第8話
ミラベルはその言葉で顔までずり上げた布団からゆっくり出て黒ネコを見た。黒ネコは先ほどのセリフのわりにニヤニヤと笑っていたので、また布団を頭まで被る。
「聞いてるかにゃ!」
「聞いてたわ。死ぬんでしょ。どうやって死ぬの」
「にゃ?」
「全身から血を流して死ぬとか、バラバラになるとか、勝手に飛び降りるとか」
「俺ちゃんは消えちゃう。あんたはぽっくり死ぬ」
「平和的ね。じゃあいいわね」
「どこが!?」
「初恋を引きずる夫に少しでも嫌がらせできるじゃない。本当はもうちょっと悲惨な死に方でも良かったけど。そうしたら、妻が酷い死に方をしているから夫は呪われてるとか言われるじゃない」
「命を懸けるの早すぎね? 俺ちゃんと第二契約したら嫌がらせいっぱいしてやるよ?」
「うるさいわね。私をこれ以上惨めにしないでよ」
ニャーニャーうるさく叫ぶ黒ネコを布団で遮断してミラベルは今日一日で起きたことに本当にウンザリした。しばらく黒ネコは叫んでいたが諦めたのか枕もとにやってきて丸くなった気配がする。
情けないことがあった時に思い出すのは、元婚約者のことだ。彼と結婚しておけばこんなことにはならなかったのに。
でもミラベルは父に逆らうことも、彼と駆け落ちする勇気もなかった。結局、父の言う通りにして鏡に映った運命の相手のようだと縋って今の夫と結婚したのはミラベルだ。
バカげた人生だった。黒ネコが側にいるので聞かれないように心の中でそう言った。
朝起きて死んでいるということはなかった。死んだ後はお花畑や川が見えることがあると聞いていたけれど、見慣れた自分の部屋だった。
「か、かわいい!」
「ネコちゃん!」
「にゃあ~」
これらはすべて使用人の発言である。
ミラベルが顔を洗っている横で、使用人たちが黒ネコを囲んで嬉しそうに騒いでいる。タオルで顔を拭きながら、私は歓迎しないけど悪魔の黒ネコは歓迎するのねと冷めた気持ちが胸をかすめる。
ギルバートがネコのことを話したのだろうか。でないとミラベルに対して使用人は怯えているので朝からこんな人数でミラベルの部屋には来ないはずだ。
黒ネコは得意顔で可愛がられてるのかと思ったら、ナァナァ可愛く鳴きながら撫でまくる使用人の手をかき分けてミラベルの方に来ようとする。
あまり離れると引き戻されるからだろうか。子ネコな上に必死にミラベルの方に来ようとする様子はミラベル以外には愛らしく見えるらしい。
ミラベルには「早く俺ちゃんと契約しよう!」「俺ちゃん可愛いでしょ? 可愛いでしょ? 第二契約しよ?」と言っているようにしか見えない。
「お風呂に入れましょうか」
「綺麗な毛並みですからもっと綺麗になるでしょう」
「連れて行きましょう」
使用人たちに風呂に連行されそうになり、黒ネコは使用人の手を引っ掻いてミラベルに向かって悲しそうな声を上げる。昨日のことがなければ思わず絆されそうな可愛いネコの鳴き声だ。しかし、人を呪って勝手に契約云々しておいて何を今更とミラベルは無視する。
「まぁ、奥様のことがよほどお好きなんですね」
「奥様、ネコはお嫌いですか?」
子ネコを前にミラベルへの怯えを忘れテンションが高い使用人たち。この屋敷の使用人は無条件にネコが好きなのかしら、あなたたちの目の前にいるの悪魔だけど。
「そうね、嫌がらせしてくる人よりは好きね」
自分で思うよりも冷たい声が出た。部屋の空気が凍ったのが分かる。
「ニャアア!」
黒ネコは状況を面白がっているのか元気な声を発した。
「お、奥様。名前をつけてはいかがでしょうか」
「この子はなんとお呼びしましょう」
凍った空気を黒ネコのおかげでスルーしたつもりなのか、そのように尋ねられた。どうせ死ぬんだから名前なんていらないでしょう、とも言えないので適当に答える。
「ロ、じゃなかった……フィッツロイとかいいんじゃない?」
昨晩元婚約者を思い出したせいで、ロイドと口に出しそうになって慌ててやめる。ロイド・フィルツモンはミラベルの元婚約者の名前だ。調べたらすぐ分かるので、元婚約者の名前そのままがネコについているのはまずいし、未練タラタラだと思われるのも嫌だった。それではまるで夫のようではないか。
すると急に体が熱くなった。呪いをかけられた時とは違う。心臓がどくどく鳴る音が聞こえて、体中に血が急速にめぐっている感覚だ。
「奥様!」
熱くて、視界が狭くなりよろけてテーブルにしがみつくと使用人が慌てて向かってくる。ぽっくり死ぬはずなのに急速に血が巡るとは何事だろうか。
暗くなる視界に映ったのは、ニヤリと笑う黒ネコだった。
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