第2話 三重上タモツの日記

6月10日 水曜日 

今日の三限に受けた民俗学の講義は興味深かった。

内容は妖怪のルーツについて探る、というものだった。

例えば、山間部などでは「何かに呼ばれた」という言い伝えが記録として多く残されており、それらの言い伝えが派生していって、地域ごとに妖怪の個体差のようなものが生まれるとか生まれないだとか。


6月11日 木曜日

今日は全休なので友人に車を借りて近くの山々を巡ってみることにした。

いわゆる民俗学のフィールドワークというやつだ。

本当に妖怪と言う存在がいるのなら、俺も「何かに呼ばれる」という経験をしてみたいものだったが、特にこれといった心霊現象やハプニングなども無く、山巡りは終わった。

いや、ハプニングというハプニングではないが、あることにはあった。

山の麓を巡っている途中、二股に別れた道に出くわした。一方は今まで通りの、車二台がぎりぎりすれ違えるほどの道幅で、もう一方は車一台通るのがやっとというぐらいの道幅だった。

どうせなので細い道の方に車を進めてみたが、しばらく行くと急に道が途切れていた。Uターンできるスペースも無かったため、バックで今来た道を引き返す羽目になった。

そういえばそのやけに狭いほうの道の入口には、道を両側から挟むようにして、二体の苔むした石像のようなものが置かれていた。あれはなんだったのだろう。


6月12日 金曜日

今日は一限から五限までみっちり入っていたが、あまり講義には集中することが出来なかった。

というのも、昨夜屋外で「おぉーーーい」と叫ぶ声に起こされてからというもの、しばらくの間寝付くことが出来なかった。酔っ払いだろうか。迷惑な話だ。


6月13日 土曜日

今日は所属している写真サークルに顔を出した。

昼飯がてら、街並みを撮りに行こうということになった。

写真はいい。都会や田舎の雑踏の中に息づく人の営みを、レンズを通してより鮮明に感じることが出来る。写真は、俺の数少ない趣味の一つと言っていいかもしれない。

いつものごとく俺が熱心にレンズを覗いていると、「おぉーーーい」と頭上から声がした。なぜかこの声は、俺を呼んでいると感じた。

見上げると、そこには煤けたビルのベランダが突き出しているばかりで、誰もいない。空耳だろうか。


6月14日 日曜日

今日は居酒屋のバイトがあった。

少しお高い個室タイプの居酒屋で、お客は注文が決まれば、ベルで店員を呼ぶシステムだ。

しかし今日はシステムの不調か、お客が入っていない個室から何回もオーダーの通知が入った。

一応確認しに行くが、やはりお客はいない。少し気味悪かったが、途中からラッシュアワーに入ったため、そんな気味悪さもいつしか忘れて働いた。


6月15日 月曜日

日記はいつもその日の終わり、寝るちょっと前ぐらいに書くことが多い。

しかし今このページにペンを走らせている時刻は、丁度深夜二時を回るか回らないかの時だ。

「おぉーーーい」という声で目が覚めた。また以前の酔っ払いかと思ったが、すぐに違うとわかった。

声はベランダから聞こえてくる。「おぉーーーい」というくぐもった声が、確かに枕元に位置するベランダに通じる窓ガラスを揺らしている。

だが、ここはアパートの三階だ。ありえない。

しかしそんな俺の考えを打ち砕く様に、白の薄いカーテン越しに、が立っているのが確認できる。

こうやって日記を書いている間も、「おぉーーーい」という呼び声は止まない。頭が変になりそうだ。

料理用の包丁を片手に、意を決してカーテンを開けた。が、そこには何もいなかった。途端に声も止んだ。

正直この時、俺は人生で一番と言っていいほど気が緩んでいた。今までこんなホラーチックな体験、したこと無かったんだ。

だがそんな俺の耳元で、声がした。


おぉーーーい


気がつくとフローリングの上で朝を迎えていた。右手には包丁が握られていた。

悪い夢だ。きっと悪い夢を見たのだ。


6月16日 火曜日

帰宅して後ろ手に玄関の扉を閉める。

直後、「おぉーーーい」という耳をつんざくほどの怒号が、ドア越しに響いた。

全身の毛穴という毛穴から、変な汗が噴き出した。肌は粟立ち、震えが止まらない。

覗き穴越しに恐る恐る外の様子をうかがう。

と目が合った。


6月17日 水曜日

まずい。何とかしなければ。もう時間の問題だ。このままでは、向こう側に連れていかれてしまうだろう。


6月18日 木曜日

にげるにげるにげるにげるよばれているにげるにげるよんでいるにげるにげるよんでいるおれをにげるにげるにげるこえがきこえるにげるよんでいるにげるにげるに




日記はここで終わっている。








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