議だと、日向は思う。



「さー、帰るぞ満月みづき!」

 流星りゅうせいは何事もなかったかのように、頭の後ろで手を組みながら、店の方へと歩いて行く。



「待て!お前料理人だな!」

 赤髪の少年に聞かれて立ち止まるが、振り返ろうとはしない。

 少年は続ける。



「一緒にいる女性は幽霊だろ?何故成仏させない?料理人なら料理で成仏できる筈だぞ!」

 まくし立てるように言われて、流星りゅうせいはうんざりしかのように、深い溜め息をつくと、やっと振り返る。



「別にいいじゃんよ、成仏させなくても。

こっちにはこっちの事情ってもんがあるんだから」

「事情?どんな事情があるか分からねぇが、幽霊は成仏させなきゃならない存在だ!

お前にその気がないなら、俺が変わりに斬る!」



 そう言うなり刀を振り上げた瞬間、先程化け物に追わされた傷が激しく痛み、その場にうずくまった。

「大丈夫?!あなた、酷い怪我してるじゃない!」

 突然声が降って来て、赤い髪の少年が振り返ると、黒髪の少女がいた。



「別にこれくらいなんとも…」

 歯切れ悪く言うと、月見里は否応なしに両手をかざす。

 すると、青い暖かい光が日向の体を包み、あっという間に傷を塞いだ。



 呆気に取られて、上半身を手で撫で回しながら、傷が塞がったのを確認する。

「あんた、その力…。もしかして…」

 言い掛けたが、月見里の満面な笑みに、半ば強引に遮られた。



 そして月見里は、

「私には刀なんかじゃ成仏させられないわよ」

 と言った。



◇◆◇



 三人が店に戻ると、何故か赤髪の少年は、エプロン姿で洗い場に立っていた。



「なるほど、つまりだ。あんたは…」

諸星流星もろぼしりゅうせいだ」

諸星もろぼしは幽霊の料理人で、その人…」

月見里満月やまなしみづきだ」

月見里やまなしさんを成仏させる為に幽霊の料理人をやってると、そういう訳だな?」

 赤髪の少年は、歯切れ悪く言った。



「でもびっくりしたわ!お前、霊媒師エクソシストなんだな!」

「だったらなんだ」

 不機嫌そうに答える赤髪の少年をよそに、流星りゅうせいは自分もそもそも霊媒師エクソシストになるつもりだったことを話し出す。



 ちなみに、霊媒師エクソシストと言うのは、幽霊を料理で成仏させるのではなく、刀で成仏させる組織のことだ。



 しかし悲しいかな、戦うスキルが文字通り全くなかった言うこと、だが、幽霊が一番好きな食べ物を見る力があったこと。

 そして、大衆食堂を営む両親の血を受け継ぎ、料理人としての才能があったことが認められ、この道を選ぶことになったのだと説明した。



 なるほどな、と赤髪の少年は納得した。

「それは分かったが。なんで俺が食器洗いなんかさせられてるんだ?」

 と言う少年の声色は、どことなく怒気を帯びている。



「当たり前だろ。満月みづきに斬りかかった上に、怪我まで手当てして貰ったんだから」

 二人かけのテーブルに座り、あっけらかんと言い放つ。

 手にトランプを握りながら。

 


 ブチッ、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「それは分かる、だが!なんでそれが食器洗いをする理由になるんだ!!」

「じゃあ他にどうやって礼をするつもりだったんだ?」

「それは…」



 言われて喉に詰まる。

 話題を変えようと、月見里に視線を向けると、我関せずと言わんばかりに真剣な表情で自分の手札を見つめている。



「そういえば、気になってたんだが…。なんで月見里やまなしさんは成仏させられねぇんだ?」

 流星りゅうせいの表情が変わった。



「あんたのその能力ならできるんだろ?なのになんでー…」

 全てを言う前に、少年は、流星りゅうせいの張り詰めた表情に、言葉を飲んだ。



 そして、先程とは全く違う低い声色で答える。

「できねぇんだよ」

「え?」



「理由は分からない。でも何故か満月みづきが一番食べたい物だけが見えないんだ。

俺が成仏させられるのはあくまで一番食べたい物が見える奴だけだ。見えてない奴の物はできねぇんだよ」

 


 なんで…。言おうとして口をつぐんだ。

これ以上聞いても意味がないと悟ったからだ。



 その時、先程まで黙々とトランプを切っていた月見里が、嬉々とした声を上げる。

「フルハウス!私の勝ちね!」

「ワンペア!くっそー、また満月みづきの勝ちかよ!」 



 静寂を切り裂いたのは、全く緊張感のない声だった。

(緊張感返せよ)

 燃えるような赤い髪に真紅の瞳を持つ少年、日向明日馬ひなたあすまは心の中で呟いた。

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